ペットショップボーイズの基礎知識

 PSBを安心して好きになれる5つの理由
Rules & Regulations(トリセツ)
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加筆訂正・更新10/8

 

 

@とにかくまず曲ありき
@とにかくまず曲ありき
彼らは恐るべき「楽曲至上主義」です。基本的に詞=ニール+曲=クリス、それにいろいろな才能をプラスして最高によいものを作り上げる。リミックス人材のセンスも、音楽界を知り尽くしていないとできないほど卓越しています。パソコンでチャチャっと曲が作れる時代だからこそ、計算しつくされた、こだわりぬいた品質のものしか世に出さないのです。80年代絶頂時代にしがみつくなんてこともナシ、自然体で21世紀にシフト。まさに匠の技。デリ〜シャス。

Aブレがない
彼らの発言、行動にはブレや矛盾がありません。基本はラヴ&ピース。それにシニカルなスパイス、時々乙女な甘口スイーツ。作品の、いい意味での裏切りはあります。思いっきりエッジな部分から超ベタまで守備範囲は恐ろしく広いですけど、言いたいことはただひとつ、「愛こそ全て!」きゃ〜すてき。

B多分終わらない
彼らのパートナーシップは27年目、プロとしては22年目。すでに銀婚式を迎えた超安定カップルです。なぜこれまでコンビ別れをしなかったのかは本人たち以外には計り知れませんが、ザイル、いやNASA御用達ハイテク化学繊維以上に太い絆で結ばれています。彼らそれぞれの恋人にさえ・・・誰にも2人の絆を切るのは不可能。永遠に切れません。また、彼らの音楽的探究心、進化にも終わりはありません。全く古くならないのです。

C愛すべき高潔な人格
まじめです。チャラチャラしてません。さすが、2人とも社会人時代がありますから。また、2人は育ちが大変によろしい。2人とも、中産階級のきちんとした教育と、温かい家庭の長男として育ったので、人間としての基本がしっかりしています。芸能人というより、まず人間として尊敬できるのです。
ニールは特にファンにはめちゃくちゃ優しいです。クリスは恥ずかしがりやですが、ファンのことはちゃんと見ています。愛をキチンと受け止めてくれます (でもファンだからって言って寄ってっても抱いてくれませんよ・・・身持ちが硬いですから)。とにかく2人は有名人なのに常識人、“普通”が何かわかっているからこそ、共感できる曲を書けるのです。ゲイカルチャーだけに固執することもないし。

Dまじめ!
彼らにスキャンダルやゴシップは無用。基本、彼らは音楽職人、地味な性格です。パーティ・セレブや派手な人たちとはほとんど付き合わないし、ドラッグ・犯罪・恋愛イザコザ、皆無です。ファンをがっかりさせるようなことはしません。えらそうなこと言っててもコロッと若いモデルのおねえちゃんに引っかかって尻にひかれてなんだかな、ってなるような“女関係ドン引き”なこともナシ!安心して好きになって下さい。実際は、まじめでカタいゲイは扱いが難しいと、ゴシップ誌のほうが敬遠しているという話だけど・・・まあ、いっか!

 


 

 

 


 


 

 

★クリス    ★コラボレーテッド★    ニール★

本名:Christopher Sean Lowe

誕生日:4/OCT./1959

生誕地:Blackpool,Lancashire,England,UK
近隣での引越し多数

本名:Neil Francis Tennant

誕生日:10/JULY/1954

生誕地:Shields,Nortumberland,England,UK
青春時代はNewcatsleで過ごす

現在:ロンドン在住

現在:ロンドン(チェルシー)在住
4軒の物件所有

星座:てんびん座

血液型:不明

星座:かに座

血液型:A型

 


休火山型・永遠のレイヴDJ

 

 


図書室乙女系・散文詩人

 

クラブ系・レイヴ系音楽をはじめ、最近のポップス、TV、映画もたしなむポピュラリティ体質。PSBの音全般、ライブではキーボード担当。多くを語らずクールを貫いているが、時々すばらしく噴火する。意外にバリトンボイス。

ファッションはカジュアル。常にあらゆる帽子と眼鏡(サングラス)を着用。

クラシック音楽と文学、美術を愛するインテリ系ミュージシャン。最近はプロデュースなども。PSBの主に歌詞&ヴォーカル担当で、彼の乙女系私生活がちらほら。ライブではアコースティックギターも弾く。甘い声が特徴。

ファッションはコンサバ系が多い。カウボーイハットだけはニールの方が着用している。

4人兄妹弟の長男

4人兄弟の2番目(姉一人、弟2人)

ペットは不明だが、犬好き

ペットはオス犬、メス猫、兎
(ただし、猫アレルギー)

セクシャリティは不明(未宣言)
‘89〜’94まで、アシスタントのピーター・アンドレアス(‘94・3月、死去)と同棲歴あり

現在は“若い子が好き”と思われる

30歳くらいまでは“どっちつかず”状態、
1994年、ゲイ雑誌でカミングアウト
英国ポップス界のゲイ・アイコン

多数の友人をエイズで失っている

視力不明

コンタクトレンズまたはメガネ使用

運転免許・愛車保持(ジープ、バイク)

運転免許なし

喫煙経験なし(嫌煙家)

喫煙経験あり、現在は吸わない

お金の使い道(想像):

多分、キーボードやシンセサイザーなど音楽用最新機器コレクター、ブランドの洋服など。でもかなり余っているはず。何に使っているの?

お金の使い道(かなり真実):

家(不動産)、ラファエル派の絵画収集、元が取れないかもしれないプロデュースなど、けっこうギャンブラーな大口買いが多い。

 

関係性:親友であり、ビジネスパートナーを25年続けている

「2人のゲイ・デュオ」というと、よく「2人は付き合ってんのか」と思われるようだけど、それはほとんどない。何しろ、2人の異性の・・・じゃない、同性の趣味は違いすぎるし、ゲイカップルが公私とも24年もうまくやっていけるなんて奇跡に近いし。
ただ、限りなく愛情に近い友情はありそう。ニールがタバコをやめたのは嫌煙家のクリスのためだし、まだデビュー前、曲作りのため週末だけロンドンに通っていたクリスを自分のアパートに泊めていたし。人生の半分以上を共有している仲であるし。
仲のいい女子高生かOLみたいです。

ただ、ニールはクリスを天才だといってはばからないし、
2004年収録のコメンタリーでは、
豹柄の衣装のクリスに「かっこいい」と2度も言っているので、
クリスのことを相当好きなんだな〜というのは薄々わかりますね。
ちなみニールのママもクリスが大好きらしいっすよ!

 

2007年の二人

 

 


出身地について



★平たく言えば、二人ともロンドンのはるか北、田舎出身である。
ノーザンバーランドは国立公園があるハイキングに最適な草原地帯、ニューカッスルは炭鉱で栄えた地方
市。意外に夜の歓楽街が充実している。
イメージとしては北海道・・・釧路平原、夕張炭鉱・・・?
ブラックプールはリバプールの近郊の海浜保養地。マン島の向側。現在は大きなアミューズメントパーク(プレジャー・ビーチ)がある。社交ダンスの聖地らしい。
イメージは・・・熱海?伊豆?伊東?

2人はロンドンを目指した。
(「ロンリープラネット」英国より)

 

 

 

 


 


 

 

妄想の歴史


 

Christopher Sean Lowe



小さいころから半パン王子

Neil Francis Tennant



姉と。すでにスターオーラを放つ、ガーリーなポーズ


秋風立つイングランド北西部の海岸の街ブラックプールで、1959年10月4日、Clifford とVivien のLowe夫妻に、待望の第1子の長男が誕生。名前をC
hristopher Seanクリストファー・ショーンといい、それはもう、天使のように愛らしく、世界中の祝福を受けたのです。家族には後に妹Vicki、弟TimとGregが生まれます。ロウ家は音楽一家で、トロンボーンが趣味の祖父と父、バレエ講師の母に囲まれ、自身も幼少の頃からピアノとトロンボーンをたしなみます。また、スポーツ万能で学業秀才な子供でもあったのです。

イングランドの熱海ことブラックプールはソシアル・ダンスの聖地として世界的に有名で、また、テーマパーク「プレジャーランド」があることでも知られ、クリスはこののんびりとした町で高校(Arnold sc
hool)まで過ごします。2006年に彼は母校を表敬訪問しています。高校時代、彼は地元のバンドOne Under the Eightでトロンボーンを担当していました。クリスのトロンボーナー姿は1987年の「What have I done to deserve this?」のプロモーションビデオで見ることが出来ます。ハンサムでスポーツも音楽も学業も万能のクリスは、さぞかしモテモテの青春時代を送ったに違いありません。ただ、自分では“ガリ勉のつまんない奴”と評価しています。学生時代の友人、初恋や初デートなどの青春時代の想い出は、彼の口から語られたことはほとんどありません(もちろん大人になってからの恋愛や私生活もいっさい語っていませんが)。ニールに言わせれば、クリスは「PSBのエロ担当のほう」なんですが、ニールがそれをやらせたがっているようにしか思えません。相方を欲情させてどうする、べびたん。

優秀な成績で、クリスはリバプール大学の建築科に進学します。基本的に建築科は理数系なので、これが今後のクリスの音楽を理数的にコンポーズ(構成)していく素地になっているのかもしれません。
クリスがディスコ・ミュージックに出会ったのは、映画「サタデーナイト・フィーヴァー」(1977年:クリス18歳)だと言われています。これまでの真面目なクリストファーから、ディスコに目覚める遅咲きデビューを飾ったのもこの頃だと思われます。また、リバプール大学時代、オペラ「カルメン」で舞台に立っていますが、役柄などの詳細は不明です。

卒業後、クリスは建設設計会社Mic
hael Auckett Associatesに就職。Milton Keynes市の産業館の階段の手すりを設計します。これが現存する、唯一の建築家クリスとしての世界遺産といえるのではないでしょうか。なぜなら、クリスはこれから間もなく建築の仕事を辞しています。彼は卒業の前年、1981年にロンドンでニール・テナントと出会い、音楽を本気の趣味・・・できればプロの道を目指し、多忙な建築の道を諦めたのかもしれません。当時まだリバプールに住んでいたクリスは、ロンドンを訪れるたび、ニールの職場であるスマッシュ・ヒッツ誌の編集部に出入りしたり、ロンドンのクラブを遊びまわっていたようです。宿泊先がニールの一人暮らしのフラットだったため、あらゆる憶測を呼んでしまいましたが・・・。ちなみに建築会社を辞めたあとクリスはロンドンに上京し、ハロッズのおもちゃ売り場で働いていますが、ここも早くに辞めています。

それ以後のクリスは「West End」を経て“「Pet S
hop Boys」の天才肌のほう“として語られるとおりです。なにしろデビューからこれまで20年以上も私生活を極力口にしないことでプライバシーを守ってきた彼ですから、そう簡単に推測することは出来ませんが、ニールが言うとおり“プライベートではよく喋るし、よく笑う”ことは本当のようです。事実、時折見せる笑顔は、多くのPETHEADたちをメロメロにしてしまうのです。「クリシー・ベイビー」というあだ名も伊達ではありません。彼ほど“つれないのにもかかわらずファンに愛される人も珍しいといえます。18歳から現在48歳まで独身の1人暮らしを貫いていますが、ちょっとだけ同棲していた時期もあるようです。2007年の初め頃、自分のフラットを売ってしまい、ホテル暮らしだと言っておりました。ここ数年は、妹のVictoriaと一緒にいるところを目撃されることが多いようです。

どちらかといえば、熱狂的PSBのファンは、クリスのファンが多いように見受けられます。ライブでも、クリスの名前を絶叫するファン(海外では特に男性)がとても多いです。
「僕は変人に好かれる」(byクリス)
クリスに夢中になってしまったら、あなたはもう筋金入り、本物のPETHEADです!



1954年7月10日、イングランドの北の外れ、ノーサンバーランドの
Brunton ParkにあるWilliamとSheila Tennant夫婦2人目の子供・長男として産声をあげたブルーの瞳の美しき男児は、ニール・フランシスと名づけられます。一家はほどなく北イングランド随一の炭鉱町、ニューカッスルにお引越し、ニールは18歳までこの街で育ちます。ちなみに姉はSusan, 弟はPhillipと Simon。
イングランドで最もヤロウ臭くて訛りの強いニューカッスルで育ったのにもかかわらず、ニールは美しい標準語でした(本当)。
ファーストキスは9歳、同級生の女子と、教室で。インテリって早熟なのよね。

幼い頃から賢かったニール少年は、12歳でオスカー・ワイルドの伝記に衝撃を受け、「自分と同じじゃん!」と叫んだと言われています。そう、彼は小6で自分がゲイだと気がつきます。
15歳でカトリックの男子校、
St. Cuthbert's Grammar Schoolに入学。3年先輩にStingがいます。ニアミス。彼はここではカトリックのうんざりする教えを受け、「なよなよしている。」「おとこおんな。」といじめられたため、「有名になっていつか見返してやる」というハングリー精神を培います。
また高校時代は演劇、ギター、チェロなどをたしなみ、地元の「ダスト」というバンドに加入。このバンド時代に知り合った女性と初交際、17歳で童貞を捨てています。なお、同性との初体験年齢は不明です。

1975年、高校を卒業したニールはロンドンに上京、T
he Polytechnic Institute of North London (現在の北ロンドン大学)に入学、青春を謳歌します。卒業後はマーベル・コミックで米語のつづりを英語に直す仕事に就き、その後、Macdonald Educational Publishingに入社。1家に1冊のベストセラー「The Dairy Book of Home Management」を手がけ、その後イギリスを代表するポップ音楽雑誌「Smash Hits」のライター&エディターとして活躍、マーク・ボランにインタビューに行くも、テープレコーダーのスイッチを入れ忘れるなどの和み系キャラとして編集部の人気者に。同僚のゲイからは「Bitch」とあだ名をつけられます。ただ、20代まではちょいちょい女性とも付き合っていたようです。なお、編集局次長にまで昇進しております。

1981年8月19日、真夏の昼下がり、運命の出会いをします。ロンドンのキングス・ロードにふらっと買い物に出かけた彼は、絶世の美青年を目撃します。音楽パーツ店に入る美青年を追い、ニールも入店、チラ見していたら青年のほうから声をかけてきました。てっきり「エロオヤジ!」とか怒鳴られると思ったら、なんと意気投合。ニールは彼に、自宅の電話番号を渡して遊びに来てね、と誘いをかけます。その青年こそ、当時リバプール大学の学生で、たまたまロンドンに遊びに来ていた21歳のクリス・ロウだったのです!
数日後、クリスはニールのアパートに本当に遊びに来ました。音楽の話で盛り上がり、そのうち共同で曲を書き始めます。彼らはユニット名を「West End」と名づけます。クリスはニールのアパートを“ロンドンのねぐら”とし、会社にもちょくちょく遊びに行っていたため、ニールのママさえ、2人は付き合っていると勘違いしていたようです。余談ですが、初代マネージャー、トム氏も2人が付き合っていると思っていたそうです。

1984年、取材の仕事(高校の先輩・Stingのインタビュー)でニールは、ニューヨークに子猫ちゃん・・・じゃない、クリスを連れて短期間滞在します。レストラン「APPLEJACK」でボビー・Oにランチ(チーズ・バーガーとキャロットケーキ)をおごり、デビューのきっかけをつかんだのは超有名な話です。ユニット名を「Pet S
hop Boys」に変更。
ニールは会社に、「デビューするので、会社辞めます。」と、辞表を出しますが、誰も笑って本気にしませんでした。1年後、編集局次長と子猫ちゃんが、古巣「Smas
h Hits」の表紙を飾るとは、誰が予想できたことでしょう!!
デビュー時にちょっとだけトラぶったものの、以後の22年はトップ・オブ・ポップ・キングに君臨し、いまだ衰えるどころかますますお盛ん。1994年、40歳の時ゲイ雑誌で正式にカミングアウトし、ゲイ・パワー・リスト(ピンクリスト)の順位を毎年ジワジワ上げていくという、浮き沈みの激しいポップ・ミュージック会に於いて、凡人にはなかなかできない偉業・荒業に挑んでおられます。

 

 

 


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