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♪♪妄想乙女マーガレット通信★vol.57♪♪
別冊「まりりんの日記」/ペットさん(ペット・ショップ・ボーイズ)偏愛フリーペーパー
第57号・2007年10月発行★発行人:まりりん石原、執筆乙女:マーガレット(題字:ニール王子)

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▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽シリーズ:1曲に固執してみる・G▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 「1曲を徹底的に研究してみる」第8弾。8月のライブが終わってからのPSB仕事としてわたしが選んだ苦行(?) アルバム全曲レビュー。順不同でやりたいトコからやっていますが、「Bilingual」「Fundamental」と終わり、今はアルバム「Behavoiur」をやっています。このアルバムはPSBの方向転換アルバムで、ものすごいノスタルジック&メランコリックなアルバムなんですが、中でも頭の「Being Boring」 (90) は号泣ものです。もちろんファンからも絶大な人気を誇ります。

 でも、発表当初、PSBらしくない、とほとんどの批評家やファンは戸惑った。あの聞くだけでカラダが無条件でゆれまくる感覚はどこへ?って思ったと思う。確かに“もの悲しい
要素は、以前からの曲にも存在はしていたんだけど、そこをピックアップしてメインにした曲のアルバムはこれがはじめてだった。

 デビューの84年(ニール30歳、クリス25歳)からの6年、80年代後半(彼ら自身はこれを”皇帝時代“と呼ぶ)は、PSBは本当にいろいろあった。無名の社会人から世界的トップスターに・・・。地位、名声、金銭、群がるファン。それだけで人生が変わる。おりしも80年代UKというのはちょっとしたブリティッシュ・ポップ&アイドルのバブル期。本当にいろいろなバンドやアイドルが輩出された(多くは現在いないけど)。いまのところ歴史上もっとも軽薄で意味のない80年代ミュージック(とはいえ、30代後半〜40代半ばにとっては青春そのものなのだけど)の時代にデビューしたPSBは、幸い軽薄ではなかったおかげで、現在でもポップの重鎮として変わらない人気を保ち続けている。これは皮肉にも、彼らがぽっと出の成り上がりでなかったことと、彼らの性格が地味だったから遊びすぎなかったからだと思う・・・だって、金と名誉と女(男)がありゃ、人はいくらでも堕落できますって。

 まあ、そんな背景があり、レコード会社もPSBをバンバン売ったけど、ニール&クリスにはあまり表ざたに出来ないプライベートがあった。とはいえ、クリスは多分幸せだったろう(かねてから付き合っていた恋人と同棲を始めている)けど、ニールには心配事があった。それがこの曲「Being bo
ring」のモデルになっているニューカッスル時代からの親友、Chris DowellがAIDSを発病、闘病、そして89年に死を迎えたことだった。Chris Dowellについては3部作になっている。この曲の以前、アルバム「Actually」に収録されている「It couldnt happen here」(87)は、Chris DowellがAIDSを発症した時の驚きと落胆、シングル「Its alright」のB面「Your funny uncle」(89)はChris Dowellの葬儀をモチーフにしている。そして「Being boring」(90)で、彼を偲んでいる。ところでこのChris Dowellはニールの友人だったんだろうか。

 マ通信44号の「1曲に固執してみるA」で「Jealously」(
91年リリースだが、書かれたのは82年)で、ニールは「クリスという友人が、僕がクリス・ロウを見つめる事に嫉妬する」と言っていることを取り上げた。まあ、クリスという名はすごくポピュラーだが、明らかにニールの恋人とおぼしきこのクリスがChris Dowellだったら、ただの友人だったとはちょっと思えない。Chris Dowellは一般人だから他に情報はないけど、ニールのニューカッスル時代の友人ということは、高校時代の友人だと思われる。90年前後にAIDSで亡くなる男性はゲイが多いので、多分Chris Dowellもゲイだろう。ニューカッスルはゲイが生きやすいのか?
 観光ガイドを調べてみた。ニューカッスルはイングランド北部の炭鉱
市で、男らしい街だ。しかも地方はセクシャリティに保守的になりやすい。映画「リトルダンサー」の舞台になったダーラムも近郊で炭鉱町だが、男がバレエをするなんてけしからんと言っていたから、やはりゲイは生き辛いのだろう。ところが、親ゲイで知られるガイドブック「ロンリー・プラネット」を調べると、ニューカッスルには1000人入場できる巨大ゲイディスコ(しかも入口でチェックあり)がある。そんなに多いのか。じゃあ、ゲイには辛くないのかも?

 

古い写真と、10代のころのパーティの
招待状を偶然見つけた
“ドレス・イン・ホワイト(白い衣装で)”と書かれていた
誰かの妻だった有名な作家が
1920年代に言った
“若い頃は、いなくなった人に
感動を見出すことができる”
閉じかけたドアを開けて、
彼女が言った−“私たちは、決して退屈しなかった”

僕たちは、決して退屈しなかった
自分たちのための時間だったら、たくさんあった
僕たちは、決して退屈しなかった
ドレスアップしてケンカして、態度を改めようと思った
僕たちは、決して振り返らなかった
いつか終わりが来ることなんて考えなかった

僕が駅から街を出るとき
ナップザックを持ってすこし不安があった
誰かが言った
“気をつけないと、すべてを失うぞ”
1970年代だった
でも、僕は未来を楽しみにしていたし
高い靴を履いていたし、自信もあった
僕は閉じかけたドアを開けて
決して退屈することはないと思った

僕たちは、決して退屈しなかった
ドレスアップしてケンカして
態度を改めようと思った
 

 

僕たちは、決して振り返らなかった
いつか終わりが来ることなんて考えなかった
僕たちはいつも過去を振り返りつつ
希望を持っていた
いつも友達が君を助けてくれる

今、僕は違う顔を持っている
借りた部屋や、他の国で
僕がキスした人たち・・・
ある人はここにいるし、ある人はもういない
今はもう1990年代
僕はいつも自分が望んだものになれるとは
夢見ていなかった
でも、夢は夢で
いつも君は僕と一緒にいてくれると思っていた

僕たちは、決して退屈しなかった
ドレスアップしてケンカして
態度を改めようと思った
僕たちは、決して振り返らなかった
いつか終わりが来ることなんて考えなかった
僕たちはいつも過去を振り返りつつ
希望を持っていた
いつも友達が君を助けてくれる

僕たちは、決して退屈しなかった、
決して退屈な存在ではなかった
僕たちは、決して退屈しなかった
決して退屈な存在ではなかった

(マーガレット訳)

  

ニールは、過去のボーイフレンドのことを一切語らない。が、ガールフレンドのことは何故か語る・・・名前も出したことがある。過去はともかく、少なくともカミングアウトしてからの10数年は女性と付き合っていないはずなのに、なぜか女性と付き合っていた昔の話は割と簡単に出る・・・まるで自慢のように。もしかしたらニールは、いまだに自分がゲイであることに自信がないのかも。認めてはいるけど、あまり好きじゃないようだ。だから作品や行動にさほどゲイゲイしさはないんだろうけど、とても不思議な心理のような気がする・・・いいじゃん、誇りを持てば。個人的には、いま付き合っている恋人を「彼氏です。」って紹介してくれたほうがいいんだが。まあ、いいけど。

 話が逸れた。C
hris Dowellに話を戻そう。たとえ2人がただの友人同士だとしても、ゲイ同士というのは普通の友人同士より絆が大きいように思える。とにかく80年代後半は、親友が死に瀕し、亡くなっている。比較的初期の時代に命を落としたゲイの多くは、知識や情報不足だ。だから仲間が亡くなると、次は自分では、という疑念に駆られると思う。そんな中、ポップスターとして表舞台に立ち、作品を作り続けるのは容易じゃない。このアルバム、この曲がやけにノスタルジックでメランコリックなのにはそういう背景がある。
 以前から指摘していることだけど、PSBは曲に虚を持ち込まない。多分、自分で思ったこと・感じたことしか書けないのだ。だからこそ愛され続ける。

 時代が下がり、発表当時の驚きはなくなり、2007年になっても、この曲は代表曲のひとつとして、ブルース・ウェバーのPVとともに愛され続けている。クリスの言うところの「高揚感と同時に気分を憂鬱にさせるような曲」なんだが。でも、確実にこれはPSBの構成要素のひとつであると思う。別次元のスターが、わたしたちと同じ感情を持っているなんて、すごいことだと思う。


★★★★★★★★★★★★★コメンタリーby PSB CatalogC★★★★★★★★★★★★★★


06年発売されたアートワーク本「PSBカタログ」掲載の「Pet Shop Boys in conversation with Chris Heath, April 2006」を訳してみました。その4。

それはPet Shop Boysが理解される方法の大きな要素になっています。----クリスはストイックでほとんど気が進まないように見えます。

ニール「ストイックかどうかはわからないけど、気が進まないのは確かかも。それは、不参加ってことだろう。」

クリス「うーん、例えば、“West end girls
のビデオを作るのは恥ずかしかったな。カメラクルーと一緒にロンドンを歩き回る。ウォータールー駅で、エスカレーターを上がって…。ホント、あそこに居たくなかったね。歯医者の予約があったんだけど、キャンセルしたんだ。」

ニール「いや、それは
Opportunitiesだ。一日中不満を言っていた。」

クリス「僕は“West end girls
だったと思う。予約日を移動したら、“West end girlsのビデオ撮影が急に入って、僕は2度もキャンセルしたんだ。もう驚かないよ。」


ポップグループの別の問題は、自分をセクシーに見せたがるかどうかだと思いますが。

クリス「うーん、自然にやってきたからね。そんな必要はなかったんじゃないかな。」

ニール「僕らがそう思っていたとは思わない。僕たちがかつてした唯一のセクシーなことは、クリスが少女マガジンの”My Guy“の表紙になりたいと考えたということかな。僕らがヒットする前だけどね。彼はたくさん写真を撮っていて、説得力があるように見えたよ。僕らがヒットをした後、クリスは少なくとも2回、”Just 17“マガジンに自分で。僕はいつも、彼をむしろ誇りに感じていたよ。」

クリス「誰が思ったんだ?」

なぜ”My Guy“の表紙をやりたいと思たんですか?

クリス「できると思ったから。」

ニール「なぜ思ったのかな?」

クリス「すごくばかげていたと思う。1分、君は学生だ。次の1分、僕はカバー・ボーイだ!」

ニール「ペット・ショップ・ボーイズの写真を撮るとき、彼は不機嫌になる。でも、僕の想像では、”My Guy“の表紙では彼は微笑んでいる。男性モデルみたいにね。実際、彼には、すごく静かでいる彼が利用することができるプロフェッショナリズムとパフォーマンスが眠っている。実際僕は学んだけど、いつでも突然姿を現すんだ。「W
hat have I done to deserve this?」で突然ダンス・ルーティーンを踊って披露したりするように。パフォーマンス・ツアーで突然服を脱いだこともあったね。」

クリス「で、突然やめるのさ。」

ニール「彼のパフォーマンスのスキルに到達するときは、いつも興奮したときだ。リリース・ツアーで、ニューカッスルのシティ・ホールでオルガンを弾いたりしたときのようにね。彼には、潜在的な恥のような強い自意識の強いフィーリングがあるんだ。でも、時々わきに追いやられる。」

クリス「すっごく楽しいことがあったら、またやるかもしれない。」

恥ずかしいという感覚は、Pet S
hop Boysにはとても重要な要素だと思いますが?

ニール「僕が最初にクリスに会ったとき、コーヒーを飲みにカフェ・ピカソに言ったのを覚えている。僕は間違って戸を開けてしまって・・・本当は引くのに、僕は押してしまった。クリスは入るのを嫌がった。僕はホントにうろたえた。彼は「恥ずかしいよ。」と行ってしまった。人々が見上げ、この気味の悪い社会的なエラーが起こっているのを見て、僕たちが店に入ったとき、僕たちを嘲笑するかもしれない。僕は正直になるように本当にそれを得なかった。僕はそれと同居することを学んだ。」

クリス「このコンセプト、考えは、プレストンの友人が由来だ。彼は一度、ロンドンに僕を尋ねてきて、
ユーストン駅から出たけど、彼の地図を見れなかった。なぜなら、彼は誰にも旅行者だと思われたくなかったんだ。それで、彼は歩き出したけど、どこに行くかわかっていなかった。彼は、誰かが見ているかもしれない道を、180度Uターンする自分が許せなかった。それで彼は間違った道を数マイル歩いた。この恥の感覚は彼から実際に由来している。」

Pet S
hop Boysであることをどんな風に受け入れていますか?

クリス「君を困らせたくないよ。」

ほとんどのポップスターがした多くのやっかい事には気がつきましたか?

ニール「ああ。ビデオの中でみんながやっているようなこと。廊下を走ったり、ちょっとパラノイアみたいだ。それ以来、僕らは演技をしなければならない。でも、最初はビデオで演技をするのがイヤだったんだ。もっと自然で行きたかった。多くは決まりごとを避けたけど。ポップスターになった僕は、本の中の僕のすべてのイメージに戸惑っているよ。」

                                              続く
 


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