INTROSPECTIVE1-1

「Left To My Own Devices

http://www.discogs.com/image/R-150-228428-1076550752.jpg LEFT2


ニール:僕は王党派だったな
(
一言コメント:1999)

 

 


原文歌詞はこちらでご確認ください



10時半過ぎ、ベッドから起き上がって
パーティー・アニマルの友人に電話をかける
ニュースをつけて、お茶を飲む
もし君がいたら、一緒に買い物に出かけただろうね

いつか運転免許の本を読んで習うかもしれない
もしテストに受かったらみんなが驚くだろう
でも僕は競争が好きじゃない、通りでの立ち話も苦手だ
面白い話はパーティー・アニマルから聞き出せる

僕は君にさよならって言って
立ち去ることもできたし
君を愛し続けることもできた
もしトライしようとしたら
できたはず
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた

太陽に関する小冊子をピックアップして
写真家が見たものを無視する方法を見つけた
僕はいつもクラブ活動に加わるべきだと言っていた
もしいたいんだったら、ギャングにくっついていろ

非力で楽しみもない僕は、孤独な少年だった
庭の裏にある自分だけの世界に閉じこもっていた
競争も、誰かと通りで遊ぶこともしたくなかった
秘密の人生では、僕は
円頭党の将軍だった

僕は君にさよならって言って
立ち去ることもできたし
君を愛し続けることもできた
もしトライしようとしたら
できたはず
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
うん、きっとね

難しい年頃に、僕は選択を迫られた
本を書くべきか、ステージに上がるべきか
でも僕の頭のうしろではチェ・ゲバラとドビュッシーが
ディスコビートで踊るのが遠くから聞こえていたんだ

君がどう見えようと、
僕が君をどう見ようとも、それは罪じゃない
僕が家に帰るともう遅い時間で
飲みながらボクシングを見て
それからTVを消して本を読む
電話をかけて、なにかを食べるものを用意する
多分、僕は一晩中起きているよ
君の声が聞こえるのを待っている

僕は君にさよならって言って
立ち去ることもできたし
君を愛し続けることもできた
もしトライしようとしたら
できたはず
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた

そうさベイビー
さよならを言い
君を愛し続けることもできた
もしトライしようとしたら
できたはず
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた

10
時半、ベッドから起き上がる
パーティー・アニマルの友人に電話して
太陽のニュースを見る
こうして、また労働の1日が始まる
裏の通りでギャングにくっついて
テストに合格、彼は競争しない
もし君が一緒なら、車を運転するし
チェ・ゲバラがお茶を飲んでいる
彼は新しい計画を読み上げている
秘密の世界では、僕はステージに立っているはず
(もしできるのなら)

僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
(できたならそうしていた)
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた

僕は君にさよならって言って
立ち去ることもできたし
君を愛し続けることもできた
もしトライしようとしたら
できたはず
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた
そうさベイビー
僕の思い通りにできたのなら
きっとそうなっていた


Written by Neil Tennant/Chris Lowe


Produced by Trevor Horn and Stephan Lipson

 


ニール:「Left to my own devices」はアビー・ロードのEMIにあるデモ・スタジオでクリスが書いたインストゥルメンタルから始まった。僕たちと一緒に歌をやってくれるようにトレヴァー・ホーンに頼んだけど、まだ書いてなかった。僕たちはサーム・ウェストでACTUALLYをやっている時に彼と知り合っていた。

クリス:僕たちはいつも彼の作品が気に入っていた。

ニール:とくに「Slave To The Rhythm」がね。

クリス:ABCの「The Look Of Love」。

ニール:あと、The Art Of Noiseね。 僕はいつも壮大なオーケストラ・ポップスが気に入っていた。 僕はPhil Spectorのレコードと、「A Day In The Life」や「I Am The Walrus」のような偉大なビートルズのレコードが好きだった。で、トレヴァーはプロデュースの学校の出身だ。彼はおもしろい。 僕たちは、彼とスタジオでおしゃべりして、笑い合った。

クリス:彼はエピソード話がすごく上手い。 彼はいつも、いくつかのノーザン・クラブで誰かのためにサポート・バンドに入ることなんかの話を持っていた。

ニール:例えば、ヘイゼル・ディーン。彼がYesのリード・シンガーとしてどんな風にマディソン・スクエア・ガーデンズでプレーしたかを話す。彼は、彼のメガネが不透明になるように見えるような方法を持っている。さらに、それは彼をすごく無表情に見せるんだ。

クリス:愉快だ。

ニール:それで、それが本当なら、僕たちは彼と働いているのがおもしろいだろうと思った。僕たちが彼に会えるように手配する前の日、何かを書くためにアビー・ロードスタジオに入った。クリスがキーボードでいたずら弾きしていて、僕はMelody Makerを読んでいて、電話をかけて、こう思った「イライラしない・・・ランチにでも出かけようかな」。で、クリスが突然ベースラインを思いついて、僕は、彼の3コードを入れようと提案した。すごく良くなった。クリスはすごく一所懸命な雰囲気でプログラムして、僕はNMEを進めて、それから僕は・・・楽しみながら・・・自分で「left to my own devices I probably would」って歌っていることに気がついた。どっから来たのかわからないけど・・・Melody Makerではないのは確かだ。

クリス:それは、初めはもっとモータウン・ソングに似ていた。

ニール:デモはすごくアホっぽかった。 それは最終的なレコードよりスローだった。 僕はエミュレーターからこの曲にギター・パワー・コードを入れた。そしたら突然、重大なハプニングが起こった。なんとクリスがMelody Makerを読んで、それで僕は、それがこの巨大な鼓動しているものにあまり多くのものから構築しなかったミックスをした。この曲は、曲げられて、ますます大きく、それまでより大きくなった。

クリス:ニールは楽しんでいたよ。

ニール:スタジオから道を横断するとそこに、トレヴァー・ホーンとジル・シンクレアは小さいアパートを持っていた。彼らは、デモをするのにアパートを使っていた。僕はこのインストゥルメンタルのカセットをトレヴァーにそこでプレイした。彼は僕たちとの仕事に興味を持っていた。でも、トラックをプレイしていたとき、彼のスピーカーを破損しないように、彼は立ち上がって、その音を小さくした。まさしくトレヴァー的瞬間だ。彼は、「Left to my own devices」以外にそれには歌詞が全くなかったので、この歌をすぐ判断できないと言った。2日後の朝遅く、僕はタイプライターの前に座った。 僕は、「このいまいましい歌を書かなければならないんだ」と思った。僕は10時半にベッドから出ることはない。僕は8時半には起きたものだった。でもその方がよく聞こえると思ったからそのままにした。「パーティー・アニマル」は僕の友人のジョン・サヴェージだろうね。彼はいつも朝、電話をかけて来たから。実際、彼はパーティー・アニマルではなかったけど、80年代、彼はよく出かけていて、僕たちは起ったことについてよく話していた。元々、そこは「drink some tea, maybe if you're with me, we'll drink some coffee(紅茶を飲む、もし君が一緒だったらコーヒーを飲むだろう)」だった。代わりに「do some shopping(買い物をする)」と考えた時、みんながそれは哀れだって言うと思った。ショッピングに言及する別のペット・ショップ・ボーイズの歌だ。でも僕は、「コーヒー」の方がもっと哀れだと思った。それは僕がするつもりであることのリストだけど、自分ひとりなら紅茶を飲もうと決めるだろうけど、だれかが集まるなら、僕はコーヒーを勧めるつもりだ。「太陽に関する小冊子をいくつか拾う・・・」の歌詞は、その朝、僕の座っているテーブルの正面に、イタリアの休日に関するいくつかの小冊子があったんだ。イタリアの別荘に関する小冊子を僕にくれた旅行代理店を知っていたからだね。そして、歌はメインの子供時代の経験に入る。「I was always told you should join a club...(
僕はいつもクラブ活動に加わるべきだと言っていた)」は全部本当じゃないよ。僕は、この人物が生涯を通じて、いつも彼がしたがっていたことをすることについての歌だってことに気がついた。僕は本当に一人で放っておかれることに関するポップ・ソングを書くという考えが好きだった。

クリス:一人に放っておかれたら、僕は自分が何をするかなぁ〜と思う。

ニール:僕は、そんな前のことじゃなくて最近、両親に会いに行ったことがあって、僕の母は、子供のときにそれぞれ僕たちには庭にコーナーがあったのを心配したと僕に言った。・・・僕のは左手の角の一番先端だったけど・・・そして僕は、以前はそこでよく多くの時間を過ごしてた。 僕のコーナーにちょっとした茂みがあって、雨が降ったときはそこの下に座ることができたし、本当に濡れなかった。で、僕は何時間も僕のおもちゃの兵隊と共に遊びながら座っているのが好きだったんだ。僕は、彼らのためにそこに洞窟を作って、小枝と葉をかけて、その上に土をかけて、よく彼らを埋めていた。それは秘密の洞窟で、僕だけが彼らがどこにあったかを知っていたんだ。これは8歳頃のことだ。そして以前は、実際には円頭党員ではなくキャバリア騎士のふりをしていたんだけど、僕は庭をジャンプして、馬乗りごっこをしていた。僕の母は、僕がそこに座っていてファンタジー・ワールドに生きてるから、僕に友達がいないのが心配だと言っていた。この歌を聞いたとき、母はこの歌の歌詞「非力で楽しみもない僕は、孤独な少年だった」が心配だと言った。でも実際は僕はそんなに孤独じゃなかった。 元々、3番目の歌詞の中間はラップだった。で、クリスと僕が今までに「It's not a crime(それは犯罪ではない)」と書いた最初の歌のひとつだ。歌詞の残りはこう続く。

Love is all I want to see
now I want you here with me
through the morning afternoon
all night long is none too soon
and oh I've got the time
I've got the time and oh it's not a crime
it's not a crime Now I've fixed it we're all alone
don't look back and don't go hotel through the morning afternoon
lock the door and lose the key...

愛は僕が知りたいと思うすべて
今、君に僕と一緒にいて欲しい
朝から午後までずっと
夜は長く、早く、誰もいない
ああ、時間はある
僕には時間があるけど、ああ、これは犯罪じゃない
それは犯罪ではない、僕が決めたいま、僕らは独りだ
振り返るな、朝から午後までホテルに戻るな
ドアに鍵をかけて、キーを放り出せ…


クリス:もちろん、それからは犯罪だ。でも、これはマジでよくできた歌だ。

ニール:歌はだれかの人生の1日だ。ベッドを出るところから始まり、電話をし、紅茶を飲むみ、それから残りのこと全部。最後には家に帰って来る。「Left to my own devices」の最後のセクションは夢になることを意味する。だからみんなごちゃ混ぜになっている。チェ・ゲバラがお茶を飲み、秘密の人生ではステージに立っている。チェ・ゲバラは夢の中ではドラーグ・クィーンになっている。それは僕がいつも想像したことさ。「ドビュッシーとディスコビート
」のセクションはトレヴァーと一緒にスタジオで書いたんだ。僕は、ドビュッシーのように聞こえるべきであると言及して、トレヴァーは「僕はいつもディスコビートでドビュッシーをやりたいと思っていた」と言った。僕は「Domino dancing」でチェ・ゲバラについて言及するつもりだった。ゲリラ戦に関する彼の本を買った14歳の時から、僕は彼にすごく関心があった。それで僕は、革命と美を結合するために彼をドビュッシーとペアにした。 今回までに、僕は、歌詞をすごく大袈裟に、キャムプにした。僕が若かった時、本を書いて、ステージに立つのは、僕がしたかった両方のことなんだけどね。

クリス:僕はただ結婚して、子供たちと一緒に落ち着きたかったな。

ニール:僕はアドヴィジョン・スタジオで最初の3つの歌詞にヴォーカルのガイドとコーラスを入れた。ガイドのヴォーカルはアルバムで使用したもののひとつだ。トレヴァーとスティーブ・リプソンはシンクラヴィアにそれを入れた。ハーモニをコーラスに入れることは別として、僕はそれをどこも変えなかった。トレヴァー・ホーンには、僕たちがすべてのキーボードとコンピュータをプログラムするだろうというこのファンタスティックな考えがあった。僕達はオーケストラ・アレンジメントを任命して次に、マシン、オーケストラ、ヴォーカルはライブな状態で全体をレコーディングした。1日中にすべてそれをやった。 それは全く簡単でなかったから、6カ月後にレコーディングは終わった。トレヴァーは当時、シンプル・マインズのレコードやポール・マッカートニーと一緒にも仕事していたからね。これは僕たちがアレンジャーのリチャード・ナイルズと初めて仕事した時でもある。僕たちはアビー・ロードでオーケストラのセッションをした。最初にそれを聞いたとき、ちょっと驚いたね。トレヴァーは、「今は心配しないでくれ・・・気に入らなければ編集で削除すれば良いんだから。」と言った。でも僕たちはかなりショックを受けた。

クリス:トゥー・マッチだった。

ニール:けど結局僕達は、大部分、リチャード・ナイルズのアレンジ・・・それは実は本当にすばらしい・・・をキープした。そして、僕たちは結局その後ずっと、彼と働くことになった。僕たちは本当に、この壮大なオーケストラがプレーするダンス・トラックがあるという考えが好きだった。オペラ部分は、オペラ歌手サリー・ブラッドショーが歌っている。 「I would if I could」のところ。その時たくさんの“ハウス・ミュージック”レコードがチャートにあったから、トレヴァーには、彼女が最初“ハウス”を唱わなければならないという考えがあった。僕らは、かなり後に7インチのバージョン(CD2-11)をやった。僕たちは1988年の秋にスタジオに戻った。僕はそれを改善したと思う。スティーブ・リプソンが、ギターを演奏している。そして、いくつかのバッキング・ボーカルを加えた。トレヴァーは彼の相棒のブルース・ウーリーにバッキング・ボーカルを歌わせた。彼は僕のように歌うことができた。僕が歌えなかったんだ。

 (
以上、2001年ブックレットより)


 


ニール:僕自身のことを歌ったわけじゃないけど、自伝的な作品。子供の頃は満足な庭もない家に兄弟が4人。それぞれに「自分のコーナー」があって、僕は小さな子がよくやるようにそこをキャンプ場に仕立て上げた。そこに座って、いろいろなことを夢想しながら 、兵隊になったり、いろんなものになったりした。おもちゃの兵隊はたくさん持っていたんだ。僕は歴史上の円頭党の総帥だった。実際は王党の総帥になりたかったんだけどね。アート・アルバムの面白い点のひとつは、いろんな曲でそんな風に誰かにきって歌っている自分がいることなんだ。僕の一つのバージョンには違いないんだけど、それは本当の僕じゃない。

クリス:この曲ではオーケストラを使っているよね。これもリチャード・ナイルズだっけ?

ニール:彼の最初の作品。

クリス:リチャード・ナイルズ。このとき初めて使ってみたんだけど、この曲のデモはまるでモータウン・サウンドだった。レコーディングするときは全部変えたよ。プロデューサーは誰だっけ?

ニール:トレヴァー・ホーン。

クリス:トレヴァーか。そうだ。時代はハウス全盛で、これもハウス調だったんだけど、それからオーケストラなんかが入って大掛かりになった。想像できるだろ、(歌う)
doom, doom, di doom doomって調子。オリジナルではそんなだったんだ。

 (
以上、2003年「POPART」ブックレットより)


 

プロモーションビデオ(You Tube)




1988
年シングルはUKチャート最高4位

ライブ(1989年)(You Tube)




ライブ(2004年)(You Tube)




オーケストラとサリー・ブラッドショー本人も出演


ニール:体操選手が登場する。
−彼らは奇妙なダンスを披露している。
ニール:振付師がついていた。
クリス:キャスパーだ。
ニール:彼だった?マイケル・ジャクソンをやったあとだな。
―全部下からのショット?
ニール:スタジオに組み立てた格子板のセットの下にカメラを設置して下から撮影したんだが、アングル自体は斬新ではない。僕にはハーネスがついていて、軽く前のめりになっている。クリスは振り付けの動きを。
クリス:うははははは。
ニール:面白い動きだ。
―ダンスは評価されない。
ニール:白髪が見える。
―最初のビデオから何年経っている?
ニール:3年だ。
クリス:少し暗いね。
―動きが見えやすいように。
ニール:MTVは放送しなかった。
―暗すぎるから?
クリス:始まった・・・意味のない動き。
ニール:あはははは。
―ストレッチ、ストレッチ。
ニール:体操選手はすごい。
クリス:あははは。
ニール:見事な振り付けだろ。
クリス:いいね。
―よく見えないアングルだよ。
ニール:僕がよく映るカメラアングルは正面しかない。
―風船だ。
クリス:このダンスいいだろ。
ニール:ムーン・ウォークだ。
―マイケル・ジャクソンのとは違うね。
クリス:君も踊りだすぞ!最高のものだ。うしゃしゃ。もうすぐだ。期待してくれ。あ〜はっはっはっ(手をたたいて大爆笑)。ギルバート&ジョージのようなポーズで終わる。ひっひっひっ・・・。

聞き手―クリス・ヒース

 (
以上、2003POPART/DVDコメントより) PV監督・・・Erick Watson

 

 

★用語・人物メモ★

王党派、円頭党(Roundhead)・・・Roundheadは、シビル・ウォー(イングランド内戦:1642-1651)時に、頭髪を短くしてチャールズI世に反抗した清教徒議員の呼び名。対する王党派の騎士はCavalierと呼ばれた。

Che Guevara(1928-1967)
・・・アルゼンチン生まれ。
本名エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナErnesto Rafael Guevara de la Serna)。大学では医者を目指すものの、南米をバイクでまわるうちに社会主義に目覚め、共産主義革命を目指しメキシコへ。ここでカストロと出会い、キューバ革命を成し遂げる。その後ボリビアで革命活動をするが、政府に捕らえられて処刑される。享年39歳。20世紀を代表する革命家・政治家であり、いまなお根強いイコンとして知られる。“男らしさ”の塊のようなゲバラを「夢の中ではドラーグ・クィーン」と言ってしまうニールはある意味すごい。

Claude Achille Debussyクロード・アシル・ドビュッシー(1862-1918)・・・フランスの作曲家。印象主義音楽といわれる。代表作はヴェルレーヌが詩をつけた「月の光(Clair de Lune)」。

 

Trevor Horn(1949-)・・・BugglesYesThe Art of Noiseを経て、現在では敏腕プロデューサーとして知られる。レーベルZZTレコーズ、スタジオのサーム・ウェスト所有。2006年にPSBのアルバム「FUNDAMENTAL」をプロデュース。ちなみにThe Art of Noise1999年にThe Seduction of Claude Debussyドビュッシーの誘惑」というタイトルの、ドビュッシーとシンセ・ポップを融合させたアルバムを出している。

Slave To The Rhythm」・・・1985年、トレヴァー・ホーンがプロデュースしたグレース・ジョーンズの曲。ビデオはこちら。

ABC
の「The Look Of Love」・・・ABC80年代に人気があったニューロマンチックのバンドで、1982年の「The Look Of Love」は最大のヒット曲。ビデオはこちら。

Phil Spector(1940-)
・・・アメリカの音楽プロデューサー。ビートルズの「Let it be」のプロデューサー。音楽界にさまざまな功績を残しロックの殿堂入りをしているが、2003年に女優殺害容疑で逮捕された。

A Day In The Life」・・・ビートルズの1978年のシングル。レノン・マッカートニーの共同製作。ビデオはこちら。

I Am The Walrus」・・・ビートルズの1967年のシングル「ハロー・グッバイ」B面。レノン・マッカートニーの共同製作。ビデオはこちら。

Hazel Dean
ヘイゼル・ディーン(1956-)・・・ダンス・ポップのソングライター、プロデューサー。かつて
Stock, Aitken & Watermanと組んでいた。


Melody Maker NMENew Musical Express・・・いずれもイギリスの音楽雑誌。2000年にMelody Maker NMEに合併吸収される。

 

Jon Savage(1953-)・・・音楽ライター。Sex pistolsに詳しい。NME Melody Makerのライター。ニールの友人として、時々登場。


Synclavier
シンクラヴィア・・・アメリカのニュー・イングランド・デジタル社のシンセサイザー。


Simple Minds
・・・スコットランドのニュー・ウェーブ・バンド。1978年結成。1985年の映画「ブレックファスト・クラブ」の主題歌「ドント・ユー?」でブレイク。トレヴァーがプロデュースしたのは1988年のアルバム「Street Fighting Years」。ヴォーカルのジム・カーはパッツィ・ケンジットと結婚・離婚している。

Sally Bradshaw
・・・オペラ歌手。ケンブリッジ大学時代から歌い始める。The
Art of Noiseの「The Seduction of Claude Debussy〜ドビュッシーの誘惑」に参加。2004年のPrince Trast PSBライブ(上のYouTube)にも出演。

ギルバート&ジョージ・・・イギリスで活動するアーティスト・ユニット。よく2人は自分たちを彼らに例えるが、ギルバート&ジョージはゲイ・カップルというコンセプトなのだが。




 この曲は、多分PSBの曲の中で最も歌詞が長い。解説も長い。つまり、非常に重要な曲。おそらくほとんど全てのライブで歌っていると思う。

 この曲は1995年のDiscoVery
やりたい放題ツアーでは、イタリアン・ディスコ・バンドCoronaのディスコの王道ソング、「The rhythm of the night」(1993)とリミックスされているが、トラック化されていない。

(I was) left to my own devices
って、タイトルなのに訳が難しいよね。直訳すると「僕は僕自身の計画を任せられた」ってことで、「自分の思い通りにした」ってことになるのね。



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