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image001.jpg♪♪妄想乙女マーガレット通信★vol.74♪♪
別冊「まりりんの日記」/ペットさん(ペット・ショップ・ボーイズ)偏愛フリーペーパー
74号・20093月発行★発行人:まりりん石原、執筆乙女:マーガレット(題字:ニール王子)

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インタビューbyジョニー・マー▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

イギリスの新聞The Guardianの日曜紙、「Observer Music Monthly」の3月15日号に、ギタリストのジョニー・マーがPSB2人にインタビューするというおもしろい企画がありましたので、全文を紹介しておきます。

http://www.guardian.co.uk/music/2009/mar/15/johnny-marr-pet-shop-boys

ボーイズがジョニーに注目した

それはブリティッシュ・ポップ会談だ:インタビュアーのジョニー・マーは彼の友人で、以前はライバルだったペット・ショップ・ボーイズに尋ねる。彼らのインスピレーション、アイドル、ぺルノー(アブサン)のあまりの危険さ…。

先月、ブリッツはニール・テナントとクリス・ロウに特別功労賞を与えた。キラーズのブランドン・フラワーズは13歳の頃、アルバム1枚を買えるだけのお金で、スミスとペット・ショップ・ボーイズのアルバムのどちらかを選ばなければならなかったと言う。彼はPetsを選んで、「ビートと洗練の新世界」に誘われた。さらなるお楽しみは23年で10枚目のデュオの新しいアルバムYESに約束された。

スミスのギタリストのジョニー・マーとペット・ショップ・ボーイズは、ポップの正反対の両極端に思えるかもしれない:ひとつは荒々しいギター、片方はディスコ・シンセと皮肉。 しかし、彼らの感覚は一致し、マーがスミスを脱退して以来、彼らは、一貫して協力して作業して、実りも多い。 彼らは1987年、ロサンゼルスのモンドリアン・ホテルのエレベーターで偶然出会った。その時、マーは、彼が最新のPSBアルバムACTUALLYの「Hit Music」がどれほど好きなのかを語った。 2年後、彼らはバーナード・サムナーと共にマンチェスターのマーの家で彼のElectronicのプロジェクトに取り組んでいた。 次に、マーはアルバムBEHAVIOUR23トラックのギターを弾いた。2001年に彼は、カウンティー・ダラムにあるニールの家でレコーディングされたRELEASEのほとんどのギターを担当している。 YESでは、彼は5トラックでプレーしている。ニール・テナントは、それぞれに持っていると言う。「スイングがある美しい軽いアコースティック・スタイル。すごく特色がある。モデスト・マウスのレコードでさらに彼を聴くことが出来る。"ここはジョニーだ"って思うだろうね。」

テナントとクリス・ロウは、3月前半にホーム・ハウス・メンバーズ・クラブに、マーの質問のために座った。彼らは、いつか彼にお返しをすると言った。

***

ジョニー・マー:イギリスのどこが良い?なぜ好きでここに住んでいるの?

ニール・テナント:僕はここで育った。自分はイギリス人であると思うけど、僕の母の家族はアイルランド人だから、ニールと言う名前だ。で、僕の父の家族はエディンバラから移住して来たから、テナントという苗字。僕は本当はほとんどケルト人なんだ。

僕はポップ・カルチャーとしてのユーモアのイギリスの歴史が好きだ。他のどの国も人々がポップ・ミュージックにこんなにかかわる世界はないと思う。大衆は、驚いたことにまだ、真剣にポップ・チャートを受け止めている。トップ・オブ・ザ・ポップスが終わっちゃったコトは、いらだたしい。フランスやドイツとは違う。ビートルズとローリング・ストーンズのせいだろう。ポップ・ソングが好きというのは、僕たちのDNAの一部で、ポップ・ミュージシャンとして、アメリカではできない方法でカルチャーの一部を感じることができる。

イギリスに住むことへの悪い傾向は、カルチャーはちょっと息が止まりそうになっていると感じている。タブロイド、メディア、セレブ・・・。でも、それは僕のインスピレーションだから、いつもイギリスに戻らなければならない。 新しいアルバムの最後の歌「Legacy」、これはイギリス、北イングランドに関している。1992年にニューカッスルを出たけど、1997年に北に家を買った。僕は自分がそんなことをするなんて考えもしなかった。南に買うだろうって思ってた。

クリス・ロウ:「Who Do You Think You Are?」(スパイス・ガールズの曲名)を続ける?

ニール:そうしたいね。彼女たちに尋ねられたなら、そうしたい。

ジョニー:最も偉大なイギリス人の男と女は誰?

ニール:20世紀で、僕たちが考える方法を変えた人々を見ると、アップル・コンピュータをデザインした人。イギリス人のジョナサン・アイブ。 ビートルズはローリング・ストーンズとデヴィッド・ボウイのように世界を変えた。 ビートルズの影響はことによるとウィンストン・チャーチルの影響より大きいかも。その前には、聖書を翻訳した委員会がある。彼らがシェークスピアよりも多く、我々を音楽王国にした理由の1つである音楽言語を作ったから。あと、ギルバートとサリバンをあげておかないと。すごく多くの現代のイギリスの音楽がギルバートとサリバンから来ている。押韻とリズムで信じられない強調するラップ・ミュージックもそこからきている。

ジョニー:女性では?

ニール:シャーロット・ブロンテ。「嵐が丘」は一度も読んだことないけど。あれ、ブロンテだよね。

クリス:読まなくていいよ。ケイト・ブッシュの歌は聞いただろ。

ニール:もちろんエリザベス一世、ビクトリア女王…。

クリス:エメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst・・・第1次世界大戦以前の女性の参政に尽力した)

ニール:そう。フェミニストの。僕の人生で、文化的に重要なイギリス人はデヴィッド・ボウイだと言える。スタイルの概要、すべてかなり重要だ。デレク・ジャーマンはあまり影響を受けていない・・・彼は、やったことの方法がすごい。 ピーター・タッシェル(
Peter Tatchell・・・ゲイの人権活動家)は、古典的なイギリスの理想を表すように思える。彼は、完全にへそまがりで、完全にロジカルだ。彼は、市民パートナー法がヘテロ恐怖症だから起訴した。彼が言っていることがちょっとわかるな。 彼も、理想主義的だけど実用的だ。

クリス:彼は勇敢だ。僕が賞賛するのはそこだ。

ニール:うん、彼には、勇気がある。アウトレージ(OutRage!。ピーター・タッシェルらが創設したゲイ権利団体)とストーンウォール(Stonewall:イアン・マッケランらが創設したゲイ権利団体)は重要だった。僕たちは、イアン・マッケランとデレク・ジャーマンの両方を知っていた。デレク・ジャーマンはイアンに対して、いつもすごく毛嫌いしていた。僕が彼に何故なんだと尋ねると、彼は「すごく宣伝広告を得ている」と言っていた。この頃の偉大な人を探すとなると、見つけるのが難しい。 偉大さは後で明らかになる。

クリス:ダスティ・スプリングフィールドは。

ニール:ダスティ・スプリングフィールド。ありがとう、まったくその通り。ボウイ以外で、僕が影響を及ぼされたすべての歌手は、女性だった。ニーナ・シモン、ビリー・ホリディ、ダスティ・スプリングフィールドはたぶん僕の3人のお気に入りの歌手だ。ダスティ、その息づかいが好きだ。あと、ダスティが彼女のレコードをダブルト・ラックに使用したこともいい。僕はダブル・トラック音が好きなんだ。彼女から、僕は頭の中にこれまで一度も入ったことがなかったことを学んだ。アレンジの仕方、各歌詞や各コーラスでのメロディーの変え方、クライマックスへのもって行き方。僕たちの新しいアルバムに「Pandemonium」っていう曲があるけど、僕は最後で、ついにダスティ・スプリングフィールドをやってみている。最後のコーラスでメロディーを変えて、それが始まる。「ワオ、初めてやってみたよ!僕は、ダスティをやってみた!」と思った。

クリス:僕は、人々が通りでどんなものを身につけているかを見ることで影響を及ぼされたばっかりだ。どんな音楽がクラブでかかってるの?

ニール:うん、君の影響は主にストリートからだな。僕は本当に本からすべてを得るんだ・・・テレビでやっているもの、ラジオでやっているもの。たぶんノエル・カワードについて語れって言うんでしょ?でも、僕はノエル・カワードに個人的に影響を及ぼされたことはないと思う。僕はいつも極端にリアルなドラマが好きだった。僕のお気に入りの映画はジョゼフ・ロージーの「Servant(1963年、邦題「召使」)なんだ。モリッシーのように、僕は、イギリスの労働者階級の伝統的文化が魅力的であることに気がついた。たぶんモリッシーとは違って、同時にイギリスの中流階級の伝統的文化もとても魅力的であるとわかった。彼らは反発が全てで、役立つか立たないか、それに反逆するか、それを受け入れるかのどちらかだ。どういう訳か、僕は、白黒映画がカラー映画より好きだ。

ジョニー:1990年のドジャー・スタジアムでElectronicの最初のショー(Electronic のサブ・メンバーズとして同行した。PSBが初めてアメリカでやったライブ)について何か覚えている?

ニール:それは、クリスと僕が「The Patience of a Saint」と「Getting Away With It」を共同で書いた後だったね。ドジャー・スタジアムで2夜、デペッシュ・モードをサポートしていたから、君は僕たちも行くよう誘った。約6万人、すごく大きかった。クリスと僕が毎日、違った高価なデザイナーズ・ブランドの服を持っていたから、僕たちは君らと異うんだってことしか覚えてない。僕たちには、メイクアップ・アーチストがいて、ポップ・スターだった。君とバーナードはそれまで着ていたもので現れた。ウィネベーゴの2夜目、舞台裏では、バーナードが胸の上にサインが書いてある状態でベッドの上に寝転がっていた。「舞台に行く時間になるまで起こさないでくれ。」って。 彼は、自分をアゲるためによくペルノー(アブサン)を飲まなければならなかった。気持ち悪くなるから、彼の横にはバケツが置いてあった。

ジョニー:一番良いのは?80年代?90年代?

ニール:絶対、僕は80年代と言うね。それはポップ用語になっている。Adam AntHuman LeagueからStock, Aitken and Watermanまで、僕たちがメインストリートの中心にいた時代だから。それから、Planet Rock(1986年、
Afrika Bambaataa & Soulsonic Forceのアルバム)からA Guy Called Gerald(マンチェスター出身の音楽プロデューサー)にレイヴする。90年代になるとMassive Attackから・・・何だろう?マンチェスターのビッグ・イヤーは1989年だった。残念ながらその年は80年代だ。

クリス:うん、でも君は90年代は1987年に始まったと主張してた。

ニール:僕たちは非常に長い討論をすることができた。 80年代は主流派を調べる急激な変化と実験の時代だった。で本当にパンクだったから。人々は、ポップ・スターでありえたと偽っていて、それから、彼らになるこの軌道を通り抜けた。90年代、スパイス・ガールズはいくつかのすごく良いポップ・ソングを作ったけど、「Two Becomes One(1996年、スパイス・ガールズのヒット・シングル)に関しては実験的なものは何もない。 80年代、僕は、いつもAnt Music(1980年、アダム・アンド・ジ・アンツのシングル)を聞くように言うけど、それは最も奇妙なレコードだ。「Prince Charming(1981年、アダム・アンド・ジ・アンツのアルバム)を聴いてみろよ。本当に何の音楽もないから。

Pets
に関しては、80年代、僕たちはツアーをしなかったから、80年代と90年代はすごく違ってた。90年代、僕たちは最大のヒット曲「Go west」があって、2回のワールドツアーをして、アルバム・バンドになった。

ジョニー:君たちのお気に入りの場所はどこ?

ニール:僕はダラム州に家があるんだ。そのすぐ近くに、広大なムーア(荒野)がある。僕はちょっと閉所恐怖症気味だから、広い場所が好きだ。僕は去年運転免許を取ったから、4×4でムーアに運転して行く。そこはすごく広くがあって、すごく高い所を走るから、本当にほとんど飛んでいるようなものだ。

ジョニー:クリス、ポップ・アートは?

クリス:う〜、勘弁してくれよ。

ニール:君は昨日、何で電話をしたんだ?フラワー・プリントのアンディ・ウォーホルを買いたくて?

クリス:それはポップアートだ。僕たちがやることは、明らかにハイ・アートだ。ポップは大衆芸術かもしれない。マジで、なおさらそうだ。

ニール:僕は、ポップが、アートであるかどうかを心配する必要はないと思う。それが本当にアートであるかどうか決めるのが、本当のポップの関心事でないから、君が最初の答えをくれた理由だと思う。

クリス:ため息と呻きでしか出ないことを言葉で言い表してくれてアリガト。

ニール:僕は君の要素を解釈するのがすごく上手いのさ。いつもアートは芸術家がやることだって信じていた。ポップがアートであることを心配し始めると、ストーンズの「Their Satanic Majesties Request(1967年のローリング・ストーンズのアルバム)に行き着く。僕はそのアートはかなり好きだけどね。

ジョニー:どんな音が最も嫌い?

クリス:頭上を低く飛ぶジェット音。そう言えば、本当に幸福な感じがするから、低くイビサを通り過ぎるのは好きだ。飛行経路にいるなら煩わしいけど。でもすべてに、あるべき場所というものがある。誰かがへたくそにヴァイオリンを弾いてるならまるで酷いけど、上手く弾いているなら美しい。僕はホントに何に対してもノーとは言わない。時として、耳障りな音がすごい事もある。シラブル(つづり音)を持ったあるシンガーがいる・・・僕は彼がそれをやるのが耐えられない。誰とは言わないけどね。マジで、マ・ジ・でイライラする。

ジョニー:今までに、行ったクラブで、一番いいところって、何処?

クリス:最高にエキサイティングだったのが、ニューヨークのFun HouseJellybean BenitezDJをしてた。客たちはみんな、すごいファッションで決めた若いラティーノ達で、踊り狂っていた。音楽はすごくエキサイティングで、フレッシュで、僕はこれまでに聴いたことのないようなものばかりだった。以前、マドンナがJellybean Benitezと一緒に出ていたね。それからニューヨークはストリートでブレークダンスをするような面白いところだった。なにもかも新しかった。

今は、ほとんどクラブに行かない。僕たちが行ったベルリンにあるクラブは、ドイツの素晴らしいところだ。発電所の廃墟だった巨大な建物を改装して、彼らは自分たちの音楽をすごく真剣に受け止めている。ニューヨークはもうダメだな。

現在、ロンドン周辺の陰うつなものの1つは、ライブ会場がみんな閉店していることだ。アストリアはよく行った。僕たちは以前そこでよく素晴らしい夜を過したものだ。ハマースミス・パレスも閉店、カムデンのElectric Ballroomも閉店。すぐに、みんななくなってしまう。僕たちがロンドンに来た目的の場所は、みんななくなってしまっただろう。すでに、マーケットはみんな取り払われてしまった。均一化するつもりだ。十分な重要性をその場所に置いていないと思う。だれも、それに苦しめられるようには思えない。僕にとっては、アストリアはCrossrail(ロンドンの新しい鉄道)よりましだ。

ジョニー:1日だけいられるとしたら、どのバンドがいい?

クリス:マイアミでサタデー・ナイト・フィーバーをやっていたときのビージーズ。僕たちと働いていたブルー・ウィーバー・・・彼は、よく「Tragedy(ビージーズの歌)で花火を爆破したものだった。僕は、気にしないけど。

ニール:間違いなく、デヴィッド・ボウイ。でもまあ、僕たちは一緒にやったけど。

クリス:君は4番目のスプリームス(Supremes3人組女性ボーカルグループ)だったかもな。

(おわり)

***

Fun House
・・・
526 West 26th Street, New York, New Yorkニューヨークの人気クラブ。

Jellybean Benitez(1957-)・・・John Benitez。アメリカのDJFun House他、Electric CircusStudio54DJとしても知られる。マドンナを世に出した最初のアルバムを手がけている。

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○●○●NEWS10thアルバムYESがリリースされたよ!○●○●

みなさまご存知の通り。まだ十分に聞き込んでいないので、来月レビューを書く予定です。

 


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