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♪♪妄想乙女マーガレット通信★vol.61♪♪
別冊「まりりんの日記」/ペットさん(ペット・ショップ・ボーイズ)偏愛フリーペーパー
第61号・2008年2月発行★発行人:まりりん石原、執筆乙女:マーガレット(題字:ニール王子)
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▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽シリーズ:1曲に固執してみる・I▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「1曲を徹底的に研究してみる」第10弾。現在「Actually」のアルバムレビュー進行中。今回の“裏レビュー”は、2007年UK調査のオールタイム・ベスト・デュエットで8位に選ばれた、絶頂時代の名曲である「What
have I done to deserve this?」(邦題:届かぬ想い) (’87)です。ニール&クリスの女神であらせられるディーバ、ダスティ・スプリングフィールドに心の操を捧げました。
とはいっても、最初からダスティを想定して書かれたという訳ではないようです。この歌に出てくるのは紛れもない男女カップルのヘテロセクシャル(異性愛)な恋愛です。しかも、クヨクヨ男と搾取女という、あまり美しくない・・・まあ、どこにでもいるカップルですわ。でも、ゲイ雑誌「Attitude」はニール&ダスティを“ザ・パーフェクト・デュエット”と評しています。セクシャル・マイノリティ的に言えば、ゲイ男子とビアン女子のデュエットは、ヘテロに見せかけているけど、ゲイ&ビアンがそれぞれに妄想余地を与えられた、まさに円満な偽装結婚のようなものでしょう。もちろん発表された1987年当時、ニールもダスティもクロゼットですが、世間的にはそうだよね的な空気が漂っていたので(漂ってなくてもゲイ&ビアン当人ならわかったはず)、多くのゲイ・レズビアンが2人のデュエットを心から支持したことでしょう。
ところで、私は当時からこの曲を聞くと、同じ1987年に出されたジョージ・マイケルとアレサ・フランクリンがデュエットした「I knew you were
waiting (for me)」を思い出します。アレサはもちろんソウルの大姉御です。が、当時アイドル的存在だったジョージと、ビジュアル的にも年齢的にも、2人を歌で歌われているようなロマンチックな男女カップルには投影できません。だからといってアレサではなく相応の美女がデュエットの相手だったら、それはそれで、またファンがやっかみそうですから(もちろんジョージも当時はクロゼット)、ここはジョージが胸を借りられるような大御所を選んで正解でしょう。どうせジョージにとっては、若い美女だろうが大御所だろうが、個人的に恋愛に発展する事なんてあり得ないでしょうから。ゲイ男性&おばさん、ってのは一種の逃げ道のような気がする・・・。
ニールとダスティにも同じことが言えます。1987年当時、ニールは33歳(クリス28歳)、ダスティは48歳ですから、こちらもカップルというにはちょっと結びつかない。もちろんニールがダスティのファンだったことは公言していますが、それは尊敬やリスペクトであって、恋愛感情ではないはず。ゲイ男性にとって、ゲイ男性→恋愛対象、ノンケ男性→片思い、または時に恋愛対象になる可能性もあり、ノンケ女子→道端の石コロ、ビアン女性→恋愛感情ぬきの連帯感・・・(ビアン女性の場合、その逆)といったところでしょう。一般的に、ゲイ男性がビアン女性(またはその逆)をどのように位置づけているかは(接点がさほどないだろうという点において)計り知れないのですが、少なくとも、社会に対して似たような痛みや、報われない想いを抱えているというところでは共通するものがあるでしょう。実際には数えるほどしか顔を合わせていない(1988年のインタビューでは、3回と明言)ニール(&クリス)とダスティが、じっくり人生について語ったとは思えないけど、少なくともファンであること以上にダスティには、セクシャル・マイノリティとしてのある種の親近感を感じていたのではないだろうか。まあ、深読みしすぎと笑われるかもしれないけど、そんな風な見方もあるんじゃないでしょうか。人は、大きな社会の中で同士にめぐり会えたことを喜びと感じるものです(多分ニールとクリスの結びつきが大きいのも同士だからだと思う)。自分を“社会の隅っこにいるなあ”と感じている人にとってはなおさら。
あと、歌詞はヘテロ恋愛ですが、ひとつ気になるのは、“「僕」は「君」の本を読んだ”、って歌詞があります。これって女子っぽくね?本とか知識って、男性的っぽいアイコンのように感じます。ヘテロの恋愛を書いても、なんだか相手が男性っぽい想像をしてしまっているような気がする、ニール。まあ、ニールの場合、相手がなんであろうと、知性がないとアウトなんだよね、きっと。
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★★★★★★★★★★★★★コメンタリーby PSB CatalogF★★★★★★★★★★★★★★
’06年発売されたアートワーク本「PSBカタログ」掲載の「Pet Shop Boys in conversation with Chris Heath,
April 2006」を訳してみました。まだ続く、その7。今日こそ終わらせたい。
次のアルバム「ナイトライフ」ではコスプレに戻りました。
クリス「ウィッグ。」
ニール「僕らはペット・ショップ・ボーイズのイメージの再ブランド化をしたいと思っていた。実際の外観について僕らにとって本当に重要なのは、眉毛と口だった・・・もし大きな眉毛とほとんど四角い口があったら、その3つの線でペット・ショップ・ボーイズのシンボルになると、僕らは思っていた。このアイデアは好きだったけど、今後はやるとは思わない。実際、新しいヴィジュアル・トレードマークを見つけにいくと思う。」
クリス「何なのかわかってる?本当は探し続けてない。君は遠回りをしながら別の出口に言っちゃうんだから、でしょ?」
ニール「全くだ。」
クリス「ホントのことだもん。君がそれを考えてる時は。」
「リリース」では、マーク・ファロウと組むのをやめました。あなたたち2人そのとき、全てを変えたい、と言っていたことを思い出します。
ニール「そう。僕は多くの『リリース』の事を、クリスの猛進のように考えていた。僕は好きだったけど、それがクリスのすごい猛進のように思っていた。大学ツアーは全体的にクリスのアイデアだ。全てがもっとへこたれないような何かをやりたかった。グラマラス・ポップをやらないで、代わりにアートっぽくて超リアルにやると言う考えがあった。僕らは『ラヴ・カムズ・クィックリー』以来、全てのジャケットをマーク・ファロウと一緒に仕事したけど、数年にわたって働いている人々がちょっと退屈していると感じるのは可能だよね。僕らがエリック・ワトソンとの仕事をやめたおもな理由は、彼が僕らへの興味を失っていると感じたからだ。マークとも、あらかじめ僕たちが持っているものが得られるのを知っていると感じた。」
クリス「時に、変化は変化のために良いんじゃないの?で、はっきりしたのは、マーク・ファロウが戻って、本当に良い仕事をしたってこと。」
ニール「彼から距離を置くのはいい考えだと思った。彼と僕らは一緒に仕事することについて再考を考えていたからね。それで、続けている。」
一堂に集められたヴィジュアル素材を見て、達成したと思いますか?
ニール「時々、ポップ・グループはやり続けて、興味をなくすものだと考えられている。ペット・ショップ・ボーイズついては、君がそう感じていると思わないけど。」
クリス「僕らは途中じゃギブ・アップしなかった。ギブ・アップするのは簡単だったけどね。」
ニール「違う局面を見ることが出来るよ・・・変化すること、戻ること、別の方法で何かすること・・・いろいろなグラフィックが現代の雰囲気と僕たちの変化のアイコン解釈をみんなに与える。いつもそこのあるのと同じ美学が存在し続ける。ちょっと物寂しい美学だ。これは目的のために決してデザインしない。決して華々しくない。別々のマーケティング概要がある・・・それらはすべてマーケティングで、普通、僕らがレコードでチャレンジしている・・・そのときのマーケティング協定で。でも、それがポップスであるという事実に戻さなければならない。絶えず、人々に興味を引こうとしている。それが、君が本当にやろうとしていることだ。君自身の興味を持続させてくれ。いつも君が考える、ものを創作することはいくつかの点で美しい。はじめに、僕らは決めなければならない・・・EMIの契約内で・・・全てをどうやって働かせるかをコントロールする・・・明らかに歌は非常に重要だが、彼から提示された方法は同じように非常に重要になる。僕らは絶対に進むことを諦めない。」
何故そうなるんですか?
ニール「一種のオーラみたいなものをみんなに与える・・・音楽それ自体は、契約上の理由でボツになっているものだけではない。全てがとても特別だ。それは始めから終わりまで全てがポイントだ。それは僕たちがまたどうそれを判断するかということ・・・どう特別に見えるかということだ。ペット・ショップ・ボーイズはユニークなプロジェクトで、ポップ・ミュージックのユニークなデュオで、彼らがやることはみんな特別だ。それは最初の日以来、僕たちがしようとしたことだと僕は思う。」
クリス「僕らは何とかして僕たちの足跡がある何かをしてきた。それはまさに、僕たち、ユニークってことだ。僕たちの音楽にも、同じことが大いに言える。」
?初めから、あなた方はペット・ショップ・ボーイズ・ワールドを創造することへの必要性についていつも語っていました。そのワールドとはどのようなものだと考えていますか?
ニール「全てが本当に完璧で美しいものであるワールドになっていると、僕は思う。何故全てが間違っていたかという美しい表現になっている。それは僕たちがそれは僕たちが一部の・・・無残なダサさや自分達を恥ずかしめない方法から密封して封をする方法・・・それは現実の振る舞いではない方法だ。
ワールドを創造することにトライし続けますか?
ニール「イエス。」
クリス「(笑)何もアイデアはないよ。」
ニール「いったんそれを始めると、それが本当に重要だから、君は明らかにいつもそこに留まろうとする。全く何かしているもの普通のものそれを始めるために、ワールドを創造することを止めるのは、全く何か普通のことをし始めるだろうということだ。僕たちが想像しようとしていたことは普通の人生じゃない。僕が子供の時、郊外のダラダラした生活を過さない協定を自分自身で作っていた。
僕はこれまでのところ、それを避けられている。」
クリス「僕は郊外のダラダラした生活をいつも望んでいる。」
ニール「キミがそう言い続けるってわかってるよ。」
<終わり>