ACTUALLY1-6
「It couldn’t happen here」
クリス:抜けている一行・・・それが起こるまでは
(一言コメント:1999年)
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原文歌詞はこちらでご確認ください
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昨日がどんなにはっきり見えたか覚えている
雑誌を真似て6インチのヒールを履いていた
なんだってできると、君は思っていた
そこまではよかった
誰かが、何様と思っているんだ、と聞いた
誰が請求書を払ってやってんだと
誰のおかげでここまで来れた、と
そいつを無視してドアを閉め、鍵を掛けた
そこまではよかった
まったく、信じられない
僕たちは飲みすぎて、みんなを起こしてしまった
間違っているかもしれないけど、僕たちは言ったはずだ
ここでこんなことが起きるはずない、と
意味深に言おうとは思わない
僕たちの威厳と傷つけられた無実
君の苦闘の傷跡に矛盾する
なんとかここまで治ったんだ
まったく、信じられない
僕たちは笑い過ぎすぎて、みんなを起こしてしまった
間違っているかもしれないけど、僕らは言ったよね
ここでこんなことが起きるはずない、と
まったく、信じられない
僕たちはスタート地点に戻ってしまったんだとわかった
間違っているかもしれないけど、僕たちは言ったはずだ
ここでこんなことが起きるはずない、と
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Written by Neil Tennant/Chris Lowe/Ennio Morricone
Produce by Pet Shop Boys and David
Jacob
クリス:この曲はちょっとした歴史があるんだ。先ず僕たちはイタリア人の映画音楽会の巨匠、エンリオ・モリコーネに、僕たちの書いた曲のアレンジをして欲しかった。でも彼はアレンジじゃなくて、B面の曲を共作するのならOKというんでそうすることにしたんだ。で、彼からテープが送られてきた。このコード進行がすごく良かったんでそれを生かしてサビのコーラスや詞をつけてテープを送り返す、ってやり取りが続いて。
ニール:で、曲のアレンジは他の人に頼むことにした。それが僕たちの大好きな映画「ブルー・ベルベット」のサントラを手がけたアンジェロ・バダラメンティで、彼にオーケストラのアレンジを頼んだんだ。オーケストラといってもフェアライト(コンピューター・シンセサイザー)にオーケストラのサウンドをプログラミングしたもので、本物のオーケストラのように聞こえるけどフェアライトなんだよ。ストリングのアレンジが素晴らしく美しい、とても悲しい曲だね。
(以上、1986年レコードライナー本人解説より)
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ニール: 「Jealousy」という歌・・・それは僕たちが書いた最初の歌の1つで、結局は「Behaviour」のためにレコーディングされた・・・を書きあげていた。そして、僕たちはエンニオ・モリコーネにストリング・アレンジメントをして欲しいと思った。トム・ワトキンスはエンニオ・モリコーネのマネージャを捜し出て、彼はサーム・ウエストに来た。そして、僕たちは彼に「Jealousy」をプレイした。彼はそれを気に入ったけど、何カ月も経って結局、エンニオ・モリコーネは「Jealousy」をアレンジしたがらなかった。彼は、僕たちと共に曲を書くと言った。彼らはイタリア語でその歌を送って来た。1970年頃のデヴィッド・ボウイのように聞こえた。 それは箱舟を建設する男のヘンな歌だった。僕たちはコーラスの旋律が気に入った。だから僕たちは、コーラスの旋律をピックアップして、新しい詞を書いた。そして、それが「It couldn't happen here」になった。僕たちは、それをエンニオ・モリコーネに送って、何も聞かなかった。最終的に,クリスと僕はある夜、映画「ブルー・ベルベット」を見に行って、音楽が気に入った。その音楽は、アンジェロ・バダラメンティの作曲で、彼は後に「ツイン・ピークス」の音楽を手がけて有名になった。「彼に代わりにアレンジメントをさせよう」と考た。
僕たちはスティーブン・ヒューグと歌をレコーディングしていた。彼はアンジェロ・バダラメンティのアレンジメントをレコーディングするためのオーケストラをアレンジしていなかったので、ちょっとした口論になったのを覚えている。で、ブルー・ウィーバーは、代わりに、オーケストラのサンプルを使用することで彼のフェアライトを持ち込んで、全体のアレンジメントをプログラムするのに2日間を費やした。 すべての部分をレコーディングするのにフェアライトを3個、異なったパスが必要だった。実際にそれはオーケストラからは決して得られない、非常に不気味なクオリティを全体のトラックに与えるんだ。それは、よりタイトに、より奇妙に聞こえる。結局、それは幸運な偶然の出来事だった。
これはたぶんアルバムの中で僕のお気に入りのトラックだ。 僕は、ダスティがラジオ1で、彼女のお気に入りのレコードのひとつをプレイしたのを覚えている。エルガーを彼女は思い出したと言っていた。歌詞はエイズ・キャリアだと診断された僕のある友人に関するものだ。
最初の詞では、僕たちは皆、グラムの時代のニューカッスルのティーンエイジャーだ。次に、歌はニューカッスルの場面について説明する: ”雑誌を真似した6インチのヒール”・・・僕たちはいつもHarpers
& Queenを買っていた。 僕たちは皆、すごく野心家だった。 「オマエは何様だ?」は、同性愛者の人々が有名過ぎたという考えを指している。多くの反同性愛者の美辞麗句が80年代にはあった。そしてエイズがやって来た。 僕は友人たちと、エイズについて議論した。人々が、それがアメリカ国内で広まったようには、イギリスでは広まらないだろうと言ったのを僕は覚えている。
僕たちは、そんなこと、ここで起こるはずがないと言った。
クリス: 元々、歌詞は続いた。”...just before it did(…そうなる前には)”僕は好きじゃない。僕はいつも”did”って単語はおかしすぎるって思っていた。
ニール: 敬意の流儀で、クリスはそれを笑うことで、取り外していた。歌はそれからゲイ・コミュニティにいかに影響していったか、そして、人々がゲイ・コミュニティに反応した方法へと続く。そして、これを議論することは、ほとんどゲイ・コミュニティが目に見え過ぎて、自分たちを責めたようだった。当時、多くは進行していた。3番目の歌詞は、人々が不合理にも、全てに反応して、それが正常な病気と同じように反応することができなかった事に反映している。彼が肺炎にかかっていて、ちょうど回復したところだったので、「baffle scars(苦闘の傷跡)」の歌詞は直接、僕の友人について言及している。歌では、僕は彼を演じた。彼はそれを気に入っていたけど、彼が、それが何についてなのか知っていたと思わない。それか、多分彼は知っていたけど、僕は彼に言わなかったし、彼に知って欲しかったとも思わない。
(以上、2001年ブックレットより)
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イメージビデオ(You Tube)
★用語・人物メモ★
エンニオ・モリコーネ(1928-)・・・イタリアの映画音楽の巨匠。代表曲は「アンタッチャブル」「ニュー・シネマ・パラダイス」「海に上のピアニスト」など、多数。
「ブルー・ベルベット」・・・デビッド・リンチがメジャー監督として認められるようになった1986年の映画。一見幸せそうなアメリカの日常に潜む闇を描いた傑作。タイトルはボビー・ヴィントンの歌(1963年)から。
アンジェロ・バダラメンティ(1937-)・・・デビッド・リンチの音楽を手がけていることで有名。
エルガー(1857-1934)・・・エドワード・エルガー。イギリスの作曲家、指揮者。代表曲は、行進曲「威風堂々(Pomp and Circumstance)」。
Harpers & Queen・・・イギリスのファッション雑誌(多分女性誌)。HPはこちら。
ニールの友人・・・「Being boring」参照。1989年に亡くなったChris
Dowell。逸話を聞くと、もしかしたらニールの最初のボーイフレンドかも?
PSB主演の映画の題名にもなっているが、とても痛々しい歌。発表した当時はニールの友人のエイズ感染が発覚したときのショックを歌ったものだとは明らかにされていなかったと思う(それゆえ当時は歌詞の解釈や訳が難しかった)。これも“事実を現実と受け止めるだけで、何も出来ない”歌。それをとても美しく悲しい音楽で昇華している。
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