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margaret
♪♪妄想乙女マーガレット通信★vol.76♪♪
別冊「まりりんの日記」/ペットさん(ペット・ショップ・ボーイズ)偏愛フリーペーパー
76号・20095月発行★発行人:まりりん石原、執筆乙女:マーガレット(題字:ニール王子)

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OUT」マガジンインタビュー▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

アメリカのメジャー・ゲイ雑誌「OUT」のウェブ・インタビューの訳です。彼らは案外ゲイ・メディアの取材には積極的ではないのですが、今回の新しいアルバムYESは、1993年のVERY(Go west」収録)以来の売り上げを記録し、アメリカでのPSB復活のきざしともなっています。アメリカの若い世代はもしかしたらPSBを知らないかもしれないので、いい機会だと思います。

http://www.out.com/detail.asp?page=1&id=25235

25年間、ペット・ショップ・ボーイズは私たちの人生にサウンドトラックを書いている。 10枚のアルバムを出して、彼らはいまだ重要だ。

By Andrew Sullivan

私はかつてワシントンDCで政治記者として、何人かのシリアスな政治家と面談したのは幸運だった。私には、それを立証するために無神経になっている懐疑がある。 私はオバマと電話した。マケインと食事した。法王を見た。首相を尋問した。これらは、ワシントンでの私の仕事の特権だ。しかし、私がニール・テナントとクリス・ロウと話すことのナーヴァスとスリルはそれらをはるかに凌ぐ。(前文後略)

アンドリュー・サリバン(AS):人々が持っているように思える誤解は、あなたが80年代のシンセ・ポップスにこだわっているということです。都合が悪いというわけではありませんが。

ニール・テナント(NT):僕たちはそれがとても好きなんだ。

AS:
私もとても好きです。 しかし、現在までの20年間以上、あなた方は多くの生活の変わり続けるサウンドトラックです。これは深読みし過ぎですか?またはあなたは違った期間の歴史をカバーすると、あなたの仕事のアークを考えますか?

NT:
僕は実際にやるよ。 ペット・ショップ・ボーイズの10枚のアルバムは一種の社会史で「Lets Make Lots of Money」から「Love Etc.」まで、それらは両方「マーケットは、重要である唯一のもの」というお金の文化のブックエンドの種類だ。僕たちは25年間以上の歴史を持っている。そしてそれは慎重だった。僕たちがやることは、起こっていることに関するコメントだ。皮肉とか変わった方法でやる。

クリス・ロウ(CL): 僕たちは、わざとユーモアをやる数少ないグループの1つであると思う。

AS:
私が今までに実際に聞いた中で最もおもしろかったのは、あなた方のU2のカバー「Where the Streets Have No Name」です。

CL:
それは、”ファニー”って意味じゃないよ()

AS:
また、あなた方の音楽の中に、エイズ禍のアークがありますね。

NT:
エイズ禍に関する多くの歌がある。

AS
:それは「It Couldnt Happen Here」から始まったと推測しますが、どうでしょう?

NT:
僕の親友は1986年にエイズと診断された。その歌は僕たちがしていた会話の記述だ。僕はいろんな理由で、最初のころ、エイズはイギリスで起こらないだろうと、彼が言ったのを覚えている。僕たちはそれに関してはちょっとホッとしていた。

AS
:「Your Funny Uncle」は彼の葬儀ですね?

NT:
うん。「Being Boring」と同じ奴だ。 僕がニューカッスルで育ったころ、僕の最初のバンドは、信じようと信じまいとIncredible String Bandから影響を受けたDustと言うグループで、彼はそれのもう一人の男だった。あと2人の女の子がいた。それから僕たちは音楽性の違い…すなわち、彼はIncredible String Bandになりたくて、僕がデヴィッド・ボウイになりたかったから解散した。「Being Boring」は、僕たちが開いたパーティーの記述、「Your Funny Uncle」は彼の葬儀、そして「It Couldnt Happen Here」は再びティーンエイジャーとして僕たちを振り返っている。

さらに、あなた方の最近の作品には、不吉な予感、コンビネーション、宗教や核エネルギーの感覚があります。あなた方は根本主義者の宗教を恐れます。さらにあなた方は警察国家を恐れます。

CL:
僕たちは監視文化に凄くいらついているんだ。

NT:
僕は理由がわからない。チェルシーのキングス・ロードを歩いているとき、多くの監視カメラによって撮影されるべきだなんて。我々が装置を作製しなければならないと思わない。それは第1に、虐待のために開かれている。でも…おそらく…よくあることだけど、一部の愚か者に台無しにされるだろうけどね。

AS:
それは歴史の陰謀説ではありません…それは支離滅裂理論です。

NT:
あ〜、僕は支離滅裂理論の人以上だ。 現実を直視しよう。911以来、この10年間はかなり暗い。 そして、それは、始めにそうであったように本当にセットアップされなかった?

AS
しかし、あなた方の歌はある意味で本当には解決策を提供しません。

NT:
ああ、彼らはやめないつもりだ。さもなければ、1つは政治家になることだろう。

AS
しかしながら、彼らは批評を提供します。例えば、 Fundamentalの「Luna Park」は博覧会会場に設置されます。それはこの時代の西洋への比喩ですか?

NT:
それはたぶんアメリカだ。 だれかが夜に明かりの中の博覧会会場を見て、人々がビッグ・ディッパーや射撃場で叫び声を上げる。僕は、それが特にオリジナルの比喩でないと言っているけど、それは、人々が、なぜおびえるのを楽しむか、それが政治的に使用されるかどうかということ。 それは政治的に完了していると思う。特定の時期のアメリカ…アメリカ大統領と彼の取り巻きがそれをしていたと思う。

AS:
最初のテロは明らかに全く理解できましたが。

NT:
ああ、最初のテロは理解できた。その時、アメリカは、世界の道徳的な指導部を持って、それを捨てた。

AS:
オバマは、ある意味でそれを取り戻す、遅れてきた試みです。

NT:
うん、私は彼はたぶんそうだと思う。

AS:
あなたは懐疑的ですね。

NT:
いやいやいや、僕たちはオバマがとても好きさ。ヨーロッパはオバマに熱狂している。僕たち、みんなそうだ。皆は、彼がセクシーだと考えている。 僕の母が言うように、かわいい歯をしているって。

AS
そして、彼は滑らかに進みます。彼には、大きな身体的な流暢さがあります。

NT
:彼は、実最、非常に良い枢機卿、彼がサン・ピエトロ寺院の中でそういう流れ作った。彼は、そういう関係を得た。彼はまさしく今、尊厳を取り戻した。それは背景を文化的な課題に付ける驚くべきものだ。ちょっとありきたり、と言われる「More Than a Dream」という歌が僕らのアルバムにある。そして、その精神は我々が現在乗っているものだ。もちろん、僕たちは経済危機の前にそれを書いた。

AS:
新しいアルバムには、浮遊感とポジティヴ、損失が絶妙な感覚でからみ合ったすばらしい熱意のコンビネーションがあります。ある点では、それは同時に、ロウ=テナントの損失とエネルギーのコンビネーションです。

CL:
僕は、その合体がマジでペット・ショップ・ボーイズであるか考え出す。さらに、アガっていくダンスビートに投入された憂愁がある。

NT:
それは、ロマンスとリアリズム、理想と現実だ。正反対のものはいつも僕の心を魅了する。

AS:
それが上がると予想すると突然、落ちるのを感じます。

CL:
まさしく。即興でペット・ショップ・ボーイズ・サウンドを創りたいなら、いくつかのドラムンベースの音をプログラムして、その上でA短調のコードを演奏する…「オーマイゴッド、ペット・ショップ・ボーイズみたいに聞こえる!ああ、トリックなんじゃない?」

AS:
さらに、あなた方の音楽は20年間、ゲイ男性に語っています。それは本当に、Stonewall以来の時間の半分です。同性愛者の人生がそのの間どう推移しているのについてあなた方はどのように現実と理想を考えますか?

NT:
えーと、君が参照した歌「It Couldnt Happen Here」は、誰かが高いヒールを履いているという雑誌からの引用がある。僕が1973年にロンドンに来たとき、それは僕のゲイ・クラブでの経験だ。その頃の同性愛者はまさしくみんなすごくzhuzhyみたいだった。スキンヘッドか何かのように装っているクローンたち以前だ。

AS: Zhuzhy? それを翻訳してもらえますか?

NT: Zhuzhy
は、ちょっとファビュラスなことを意味するんだ。たぶんスカーフを引きずって、たぶんマニキュアを着けて、すごくファッショナブルで、肩までとどくロングヘア。Zhuzhy()。以前はロンドンではよく言っていたよ。

AS:
それから?

NT:
皆が同じに見えたから、僕の有名なヘテロ時代に突入、僕は同性愛者の世界から離れていた。 この日まで、僕はみんなが同じに見えることは一度もなかった。

AS:
マッスル・メアリー(筋肉質のドラーグ・クィーン)は?

NT:
ああ、それは、クローンたちと、チェックのシャツと、501と、みんな同じ口髭。今、君は振り返ることができる。ちょっとキッチュに見える、それは「Tales of the City」だ。そういう時代だ。プロフェッショナルでナルシズム的で、マジでセックスが上手く思えたので、僕は疎外感を感じた。僕はあまりセクシーとか思えなかったからってのがすべてかな()

AS:
レザー・バーはどうですか?

CL: Mineshaft
が閉店するちょっと前に、僕たちは、一度行った。旅行者に変装して行ったよ。 そこは、空っぽで、すべてが陰鬱だった。 まさしくかつて良い時を見た、人影のないバスタブの列だ。

AS
ゴールデン・シャワーは最終的に止まりました。 もちろん数年間、クラブ・シーンは様々な変化に直面しています。 あなたはどのようにそれについて行きますか?

CL:
まあ、僕たちはクラビングが好きだ。

AS:
それはあなた方にとって、少し古くなりそうなポイントはありませんか?

CL:
僕は、毎年イビサに行く。むこうに行くことには全く問題はないさ。ベルリンでは、彼らはすごく真剣にダンス・ミュージックを受け止める。 僕たちは、真っ暗闇のダンス・ミュージックの夜に行った。そこは誰も踊ることができないように全く真っ暗闇なんだ。みんなは周囲にただ立っているだけ。 う〜ん、それは僕が思うに、本当に最先端なんだろ? まさしくチャットにぼんやり立っているインテリだ。

AS:
エイズから結婚権利への移行は、あなた方は何か取り組んだのですか?

NT
:僕は協力には取り組まなかった。でも僕がやったなら、それは諷刺的だったかも。それは、とても良い考えだ。

AS:
あなたは、結婚について考えましたか?

NT
:いや、僕はない。第一に、僕が必要とした所で、僕にはそういう関係になかった。彼らがゲイの結婚をしたとき、僕はシティにいた。そして僕は言った。「うん、それは素晴らしい、彼らはゲイの離婚を発明しそうだ。」で、もちろん、彼らは離婚した。

AS:
あなたは、本当はそれほど皮肉屋でありませんね?

NT
:君は正しい…僕はそうではない。僕はシニカル気味なところがある。でも、僕の情熱は音楽に使われる。

AS:
愛のカトリック擁護弁論が、あなたの歌の中、その指示において全くカトリックのようである人道性の根底にある感覚があります。

NT
:僕の両親からそれを得ていると思う。彼らはリベラルなカトリックになった。僕の両親は、この12ヵ月で両方とも亡くなったけど…素晴らしい旅をしていた。母は一度、明らかに僕の姉に尋ねた。「ニールは、彼らのうちの1人なの?」と。もちろん、彼らはサンデー・タイムズで僕がゲイであることを読んだ。僕らの家族において、ゲイのことは言うまでもなく、セックスについても決して話さなかったから。でも、彼らはこの素晴らしい旅を続けた。彼らは最後まで僕がゲイだという事実をほとんど好ましく思っていた。彼らは僕の姉が離婚しても、再婚するように忠告しなかった。ところが、1970年代なら、彼らは愕然としただろう…信じがたいほど仰天して。

AS:
あなたは、教会に戻ることを考えましたか?

NT:
いや。実際に、年をとるに応じて、僕はより宗教的でなくなった。 それでも、僕が「Its a Sin」を書いたときでさえ、僕の一部はたぶんカトリック教徒だった。しかし僕は、彼らが追い払ったキリスト教のものを、いつも好きだった!僕は、ラテン語とお香とそういう音楽と単声聖歌が好きだった。8才のとき、僕はアルター・ボーイ(少年侍者)だったので、僕は単声聖歌の中でラテン語をたくさん歌うことができた。

AS:
いくつかの点では、ブロードウェイについてはそれ以上何も、古いカトリック主義者の固まりよりありません。人々が何人のゲイが教会にいるかについて尋ねるとき、あなた方は言います「うーん、あなたは誰がヴァチカンの高さをつくったと思いますか?」と。それは一部の拷問されたクィーンであったにちがいありません。

NT
:特に英国国教会でね!同性愛についての議論があるのは彼らの皮肉だ。僕は常に思う。我々がすべての同性愛者の暴露、愛について話したら、何が残るだろう。でも、僕はいつもお香が好きだった。

AS:
アメリカが何故、比較的あなた方に抵抗があるマーケットだと思うか教えてください。なぜあなた方はここではよく知られた名前でないのでしょうか?

CL:
それはアメリカの損失だ。 すべてはアメリカで始まったのに(笑)。僕たちはここ、アメリカで「West End Girls」を作った。 それは初めて本当にロサンゼルスのKROQでプレーされた。でも、アメリカのラジオがそう決めたんでしょ? KROQのあるDJから聞いたんだけど、局のオーナーだかマネージャがある日、入ってきてNew Orderの「Blue Monday」のレコードを机に投げて、「二度とこれはかけないな。」と言ったって。なんというアメリカ的な仕事だ。

NT:
アメリカでは、僕たちが80年代下にファイルされると思う。アメリカのペット・ショップ・ボーイズのキャリアは1986年から1988年までで、事実上、その時に一連のヒットがある。僕たちはいつもラジオに出てるけど、「Left to My Own Devices」の歌が突然、気味悪い感じで終わっていた。そんな感じだ。今まで誰も、なぜそれが起こったかを説明してくれることはないけど、僕はただ考えた。彼らにとって僕らはそれで十分なんじゃないかと(笑)。僕は彼らを本当には非難しないけどね。でも、僕たちが好きだったことは、カルトに戻った。そこでは、僕たちはそれ以来ずっと、アメリカにすごく忠実に留まっている。

AS:
それは別種カルトですよ。 私は何人かの中年のユダヤ人の男たちがあなた方に夢中になることに驚いています。 私はワシントンのペット・ショップ・ボーイズのコンサートに行った時、若いおばあちゃん、ベビーブームに生まれたヒッピー、ゲイの男性、それから若い敏感な人たち、彼らみんな、一緒に大声で歌っていた。アメリカについてどう思いますか?

NT:
僕たちはとても好きだ。ペット・ショップ・ボーイズは常に、続いていることに代わるものであると主張した。それは1992年、Nirvanaが全てだった。ペット・ショップ・ボーイズはまだ存在する。2009年、Pussycat Dollsとかそういうものが全てだけど、ペット・ショップ・ボーイズはまだここにいる。 そして、僕は、アメリカの人々が僕たちの歌を聞くと想像して考える。ああ…ペット・ショップ・ボーイズ…。で、彼らは歌を買って、気付くとライザ・ミネリ、ダスティ・スプリングフィールド、マドンナのリミックスに、ワンワード・タイトル、デザイン、彼女らのビデオとレコーディングに突然ペット・ショップ・ボーイズのレコードの世界に引きこまれる。 それは競争しない方法だ。僕たちが本当の世界に存在しようとするから、実際のアメリカの成功には苦しめられない理由だ。 僕たちは自分自身の方法でやるし、概して、それは困難な方法だ。

AS:
困難ですが、一貫しています。 あなた方は、最初のアルバムの始まりからの最新のアルバムまでの間に明確な類似を見ることができます。 それは、新たに造幣された状態で来たような気がします。同じ様に出続けます。

CL:
僕たちが歌を書く方法は基本的に同じだけど、技術は変化した。 でも、僕たちは技術で泥沼には落ちない。ペット・ショップ・ボーイズには、ソング・ライティングがある。

NT:
まあ、ファーストアルバムが出たとき、僕はかなり年食っていていたから。32歳くらいだった。

AS:
ポップ・スター歴はどちらが古いですか?

NT:
それは気違いじみて古い。 僕は一種の形成人間だ。 僕は10年間出版で働いていた。 14歳くらいの時から、たくさん歌を書いていたよ。で、クリスに会ったら、自分が音楽に関してよく知らなかったことがわかった。

CL:
僕らが書いたまさしく最初の歌、僕たちには、僕が使う単旋律のシンセサイザーやニールが弾くアコースティック・ギターがあった。僕たちは、2台のテープマシンにドラム音を作りかえるために、よく彼の食卓をどんどんたたいていたものさ。それはただメチャクチャ原始的だった。それで、僕たちはニューヨークに行った。

AS:
そこでボビーOと「West End Girls」をレコーディングしたんですね。

CL:
おもしろかったのは、すべてサンプリング・マシンでそれをやったということだ。 音は基本的に他の人々のレコードから抜粋された。ジェームズ・ブラウンからのサンプル、「Lets  Dance」からのドラム、でもバスがどこから来たかはわからない。

AS:
もっとも、あなた方の影響は物凄いですよ。ゲルハルト・リヒターやセルゲイ・エイゼンシュタインに言及しているコンテンポラリー・グループはなかなかありません。「戦艦ポチョムキン」のためのスコアは、平均的ポップ・グループができることではありません。 あなた方は、そのようなものを他に考えていますか?

NT:
僕たちは現在、サドラーズ・ウェルズ劇場のためにバレエを書いている。ハンス・クリスティアン・アンデルセンの話に基づいているバレエだ。それまでやって来たように、それをやってくれるように頼まれた。 「戦艦ポチョムキン」はトラファルガー広場で、無料コンサートとして計画されてた。 人々はギューギューの状態で雨の中に立って無声映画を観賞した。

AS:
雨が激しく降っていましたね!

NT:
うん、皆はそこに立って楽しんでいた。僕たちはドレスデンで、この大きな共産主義のアパートメント・ブロックの上で映し出されたこの素晴らしいパフォーマンスをやった。 オーケストラはスクリーンの周りの個々のバルコニーに座っていた。 それは本当に素晴らしかった。僕たちは、こういうイベントが好きなんだ。それが、僕たちがシアトリカルなことをステージでやる理由だ。僕たちは僕たちのやることの意味を発表したいと思うから。終末の砲弾の上でね…。

AS:
私はとても感謝しています! ファンとして、あなた方がいまだ作品を創りだしていることに、私は非常に興奮しています。それは毎日、私の人生のクオリティを本当に向上させます。それは私に、人間として、ゲイの男として、孤独ではないと感じさせる音楽です。

NT:
陳腐に聞こえるのはわかっているけど、それは実際に僕たちが作品を書く理由の1つだ。

CL:
それは、仕事じゃないんだ。それは僕たちが実際に生きがいとする何かなんだ。 僕たちは舞台裏で一度、何人かのファンに会った。僕は彼らと話し始めて、彼らはすぐに気がついた。僕がペット・ショップ・ボーイズについて十分知らないから、僕に背を向けておしゃべりを続けた。それには文字通り価値がなかったから、僕は会話から外された。マジでおかしかったな。

AS:
それは真実ですよ。 ある意味、ペット・ショップ・ボーイズはあなた方のものではなく、私たちのペット・ショップ・ボーイズです。

CL:
全く。それはわかっている。それはもう我々に関係する事じゃない。


 


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