PLEASE
1986年 / 2001年
「PLEASE」はペット・ショップ・ボーイズのファースト・アルバムで、1986年3月にリリースされた。ニール・テナントとクリス・ロウは1981年8月にロンドンで出会っていて、それから間もなく一緒に曲を書き始めた。定期的に、レイ・ロバーツ所有のカムデンのレコーディング・スタジオで新しい曲のデモ製作活動を繰り返し続けていた。1983年8月、ニールはポップ・マガジンのスマッシュ・ヒッツで働いていて、クリスは建築を学んでいた。ニールはニューヨークに、スマッシュ・ヒッツによってポリスのインタビューに派遣されていて、カルト・ディスコ・プロデューサーで、ニールとクリスが崇拝するボビー・オーランドに何曲か聞かせる機会を得た。ボビー“O”として有名な彼は、彼らと一緒にレコードを作ることを伝えた。最初のペット・ショップ・ボーイズのシングルはボビー“O”がプロデュースしたバージョンの「West
Eng girls」だ。これは1984年の4月にリリースされ、小規模なアンダーグラウンド・ディスコでヒットし、そのときは彼らの小さな野心を満たした。12インチ・シングルは流行のロンドンのレコードショップに入荷されなかったが。次に「One
more chance」が続いた。1985年3月、ペット・ショップ・ボーイズはボビー“O”との契約から離れ、EMIレコード傘下のパーロフォンと契約した。最初のシングル「Opportunities(Let’s make lots of money)」は8月にリリースされたが、UKチャートで116位にしか届かず、彼らを落胆させた。
彼らがファースト・アルバムの計画を始めたとき、ペット・ショップ・ボーイズはプロデューサーのスティーブン・ヒューグとの仕事を望んでいた。彼のそのときの仕事が、The
World Famous Supreme Team (“Hay DJ”)と、Malcolm McLaren (“Madam Butterfly“)だったからだ。彼らのマネージャー、トム・ワトキンスは他の、The
Systemと、新しいイギリスのプロデューサー・チームStock Aiken and Watermanを検討していた。彼らは他のアクト、Spelt
Like Thisの仕事をしていた。EMIはヒューグについて疑いを持っていて、さらに他の議論を持ったが、ためしにスティーブン・ヒューグに「West
Eng girls」の)新しいバージョンをレコーディングさせることに賛成した。後に、彼らはそれでアルバムを進めることになる。
「PLEASE」は1985年11月から1986年1月までの間、ロンドンのアドヴィジョン・スタジオで、正午から夜中までスティーブン・ヒューグと共にレコーディングされた。夕方の休憩には、通りを下ったEfeのトルコ・ケバブ・ハウスを訪れた。「僕らはレシナ(ギリシャワイン)のボトルを飲んだよ。2本も。戻って半分開けた。」ニールが言う。時々、彼らはTop
Of The
Pops やWagonで「West End girls」の演奏に時間を割き、UKチャートの1位までゆっくりとのぼりつめた。レコーディング中のあるとき、スタジオ・マネージャーが「で、君がシンガーかい、ニール?マネージャーかと思ったよ」と言った。
彼らはアルバムをすでに書いてある10曲を、多くの他の候補を退けて、決定した。候補には「It’s a sin」(ヒューグが次のアルバムに残すべきと言った)、「Rent」(プログラマーのブルー・ウェヴァーが「I
want a lover」にコード・チェンジが似すぎていると思った)、「What
have I done
to deserve this?」(まだ共演を希望したダスティ・スプリングフィールドの許可が下りていなかった)、「Jealousy」、「One
more chance」、「In
the club
or in the
queue」(1999年にペット・ショップ・ボーイズは再考しているが、まだ未リリースのまま)があった。「PLEASE」はギリギリのデッドラインでレコーディングされた。「West
End girls」はすでに終え、「I want a lover」、「Opportunities」、「Why
don’t we
live together?」はレコーディング中だった。スティーブン・ヒューグは働きっぱなしだったが、彼らはずっと時間的プレッシャーの元にあった。彼らが最後に仕上げた「Suburbia」は、何もできる時間がなかったので、それはデモ・ヴァージョンそのままのリメイクだった。
ペット・ショップ・ボーイズが「PLEASE」をレコーディングしたときは、コンセプト・アルバムではなかったが、彼らは選んだ歌が緩いプロットから順番に並べることができるかもしれないことがわかった。「アルバムにお互いにリンクするようなアイデアがあった。」ニールは言う。「最初の曲で、彼らは逃げて来て、街にたどり着く(「West
End girls」)。彼らは金を欲し(「Opportunities」)、そして恋に落ち(「Love comes quickly」)」、郊外に移る(「Suburbia」)。クラビングに出かけ(「Tonight
is forever」)、そこには暴力(「Violence」)とカジュアルセックス(「I want a lover」)がある。誰かが男の子をナンパしようとして(「Later
tonight」)・・・そんな感じだ。」
レコーディングの間、ペット・ショップ・ボーイズのアルバム・ジャケットをどう見せるべきか、大いに話し合われた。「トム・ワトキンスと僕らの関係の強大な力の1つは否定的エネルギーが多大にそこにあって、クリスと僕はトムに反発した。」ニールは言う。「それは本当に積極的なやり方で創造的に動いていたんだ。トムは僕らがアドヴィジョン・スタジオにいた時間のほとんど、彼はこの驚くべきパッケージのアイデア・・・紙工学・・・の話題に費やした。最終的に、ある日、彼は入ってきて言った。”よし。アルバム・ジャケットの実物模型だ、すごいぞ!“と。」
「彼は長い間、言葉でこれについて説明し続けていたけど、それが何なのかを想像することはできなかったろう。」クリスは思い出す。「アルバムのコピーはみんなユニークであるべき。一緒に来たのは紙が折られたもので、基本的に格子窓の作品だった。」
「僕らはそれを見て、バカバカしいほど複雑だって思った。」ニールが言う。「結果、僕たちとマーク・ファロウは小さな僕らの写真を据えた白いジャケットにするアイデアを速攻で提案した。でも、僕らは写真がなかった」(マーク・ファロウは、その時トム・ワトキンスのオフィスで働いていたデザイナーである。彼は現在までペット・ショップ・ボーイズの全てのジャケットを担当している)。ペット・ショップ・ボーイズの既存の写真のほとんどが、ニールの若い頃からの友人の写真家、エリック・ワトソンによって撮影された。彼らは一枚の写真を選んだ。それは、すでにスマッシュ・ヒッツのニュース・セクション”Briz“で印刷されていて、彼らが白いタオルを掛けている写真だ。「誰が見ても焦点が完璧じゃなかったから、エリックはあまりうれしそうじゃなかった。」ニールは言う。「タオルが白いので、シンプルなフロントカバーで僕たちは目だっていた。」
「その時は」クリスが言う。「ほかの何とも完璧に違っているように思えた。」
その時代はまだ、ほとんどのレコードジャケットは、懲りすぎで、派手で、乱雑で、必ずしも誰もがそのミニマリズムを評価するとは限らなかった。彼らのアメリカのレコード会社は、レコード棚の中で簡単にそれを識別することができるように、タイトルと彼らの名前をジャケットの一番上に印刷されるよう変更し、フランスのレコード会社は写真を大きくジャケットに再デザインし、ペット・ショップ・ボーイズにとっては激怒ものだった。後に、CDで再リリースされるとき、ペット・ショップ・ボーイズはアルバム・ジャケットに同じ比率で写真を縮小しなかった。彼らはいつも、CDジャケットにはあまり効果的でないと感じていた。
アルバムの内ジャケットには、彼らは98枚以上の写真を使った。ほとんどがエリック・ワトソンとの多くのフォト・セッションで撮影されたものだった。ひとつはクリスが鏡に映るセルフ・ポートレートだが、これは1984年にニールがスマッシュ・ヒッツのアメリカ・バージョン、スター・ヒッツのために滞在していたニューヨークのアパートで撮られたものだ。クリスはボビー”O“のため渡米していて、ペット・ショップ・ボーイズはさらなるレコーディングが可能になった。
「West Eng girls」の」後、「PLEASE」からさらに3枚のシングルがリリースされた。「Love comes quickly」はアルバム・リリース前の1986年2月に発売され、「Opportunities」のアップデート・バージョンが5月にリリースされた。EPアラウンドで再レコーディングされた「Suburbia」が9月に発売された(彼らはさらに11月、6曲のダンス・リミックス・アルバム「Disco」をリリースした)。
ペット・ショップ・ボーイズは、アルバム・タイトルを早期に決めていた。ニールは恐らくクリスがそれを言ったと思うが、スマッシュ・ヒッツの文章の締めくくりのお約束”pur-leaze!”に由来する。「もし僕の死亡広告を見たとき、
“pur-leaze云々”という発言を僕に引用されていたら、スマッシュ・ヒッツだとわかると思う。」ニールは言う。「"For goodness
sake"(後生だから)という意味だ。それは僕を連想するように思える。ちょっとした冗談だよ。レコードショップに入って言う。“ペット・ショップ・ボーイズは入荷しましたか?プリーズ”。ジョークですら、ないかな。」
(以上、2001年ブックレットより・インタビューby CHRIS HEATH)
|
用語&人名メモ
スティーヴン・ヒューグ・・・アメリカの音楽プロデューサー。PSBのアルバム「Please」「VERY」(共同プロデューサー)、「Closer to heaven」オリジナルキャスト版、アルバム「Actually」の中の「What Have I
Done to Deserve This?」「It's a Sin」「King's Cross」のプロデューサー。
Efe's
Kebab House・・・現在でも営業中。80–82 Great Titchfield Street、London、W1W
7QR
クリスが鏡に映るセルフ・ポートレート・・・内ジャケの右から4番目・上から4番目。シャワーを浴びた後に撮ったとのこと。ロンドンでもニューヨークのアパートでもクリスはニールの家に居候している。
「PLEASE」は、間違いなく“PSB最重要のアルバム”だ。曲のほとんどが1981〜85年、つまり2人が有名人になる前、素人時代に作られている。それゆえの若さ、青さ、愛、お金、社会的地位への渇望がじゅうぶんに伺える。と同時に、25年近くたって聞いても、PSBがほとんど変わらないことにも気がつく。これはすごく意味があることだ。自分たちのやりたいこと、好きな音に背骨にブレがないというのは、音楽に対しての真摯さ、使命感すら感じる。このアルバムはPSBの原点であり、ありがちな“若さゆえのフライング”ではない。もちろん、デビュー・アルバムといってもデビュー時点で2人は20代半ば〜30歳前後だし、いろいろな社会人経験を積んできたから、レコード会社によって仕立て上げられたウブなユニットとはワケが違う。実はすごく計算されているアルバムだと思う。とりあえず出来た曲の寄せ集めではなく、きちんと厳選されているし、ニールが言うように、物語のように流れのあるアルバムだ。後半は急にプライベートっぽく世界観がミニマルになるのはご愛嬌。
2007年のライブで、「West End girls」「Opportunities」「Suburbia」「Paninaro」と、この時代からの曲を4曲も聴くことができたが、けっして古びず、逆に盛り上がったくらいだ。最新アルバムからの曲とメドレーにされても全く違和感がなかった。PSBはブレない、変わらない。多くのファンがこの気まぐれや思い付きとは縁のないユニットを愛している。PSB万歳、と叫びたくなるアルバムだ。
マーガレットの勝手に評価(5段評価)
アゲアゲ度★★★
皮肉度★★★
政治・社会度★★
乙女/ゲイ度★★★★
マーガレットのお気に入り度★★★
Dr.マーガレットの処方箋
用法:時代を遡りたいときに
効能:満たされない時代を振り返る
服用に適した時期:現状に満足できないとき、初心に帰りたいとき
使用量:一日1〜3回
副作用:35歳以上は、気分の高揚しすぎに注意
|
*
各曲の詳細&レビューは、タイトルをクリックしてください
Disc1
Disc2
*以下はFurther Listening 1984-1986収録分。
アルバム未収録でリリースされたシングル、B面(カップリング、ボーナス・トラック)、Remixで構成。
詳細データリンク(オリジナル)
詳細データリンク(2001年リマスター2CD)
BACK