BEHAVIOUR1-1

Being boring

boring


クリス:これはとても哀しい曲だよね?
(
一言コメント:1999)

 

 


原文歌詞はこちらでご確認ください


古い写真と、10代のころのパーティの
招待状を偶然見つけた
“ドレス・イン・ホワイト(白い衣装で)”と書かれていた
誰かの妻だった有名な作家が
1920
年代に言った
“若い頃は、いなくなった人に
感動を見出すことができる”
閉じかけたドアを開けて、
彼女が言った−“私たちは、決して退屈しなかった”

僕たちは、決して退屈しなかった
自分たちのための時間だったら、たくさんあった
僕たちは、決して退屈しなかった
ドレスアップしてケンカして、態度を改めようと思った
僕たちは、決して振り返らなかった
いつか終わりが来ることなんて考えなかった

僕が駅から街を出るとき
ナップザックを持ってすこし不安があった
誰かが言った
“気をつけないと、すべてを失うぞ”
1970
年代だった
でも、僕は未来を楽しみにしていたし
高い靴を履いていたし、自信もあった
僕は閉じかけたドアを開けて
決して退屈することはないと思った

僕たちは、決して退屈しなかった
ドレスアップしてケンカして
態度を改めようと思った
僕たちは、決して振り返らなかった
いつか終わりが来ることなんて考えなかった
僕たちはいつも過去を振り返りつつ
希望を持っていた
いつも友達が君を助けてくれる

今、僕は違う顔を持っている
借りた部屋や、他の国で
僕がキスした人たち・・・
ある人はここにいるし、ある人はもういない
今はもう1990年代
僕はいつも自分が望んだものになれるとは
夢見ていなかった
でも、夢は夢で
いつも君は僕と一緒にいてくれると思っていた

僕たちは、決して退屈しなかった
ドレスアップしてケンカして
態度を改めようと思った
僕たちは、決して振り返らなかった
いつか終わりが来ることなんて考えなかった
僕たちはいつも過去を振り返りつつ
希望を持っていた
いつも友達が君を助けてくれる

僕たちは、決して退屈しなかった、
決して退屈な存在ではなかった
僕たちは、決して退屈しなかった
決して退屈な存在ではなかった



Written by Neil Tennant/Chris Lowe

Produced by Pet Shop Boys and Harold Faltermeyer

 


クリス:僕らはこれをスコットランドで書いた。ニールがギターを買ったんだ。

ニール: 僕らはグラスゴーに行くことにした。理由は、1989年にツアーでそこに言って、いいと思ったから。僕らは西グラスゴーの気味悪い地域の小さいスタジオを借りた。スタジオの横に小さなギターショップがあって、そこの店員が僕にエレキギターを買わせたんだ。僕らは「My October symphony」「The end of the world」「Being boring」、一度も完成させていないロックソング「Love and war」という音楽をやった。その曲は、いつもブライアン・アダムスが歌うと僕は想像した。こんな歌:「今、君は根拠を知った/愛と戦争では全てが正しい/これは戦争だ」。でも、「Being boring」という曲を書きにここに来たとき、1つの計画があった。僕らはそれをすごく早く書いた。クリスが、歌をストック・エイケン・ウォーターマンのレコードのようにコーラスを上げるべきだと決めたのを思い出す・・・それは実際に完全に転調する方法ではとても彼らに影響された。半音上がって、歌詩はGに決め、次に、コーラスはまさにストック・エイケン・ウォーターマンのやったようなAフラットに上がる。僕らはコーラスのための彼らのシフトチェンジの方法に感銘した。誰かが日本で僕らは退屈だって言ったことで、「Being boring」という曲を書くアイデアをもらった。すごく音楽的フレーズだ。それを書き留めた。そして、僕は実際に作詞することによって、退屈であると呼ばれたペット・ショップ・ボーイズのイメージに立ち向かうという考えが好きだった。 僕は、僕たちだけが“退屈“と呼ばれる歌を書くことができると思った。そして、僕はニューカッスル時代からの僕の友人からアイデアをもらった。彼は亡くなっていて、彼の葬儀は「Your funny uncle」で書かれている。僕らはほとんど一緒に人生を歩んでいた。彼は1972年にニューカッスルでパーティを催した。白い服がドレスコードで、”The Great Urban Dionysia“といって、ゼルダ・フィッツジェラルド・・・F・スコット・フィッツジェラルドの妻の1922年の招待状を引用した。「Being boring」は僕にこれを思い出させた。引用は、「彼女はそれを必要としなかったので、厚化粧で顔をメイクした。彼女が退屈でなかったので主として退屈するのを拒否した。 彼女がしたことは、彼女がいつもしたがっていたことであることをわかっていた」。それは僕に、僕たちの人生が行く方法を考えさた。 それは異なった30年間の3つの歌詞だ。 これをレコーディングしたとき、僕らは異なったそれぞれの10年に一つの音楽の参照をしようと思ったけど、最終的にはそうしなかった。 最初の歌詞は1920年代に設定される。女性は招待状を書いて、次に、僕が自分の名利を求めるためにロンドンに移る快楽主義の1970年代前半へ移行する。誰かが僕らに言った。「たくさんのトラブルは、18歳までに全て経験してしまうだろう。君にはもう経験することはないさ。」と。それから時代は1999年代初頭に移る。僕の友人が死んだときだ。僕はいつも彼が僕と共にいてくれると思っていたので、親友が死ぬことは悲しみでしかない。10代のとき、いつも僕らは退屈な人生を送らないように議論していた。いつも僕らはなにか違ったことをしようと思っていた。それから至って、僕はポップスターになり、ちょうどそのとき、彼は重体に陥っていたんだ。

クリス:僕らは、この歌のキーを正しくするという大問題があった。

ニール:ヴォーカルはほとんど静かだ。 それはすごく、すごく静かにレコーディングされた。僕は、これが誰かが耳元で囁いているように聞こえたらいい、と思う。歌いにくかった。1991年のツアーで、この曲を歌わなかった理由だ。結局、アンコールで加えたけど・・・例えば、アクセル・ローズが不満を言ったとか。「Behaviour」のオープニングのこのバージョンは、12インチのミックスのようにスタートする。このトラックが十分でなかったので、僕たちはジュリアン・メンデルゾーンに12インチのミックスをさせた。このケースのように、僕らは時々、オリジナルバージョンで使えるアイデアを12インチバージョンが与えてくれることを願っている。J.J.ベルが前のほうと後ろのほうでギターを弾くのが聞こえるだろう。それて、ドミニク・クラークはこのプラスチック・チューブ・・・始めに聞くことができる雑音、をプレーした。 僕らはスタジオで笑ったね。

クリス:それをより速く回転させればさせるほど、注意をひく。

ニール:はじめのインストゥメンタルの部分は、実際にはトラックの最後にレコーディングされていて、それからスタートに編集された。レイヴの影響も聞くことが出来るね。「Funky Drummer」のサンプルが「Being boring」に入っている。再演奏されたものを除いてね。

クリス:ハロルド・ファルターメイヤーは、ずっとそうしてきた。なぜなら、彼が数学的に全てをやらなければならないから、シンクラヴィア(シンセ楽器)は音量をそんなに必要としないんだ。

ニール:「Being boring」は「Behaviour」のセカンドシングルとしてリリースされた。僕らはある日曜日の午後に、オフィスで撮影会をしていたんだけど、チャートで36位だった。僕らはお互いの顔を見合わせたね。次週には上がって、最終的には20位までゆっくり上がった。でも、この曲は、みんな突然本当に好きになった。今では、みんなのお気に入りの曲のひとつだ。

クリス:結局、チャートが重要な要素じゃないということを示した。「Being boring」は「Heart(*全英1位になった)とは別のカテゴリーにある。

 (
以上、2001年ブックレットより)


 


ニール:きっかけは、日本の新聞に「ペット・ショップ・ボーイズは退屈だ(Pet Shop Boys being boring)」って書かれたこと。なんだか音楽的フレーズだと思ったんだ。それで、10代のことを思い出した。ニューカッスルで、友達がいっぱいいて、いつも若者向けの劇場に入り浸っていた、今でもある劇場だ。野望は、退屈な仕事には就かないこと、何か違うことをやるってこと。みんなにそう言い回っていたよ。僕は17で、ポップスターになるんだって宣言していた。だから、これは自伝的な歌でもある。ある市、パーティがあって、招待状のドレスコードが「白い服」だった。曲中でも歌われていて、スコット・フィッツジェラルドの妻ゼルダの短編から引用している。「彼女は決して退屈しなかった。おもな理由は、彼女が退屈な人間ではなかったからだ」。そういうのを全部歌にした。その意味では、ニューカッスル育ちでロンドンに出ていった僕の自伝的作品とも言える。これまでにないとても優しい質感の作品で、とても気に入っているよ。実際には難しい曲だった。ヴォーカルは全部、最後まで2オクターブでトラッキングした。僕は低音と高音を同時に歌っているんだ。

クリス: うん、この曲は厄介だったね。正しいキーを得るのに一苦労だった。いつも高すぎるか低すぎるか、どっちかなんだ。それが全体を2オクターブで歌った理由。この曲はダメじゃないかとずっと思っていた。すごく忍耐力を要求されたよ。あらゆるキーで試して見て、ようやくここにたどり着いたんだ。

ニール:そうそう。でも、とても美しい感触の曲に仕上がった。そしてブルース・ウェバーと一緒にビデオを制作した。これもすごく美しい作品で曲にマッチしている。間違いなくこれまでのお気に入りのひとつだ。

 (以上、2003年「POPART」ブックレットより)


 

プロモーションビデオ(You Tube)




ライブ(2002年頃)(You Tube)




1990
年シングルはUKチャート最高20

*この曲は「マーガレット通信vol.57」の“1曲に固執してみる”でも取り上げています



(
ブルース・ウェバーによる筆記:僕は北イングランドのニューカッスルから来た。僕らはたくさんのパーティを開き、そこではみなドレスアップしていた。あるパーティの招待状に、彼女は決して退屈しなかった。なぜなら彼女が退屈な人間ではなかったからだと引用してあった。この歌は成長することについて・・・君が若かったときの理想、どうやって方向転換するかということについて。ペット・ショップ・ボーイズ)

クリス:裸だ
ニール: ついに裸を出した
―素晴らしい
ニール:これは既存の映像なんだ
―手書きの出し方が見事だ。意図していた?
ニール:いや、ただ映像を見ながら内容を検討していたときにこれを監督が書いたんだ
―階段のシーンから始まる予定だったね
ニール:そう言っていたのは僕なんだ
―撮るのが楽しいビデオだな
ニール:ロングアイランドの家を1日借り切って撮影した
クリス:ご馳走つきで
ニール:ご馳走は・・・()優先事項さ
―クチパクなしの初めてのビデオかな
クリス:音楽を流しながら楽しく撮影したんだ
ニール:監督は誰をどう撮るか撮影前に決めていたようだった
―監督の初めてのビデオ?
ニール:僕はそう思っていたが、経験者だという人が多い
クリス:それはハーブ
ニール:ハーブ・リッツだよ
クリス:コピーが多数出回った
ニール:そうだね。物議をかもしたからね。冒頭のヌードシーンと後半の性描写を問題にされたんだ
クリス:パーティだ
ニール:楽しかったよ・・・彼はティエリー・ミュグレーの兄弟だ・・・愉快なステップだ
クリス:犬まであくびを()
―ウマやチンパンジーもいる
ニール:ワイルドパーティだ・・・ミュグレーのサングラス、クリスがしてた。音楽と映像が調和している。僕らのダンスはない()。いつもとは違う。
―監督に願い出なかった?
ニール:作品に満足していたからね。「ドミノダンシング」を以前頼んだんだが、監督の合が悪かった。その頃からずっとファンだったんだ

聞き手―クリス・ヒース

 (
以上、2003POPART/DVDコメントより)
PV監督・・・Bruce Weber

 

 

★用語・人物メモ★

ブライアン・アダムス(1959-)・・・カナダ出身のミュージシャン。バラードからロックまで幅広い。日本でも人気、来日公演は多数。

ストック・エイケン・ウォーターマン・・・3人組音楽プロデューサー。80年代のユーロビートの立役者。

F・スコット・フィッツジェラルド(1896-1940)・・・アメリカの小説家。代表作は「華麗なるギャツビー」。

ゼルダ・フィッツジェラルド(1900-1948)・・・旧姓ゼルダ・セイヤー。1920年、スコット・フィッツジェラルドと結婚するが、晩年に別居している。詩人。

アクセル・ローズ(1962-)・・・ガンズ・アンド・ローゼスのヴォーカル。ソロでも活動。10年ほどの沈黙を破り、2007年に活動再開、来日公演もしたがいったんはドタキャンなど、いろいろお騒がせ。PSBのファンって言うけど
らしくないなあ。1991年のパフォーマンス・ツアーで、アクセルが見に来た日は、セットリストにはないにもかかわらず最後に「Being boring」を演奏したという。ただし、PSBとアクセルが実際に会ったのはこの夜の一度だけ。

ブルース・ウェバー(1946-)・・・ニューヨーク在住の写真家。「Being boring」は初監督PV2人の会話にもあるように、裸と性描写がひっかかり、十分MTVなどでオンエアできなかったのにもかかわらず、この年のミュージック・ウィーク誌のビデオ大賞に選ばれた。

ハーブ・リッツ(1952-2002)・・・アメリカのモード・アートの写真家。マドンナの「True blue」のアルバムジャケット写真や「Cherish」のPVなど、ミュージシャンとのコラボも多い。ジャネット・ジャクソンの「Love will never do (without you)PVMTVアワードを受賞している。HIVで死去。LGTB

ティエリー・ミュグレー(1948-)・・・フランス・ストラスブール生まれのファッション・デザイナー、写真家。かっちりとしたスーツ系が特色。かつてフレンチシンガー、ミレーヌ・ファルメールの舞台衣装を手がけたこともある。




PSBの代表的な美メロ&泣き曲。今では絶大な人気を誇るが、当時はシングルとしてPSBらしくないという評価だった。ライブでほとんどやらないのには、歌いにくいという理由があったんですね(20075月のヨーロッパライブでは、最後にやっていました・・・ホントに貴重だった)。
ところで、亡くなったニールのニューカッスル時代からの友人ですが、1991年に放送した「The South Bank Show」によると、名前はChris Dowell1989年にAIDSで亡くなっています(ソースはこちら)。このChris Dowellが、「Jealousy」の解説にでてくる“ニールが見つめすぎるからと、クリス・ロウに嫉妬するもうひとりのクリス”と同一人物かどうかはわからないけど、もしそうなら、ニールの友人というより、恋人だったのでは?と思える。そうではないにしても、この時代にAIDSで亡くなる男性はゲイが多かったから、ニールとはよりシンパシーを共有しあえる友人ではなかったのかと想像できる。そんな背景があるから、この曲はただのノスタルジーではなく、すごく悲しく聞こえる。おいそれと簡単には聞けない。



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