マーガレット・ゴーズ・トゥ・タワー・オブ・ロンドン:2
世界が終わるわけじゃない、変わるわけじゃない。私が何をしたとしても。
前の夜は、ほとんど眠れずにいた。ライブでは完全熱唱したし、力を出し尽くした。これ以上なにを望むというのだ…。私は昨夜使った応援用のうちわ、モールが取れてしまったうちわを直していた。ガムテープしかないから、ちょっとモールがまばらになってしまったけど。
朝、重いカラダを引きずって、朝食に行く。渡せなかったプレゼントを、どう処理するか悩んでいた。
「ダメモトで、渡しに行ってみたら?」と、同行ファンメイトのMさんに励まされ、ロンドン市内にあるとある“つて”に行くことを決めた。
その“つて”とは、私が人形をプレゼントするときに橋渡しをしてくれたJさんの働くオフィスだ。Jさんにはロンドンに来ることをメールしてはいたものの、ここ1ヶ月ほどメールの返事もなく、なにより5月に彼女に送ったはずの荷持が、こうして戻ってきてしまっている…。何かマイナスの予感はしたものの、後悔するよりは傷ついたほうがマシかもしれないと思い、重い足取りでその場所に向かった。
ちなみにいつも私が読んでいる雑誌の占いでは、6/29は“ここ2週間で最悪の運勢”「想像以上に悪いことが起きる」と書いてあった…。占いなんて信じないけど!
住所のとおりなのに、イメージとは違う、すすけた雑居ビルだ。しかも、ビルの入り口はオートロックで、チャイムのボタンとインターホンしかない。…インターホンか。ロンドンに来て、痛いほど語学力のなさを感じているのだ。ちょっとした英語恐怖症に陥っている。遠い昔、神様が私たちの言語を分かつてしまったのだ…うう、自信がない、たとえ日本語でも自信がない。
まるで不審者のように、しばらくこの場をウロウロしたが、奮起してインターホンを押した。男性の声。かすれた声で、私は言った。
「Is there Ms. J?」
イエス、の声の次に、オートロックが開いた。恐る恐るドアを開け、上に続く階段を見上げる。一歩一歩、狭い階段を上がり、あまりの現実味のなさに、ため息が出た。目指す階に着くと、明るく開けていた。入り口に先ほどの声の主と思われる男性がいた。私が再び同じ質問をすると、彼は微笑み、目で奥の女性を指した。Ms.Jは電話中なのだ。
私は深呼吸をした。壁には、額に入った大きな写真がかかっている。成田空港で、ニールとクリスが花束を抱えている写真…『Where the streets have no name (I can’t
take my eyes off you)』のジャケット写真だ。唯一、その写真だけが、この事務所のアイデンティティを示すもののように思えた。
「Hay!」
電話を終えた女性が、こちらに歩み寄ってきた。にこやかな笑みをたたえているが、“え〜と、この人たち、誰かしら?”という顔をしている。
「Hallo, I’m…I am Margaret…came from Japan.」まるで中1の英語だ。でも、シンプルだからといって、悪くはない。Ms.Jは、大きく身振りをして、
「Margaret!? Did you make the dolls?」彼女は早口で喋り続けた。ああ、半分しかわからない!でも、私たちは手を取り合っていた。「Nice
to meet to you!!」
幸い、彼女は私を覚えていてくれたのだ!ああ、よかった。彼女は、私たちが昨日、今日のライブのために日本からロンドンに来たことを知り、ライブの話、ロンドン滞在の話をし、私たちが来たことは彼らに必ず伝えると約束してくれた。そして、私は例のやっかいなプレゼントを渡してくれるように頼んだ。彼女は、これが以前、この事務所の前まで来ていたことを知らなかったようだ。ああ、またイギリス流の行き違いに違いない…。
彼女は、プロモーションに関するとっておきの情報をくれ(いずれ明らかになることだから、ここでは言わないけど)、長いような、短いような話を終え、事務所を後にし、私は現実に帰った。
空が眩しい。さわやかな晴天だ。
まだ午前中だったけど、ビールを飲んだ。
午後の買い物や観光は、少し気がラクになった。でも、やっぱり、今日の夜のライブを考えると、たったのこの短い時間のためにいろいろなことを我慢したり調整したりしたことを思うと、どうしても重くて緊張する。食事が喉を通らない。やばい、食事は私の精神的な健康のバロメーターなのに!ビールをひたすら飲む。
気晴らしにナショナル・ポートレート・ギャラリーに行く。ショップに、2人の20年近く前のポストカードが置かれていた。この写真もギャラリーの所蔵なのか…。逃げられない運命なんだな、これは…。
夕方、いったんホテルの部屋に戻り、休憩して、着替える。まるで試合前のアスリート!?…私にはそんな経験ないからわからないけど。栄養ドリンクを飲み、ライブで完全燃焼する予定に備える。
地下鉄が混んでいるのか、それともこんなことは日常なのか、昨夜と同じ行程なのに、倍以上の時間がかかる。なんてもどかしい。ロンドンは日本よりずっとすごしやすいのに、地下鉄だけは空調が聞いていなくてひどく蒸し暑い。やばい、エネルギーがどんどん吸い取られていく…!ようやく、会場に到着。
今日のライブは追加公演だから、昨日よりちょっと空いているかもしれない。昨日はA席だったけど、今日はB席。Bだけど、Bの最前列、ほぼ真ん中なので、むしろ昨日より舞台構成が昨日より良くわかる。しかも、クリスのキーボードのほぼ正面だ。前から20番目くらいだけどね。
ライブは、前座を含めて昨日と同じなので、落ち着いて見られた。昨日はすごく盛り上がったけど、席移動が警備員によって禁止されてしまった。スタンディングもできにくい雰囲気だ。いいのよ、私はただひたすら歌い、手が挙がらなくなるまでうちわを振るだけ。
以下の写真4枚は、他のウェブサイトからいただきました。
「I’m
with stupid」
名曲「Rent」では、ニールはスクリーンの向こう
「Sodom
and Gomorrah show」…卒倒するくらいゴージャス
影の支配者に徹するクリス。ずるい!
終わった。終わったよ。自分の力を出し切った…歌いきった。まるで私がパフォーマーみたいじゃじゃないか。
誰もいない舞台を、しばし見つめる。片付けしていたおにいさんたちにからかわれる。私だって、英国人だったらお手伝いするチャンスはあったかもしれないのに!ジェラスィ〜〜。
お願い、もうすこし、この余韻にひたらせて欲しい!時間は午後11時過ぎ、6月の末とは思えないほどの涼風が吹いている。いや、そんな生易しいもんじゃない。思いっきり、寒い。私はビスチェのうえに、薄いレースを羽織っているだけなのだ。まさか、こんなに寒いとは。私は出入り口のフェンスにもたれかかり、ただ時間が過ぎるのを待った。待つのはせつない、そして、いとおしい行為だ。人々が通り過ぎるのを、黙って見つめた。いまだに自分のふわふわして実態のない感覚…居心地の悪さを感じている。私の夜は、もうすぐ終わるのだ…。
どのくらいの時間が過ぎただろうか。すでに6月29日は終了し、日付が変わっている。6月30日だ。私は喋ることもなく、周りの人も目に入ることはなく、闇を見つめていた。このまま朝までここにいるのだろうか…まさかね。そんなことを思いながら、いったい何を待っているのかわからなくなる。その時…。
オーラが見えたのだ、確かに。私はなりふりかまわず走っていた。そして、真っ白な頭にもかかわらず、驚くほど冷静にシャッターを押した。涙が出た。会えた。私はいま、彼を見ている。彼は少し、微笑んでいるように見えた。
大勢のファンに囲まれ、ライブを終えた達成感か安堵感からか、フレンドリーに写真やサインに応じているニール・テナント。さっきまで、輝かしい舞台の上で観客のお目当てになり、熱い視線を集めていたその人に間違いない。そして、私の前を通り過ぎ、闇に消えようとしていた。
「Neil, Neil, Neil!!」
私は叫んでいた。彼は立ち止まり、振り返った!時間よ、止まって!
…その後は…ふう。私の頭の中の、薔薇の花柄の小箱に、鍵をかけて収められている。まだ、このあと開けてみていない。開けたらそれは飛散しちゃうでしょう。
私は彼の端正な横顔を見つめた。なんて美しいのだろう。まさに価千金の天使のような声、ツルツルの綺麗なお肌。ああ、もう絶対に神様に選ばれた人なんだわ(彼は神を選んでいないのだけど)。
・・・・ほんの1分ほどの時間・・・・
私は彼を見送った…黒い服が闇に紛れるまで。彼にとっては、毎日のようにある光景で、聞きなれた陳腐なワードの羅列にすぎないけど、私にとってはとてつもない経験だ。かすかに脚が震えている。
私は我に返り、周りを見回した。イギリス人のファンの男の子が「成功したね」と、話しかけてきたけど、私はまだ何かを探していた。そう、もう一人の“悪名高き男”クリス・ロウを。
あたりは静まり返り、ざわついた空気はすっかり静まっていた。なにもない、いつもの石畳だ。私は耳の遠くで、ファンメイトのMさんと、他の日本人の女性が話すのを聞いていた。彼は、行ってしまったのだ。すでに立ち去ってしまったのだ。
私はいつも“何か”(神様でも、妖精でも、悪魔でも、呼び名は何でもいい)に、願いを叶えてくれるようにお願いをしていた。その“何か”が、いままさに願いを叶えてくれて、私に1分だけ時間を与えてくれた。でも、私はその与えられた時間を、果たして本当に有功に使ったのだろうか。先日のW杯で、がら空きのゴールにシュートできなかった日本の某ストライカーを思い出した。私はあれほどに選ばれた人間じゃない…ミスしたって、いいじゃないか…。そうなぐさめても、私は私を蹴っ飛ばすくらい責め続けている。何よりも、彼を見つけられなかった甘さに激怒している。そう、私には慰められる要素はいっぱいある。“ファンとの交流は極力したくない”彼は、なるべく目立たないようにオーラを消しているんだと思う。彼とフレンドリーに喋ったりサインをもらえるファンは少ないのだ。でも、やっぱり自分に腹が立つ。ニールと会えたからいいじゃん、って、そんなのは全然違うんだって。本当は、ニールとの時間だって、やり直したいんだから!正直、もっとうまくやりたかった。私は全然完璧じゃない。理想が高すぎるのか、高望みをしすぎかもしれないけど、シュートを外したストライカーと同じなの。自分が許しがたい。
私はその場に座り込んだ。でも、すぐに立ち上がり、歩き出した。情報をくれた日本人女性がまだ喋り続けていたから、その場にいたくなかった。落ち込むだけの情報なんてなんになる。過ぎた時間は戻らないのだ。
Mさんには悪かったけど、口もきけずにホテルに戻った。いいことと悪い事を同時に経験した。自分を責めたり、擁護したり。私って、高望みしている?
結局、朝の3時まで、Mさんと話し合った。ビールを飲みまくったけど、酔うどころか頭は冴えまくり、少しも安らぐことなく、まどろみのなかでも私は後悔をし続け、ついに朝になってしまった。
重い。さらに重い。朝の光が恨めしい。テーブルの上には、応援に使ったうちわが置いてある。ずいぶん汚れてしまった。でも、ニールの顔写真の横には、ニールのサインがある。デジカメを確認すると、ニールと、ガチガチに固まってひきつった顔のマーガレットの2ショット写真が収められている。
「笑えよ!マーガレット!」
私は自分につっこんでみた。(写真は自主規制)
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