BILINGUAL*1-11
「To step aside」
ニール:時々そうしようかな、と思うときがあるよ
(一言コメント:1999年)
|
原文歌詞はこちらでご確認ください
|
太陽を浴びたカテドラルで
巡礼者たちは果たした旅を歌う
僕は短い人生を振り返る
飲んだシャンペンの総て
僕が知っているすべての顔
一人でどれだけ遠くまでいけるのか
もし脇にそれることができるのなら
隠していた感情の答えを出してみたい
僕は窓辺で広場を見下ろす
そこで辛抱強く列に並ぶ労働者たち
市場の力が施してくれる
歴史がここまで否定したもの
長い労働と待つより
違う運命を選ぶため
もし脇にそれることができるのなら
個人の心の中に戻ってみる
常に僕は君を必要としている?
僕がそうすることを望んでいる?
ずっと僕を愛してくれる?
君が思ったとおりに
春には雨を、夏には暑さをもたらすだろうか
ついにはひっくり返る
夏の暑さが突然寒くなる
年をとるように確実に
もし脇にそれることができるのなら
僕は忘れよう
僕が流した涙をすべて
|
Written by Neil Tennant/Chris Lowe
Produced by Pet Shop
Boys and Chris Porter
ニール:クリスは「Before」の合間に書いた。彼のデモは「shame(恥)」と言った。
クリス:この歌はホリデー・プログラムのような感じ。
ニール:これはジョージ・マイケルが言ったことだ。
クリス:僕にはニューオーダーっぽくも聞こえる。バスラインは、君がバスサウンドのために買ったキーボードからだ。
ニール:ちょっと手間がかかった。スペイン語のアイデアを入れることにして、スパニッシュ・ジプシーのサンプルを見つけた。それを巡礼者が歌っているような音にしたかった。最初のバージョンでは、コンポステラ・デ・サンティアゴの巡礼者たちと僕の人生を比較している。巡礼者たちは120マイル歩き、それは彼らに永遠の救済を達成したことを意味する。それから、その種の信頼を寄せることはいかに良いに違いないか、ホテルの窓から外を眺めている感傷的なニールがいる。2小節目はブダペストでやった。そこは僕が旅行した実際の場所だ。1996年、社会主義後のハンガリーで、本当にひどい生活を送った人たちがまだ生きていて、社会主義が幕を閉じるまで5年かかった。彼らは待ち続けた。「市場の力が提供する/歴史がここまで否定したものを」。みな本当に同じものだけを欲しがっていた。快適、安全、教育を。多くは要求していなかったようだ。でもそれを得るのは不可能だったと思う。僕は大きな国際ホテルで座って、白ワインを飲みながら彼らを見ていた。確かに大きな罪があったと僕は思う。それで、僕が経験していることによってこれ以上変更されたくないので、脇へ避けるべきでも、僕の行いを決定するものの比較を、この歌の中でしてみた。それは、部分的には自分や自分がいた関係に関係している。最後の1節は重要だ。「僕は君にいつも必要?/僕が欲しいかい?」。他の言葉に置き換えれば、今はとてもうまく言っているけど、最後まで行き着かないだろう。脇に避けることについて、ペット・ショップ・ボーイズから、ポップ・ミュージックの歌の中に1種の概念もある。自分のため何をすべきか考えて欲しい。有名になること、ポップ・グループになること。君のルーツから完全に離れていくかい?僕はそうするとは思えないけど、「脇へ避けるためいいことがなかったんじゃない?」って言うと思う。僕は時々、むしろ全ての競争を放棄し、静かにどこかで生きろと思う。シンプル・ライフを。利口になろうとするな。僕はいつもそう思っている。僕もそうしたくないよ。
(以上、2001年ブックレットより)
|
ライブビデオ(1997年SOMEWHERE)(You
Tube)
★用語・人物メモ★
ジョージ・マイケル (1963-)・・・ギリシャ系イギリス人。高校時代の友人、アンドリューリッジリーとWham!を結成、世界的アイドルに。その後ソロになったジョージは人気絶頂期に契約会社とのトラブル、公然わいせつで逮捕、カミングアウトなど、波乱。現在でもちょいちょいトラブルは多いけど、元々ラヴ&ピースの人柄なのか、開き直ったせいか人気は衰えない。10年間連れ添ったインストラクターの彼氏がいる。LGBT。ニールにはちょっと嫌われているようだ。
ニューオーダー・・・イギリスのエレクトロニック・ポップ・バンド。前身はジョイ・ディビジョン。PSBと音楽性が似ている。現在は4人組だが、メンバー内確執により、解散の危機にあるらしい。
哀愁のフラメンコ曲がベースになっている。タイトルは“身を引く”という意味があり、”昭和のヲンナ”っぽい。フラメンコ曲って、ラティーノでなくとも何とも言えない郷愁を感じませんか?これって人類共通のDND?
PSBの冷たい純粋イングランド風味と、熱いラテンがなぜ融合するのかは永遠の謎である(実際に2つが”合わない“という人もいるようだが)。フラメンコギターは「Domino Dancing」でも使っていたけど、95年のDiscoVeryツアーでラテンに目覚めてしまったのか、以後、相思相愛に。いまだにラテン国のファンはめちゃめちゃ情熱的。
なお、アメリカでは「Se a vida e(That’s the way life is)」と両A面でシングル化されているとのこと。
NEXT
BACK