VERY1-12

Go West

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(1993)


クリス:最初はハッピーな曲だったけど、今は状況が変わってアンハッピーな曲になった
(
一言コメント:1999)

 

 

         
原文歌詞はこちらでご確認ください



おいで、おいで、おいで、おいで

(一緒に)さあ、旅立とう
(一緒に)いつの日か
(一緒に)手を取り合って
(一緒に)人生計画を練って
(一緒に)高く飛ぼう
(一緒に)友人たちにさよならと言って
(一緒に)新しい生活を始めよう
(一緒に)これが僕たちがやるべきこと

(西へ)そこは平和の地
(西へ)オープンエアで
(西へ)は青く
(西へ)そこでならやっていける

(一緒に)ビーチで愛し合い
(一緒に)学び、教え
(一緒に)生活のペースを変えて
(一緒に)働き、励ましあおう
(アイラブユー)わかっているさ
(アイウォントユー)この気持ちは否定できない
(
何があっても)僕は抗議しないよ
(君が言うなら)君が主導権を主張しても

(西へ)そこは平和の地
(西へ)オープンエアで
(西へ)ベイビー、君と僕
(西へ)これが僕たちの運命
(西へ)そこは冬でも太陽が輝き
(西へ)何もかもが快適で
(西へ)は青く
(西へ、これが僕たちがやるべきこと)

そこの気は自由で
僕らは(たぶん)成功者になれる
今、僕たちが立ち上がれれば
理想郷を(たぶん)見つけられる

(わかっている)いろいろな方法がある
(
生きるために)そこで影も日向もともに
(一緒に)その場所を探そう
(
落ち着くために)広い大地で
(急ぐな)東へ戻ってはダメだ
(
てきぱきと)食べるために働け
(わかっている)僕はもう行く準備ができている
(それが僕らの進む道)僕たちのやるべきこと

(それが僕らの進む道
西へ)そこは平和の地
オープンエアで
は青く
これが僕たちがやるべきこと
(そこは平和の地)西へ
(オープンエアで)西へ
(ベイビー、君と僕)西へ
(これが僕たちの運命)
おいで、おいで、おいで、おいで

(西へ)冬でも太陽が輝き
(西へ)何もかもが快適で
(西へ)は青く
(西へ)これが僕たちがやるべきこと
(おいで、おいで、おいで、おいで)
(ゴー・ウエスト)


Written by Jacques Morali/Henri Belolo/V Willis
Additional lyric by Neil Tennant/Additional music by Chris Lowe


Produced by Pet shop boys
Additional produced by Stephen Hague

 


ニール:デレク・ジャーマンが、地方のエイズ・チャリティーのためにマンチェスターで展示会を開いていて、彼のためにハシエンダでコンサートをするように僕たちに依頼が来た。Nomisスタジオでリハーサルをして、僕たちはカヴァー・バージョンをやりかった。僕たちはビートルズの「The Fool On The Hill」をやるつもりだったんだけど、翌朝クリスが入ってきて、「僕のレコードに目を通していて、"Go West"という歌をやろうと決めた」と言った。

クリス:ニールはそれを知らなかった。

ニール:彼は僕にそれをプレイした、で、僕は「これはヒドい」と言った。 僕は、それが信じられないほどぞっとするって思った。 ひどい。 とにかく、クリスはかまわずに続けた。

クリス:ニールは聴いてくれなかった。

ニール:それからクリスは、それがパッヘルベルのカノンと同じコード・チェンジだと指摘して、僕をその気にさせた。それから実際に取り掛かった。

クリス:僕は、それがニールと僕の思うやり方とで揺れ動くのはわかっていた。

ニール:実際に、彼は僕を無視して、「とにかく間抜けにするつもりなんだ」と言った。 彼は「きっと君は好きになるよ。うんうん、きっと好きになる」と言った。

クリス:僕はすっとこの歌が好きだった。ずっと僕はヴィレッジ・ピープルの大ファンで、「Go West」 がニールの声に合うと思った。そして僕は、デレク・ジャーマンのイベントでプレイするのに良い歌だと思った。理想主義的なゲイ・ユートピアに関する歌だからね。ニールがそれを歌うと絶望的に聞こえるってわかっていた。君はいくつかの鼓舞するような歌詞を書いたけど、それが決して達成されないように聞こえる。それは実際起こったことに合っている。ヴィレッジ・ピープルがゲイのユートピアについて歌った時、それはリアルに見えたけど、あとづけで振り返ってみれば、彼らがそうなるだろうと思ったユートピアはなかった。

ニール:クリスがコードを入れてフレンチホーンの上に旋律をプレイしたときそれが、僕が納得させられた時だ。正直に言えば、僕はわざわざヴィレッジ・ピープルの歌詞を覚えなかった。僕はレコードから一度コピーして、ハシエンダでパフォーマンスしたのが最初だった。僕は歌詞を書き出して、それらを下に置いた。送風機がそれらを吹き飛ばしたので、歌のあいだずっと歌詞を即興でやらなければならなかった。「Together! We will.. .do something! Together! We wilI...all have to sing!」 って。 その時僕たちは、いつものように、それがどこかの時点でB面になるかもしれないと想像したと思う。

クリス:それから僕たちはニューヨークのライフビート・チャリティー・コンサートのために再びアメリカでそれをパフォーマンスした、そして、ヴィレッジ・ピープルのインディアン(=ランディ・ジョンソン)がやって来た。

ニール:そして、2回目の演奏ため、歌詞は吹き飛んだけど、その時までには、僕はなんとなくそれらに詳しくなっていた。 僕たちが中間に置いた部分の新しい歌いだし「there where the air is free...」は、ヴィレッジ・ピープルのバージョンにはない。クリスはコードを書いた、そして、僕は新しい歌詞を書こうと思った。僕は、それがあまりいいと思わない... where the air is free...」って、何を意味しているんだ?

クリス:いいじゃん。

ニール:「the promised land(理想郷)」の部分がいいと思う。歌の核心が理想郷を見つけることについてだから、それを孤立させた。他のいくつかの歌詞は僕が書いた。ヴィレッジ・ピープルが歌っていたものを解読することに悩まされないで済むからね。奇妙な歌詞
…”rustling, just to feed(食べるために働け)は、彼らが歌うべきじゃないと思う。彼らが歌う歌詞のアイデアはないよ。僕たちは1992年に、最初に一回限りのシングルとして僕たちのバージョンをレコーディングした。クリスがちょうど彼の自宅にスタジオを設置していて、試しにトラックをやりたかった。それで、「Go West」をやった。さらに僕たちは渡米して、合唱をレコーディングした。ポップミュージックのレコードで、マッチョな男性たちの大きな合唱団、ミュージカル「南太平洋」の「There Is Nothing Like A Dame」のようなヴォーカルをするアイデアを気に入っていた。それで、僕らはそういったスタイルでパフォーマンスするリチャード・ニールズのアレンジでニューヨークのブロードウェイのグループを採用した。僕たちはさらに、サンプルCDからカモメの声を入れた。そこはビーチだからね。「Go Westカリフォルニアだ。僕はさらに、ある種のギネス・ブック・オブ・ヒット・シングルズ・タイプの人間になっていて、僕たちがヒットをさせ始めて以来、1992年は僕たちがトップ10に入っていない初めての年で、それが僕たちの記録を台無しにしたとわかった。そう、正直に言えば、それがその年のクリスマス前にそれをリリースしたい主な理由だった。僕たちは、マークスパイクステントにそれをミックスさせて、それからB面をやった。次に、僕はパーロフォンのマネージング・ディレクターのトニー・ウォズワースに話した。彼は、僕に電話をかけて来て言った。「君はいまこれをリリースすることによって、何かの達成を期待するのか?」と。僕は「あなたは正しい。僕にはわからない」と思った。僕は真実を言うことができなかった。 僕たちがそれに100パーセント満足であったなら、前に進めて、とにかくそれをリリースしただろう。でも、僕たち2人の間では、秘かに、そのミックスに満足ではなかった。そう考えて、それはやめにしようってことになった。僕は今のところ、一度もリリースされたことがないオリジナルの12インチ(cd2-1)がかなり良いと思う。それは最終版に入っていない、クリスのこのシンセの切れ目(rift)に支配されている。このアルバムのバージョンは、1992年にリリースする予定だった12インチよりさらに実際に長い。もっと早くそれをフェード・アウトさせるつもりだった。それをリリースしないと決めた後、僕たちは、トラックをやってくれるようにブラザーズ・イン・リズムに頼んだ。

クリス:リズム・トラックがあまり良くないと思った。

ニール:彼らはベースラインをやり直して、スティーブ・アンダーソンが始めにピアノを入れた。僕たちは、ひたすら働き続けた。僕たちは素材を取って、またいくつかを入れ直した。”スパイク”ステント・バージョンには、僕たちが取り出したから、最初のコーラスの後のセクションのインストゥルメンタルにブラスがまったくない。僕たちはリチャード・ネイルズに、最終版で聴くことの出来るブラス・アレンジをやってもらっていた。でも、最初に聞いた時はマジでいやだった。すごく下品だと思った。

クリス:ブラザーズ・イン・リズムはそれを入れ戻した。

ニール:それで、僕たちは、それが歌にパーフェクトだとわかった。 それからスティーブン・ヒューグはそれをミックスした。基本的にそれだ。それから発売後、僕たちがどうロシアを変えたかということが全体的にあった。

クリス:僕たちは、驚いたことにそれが前のソ連の国家のように聞こえると発見した。 それはまるで同じだ。

ニール:僕たちは、ロシアのMTVの発足のためにちょうどモスクワに行く予定があったから、「Go West」のビデオをモスクワで少し撮影した。ただの偶然の一致だ。僕たちは、「東にいたらどこに行く?西だ」と思った。それで僕たちはいくつかの撮影で、赤の広場で指を差している。しかし、僕たちがロシアで知っているアーティストによると、人々は、僕たちがソ連の国歌に基づいて歌をやったと考えた。そして、ハンガリーのファン達が書いて来た。「私は、この歌を聴いてぎょっとしました」と。なぜなら彼らは、再びロシア人が東ヨーロッパに侵略するべきだと示唆していると思ったんだ。彼らは西に行くだろうから。多分、それがロシア人がこの曲を好きな理由じゃないかな。

クリス:結果的にすごくビッグなサッカー・アンセムになったのも信じられない。ペット・ショップ・ボーイズにカバーされたヴィレッジ・ピープルの無名の歌がサッカーの歌になると誰が思っただろう。ファンタスティックだ。 それが僕たちの最大級の実績であると思う。

 (
以上、2001年ブックレットより)


 


ニール:オリジナルは言うまでもなくヴィレッジ・ピープル。これをリメイクしようって思いついたのはクリスだ。彼が僕にオリジナル・ヴァージョンを聞かせたんだ。ちょうどチャリティー・コンサートの準備中でカヴァー・バージョンをやることにしていて、ビートルズの「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」をやる予定だったけど、あんまり出来がよくなかった。そこでクリスが言ったんだ。「ヴィレッジ・ピープルの曲を持ってくる。」って。で、この曲をかけた。最悪だった。「最悪だ」って叫んだ。本当のこと言うと、ヴィレッジ・ピープルのバージョンは今でもあんまり好きじゃないんだ。

クリス:僕は好きだよ。

ニール:で、クリスは言った。「この曲、気に入るようになるよ」って。すごくクラシカルなコード進行で、クラシカルなコード・チェンジがあって。中間部分はオリジナルにはない。僕たちが付け足したんだ。それもクリスのグッド・アイデアだったね。

クリス:僕が好きだったのは歌詞なんだよ。当時としてはすごく啓発的だった。ある種の人々にとっては、アメリカ西海岸に移り住むってことは、イコールよりよい生活を意味していた。それを90年代に歌うことにはまったく新しい意味があるんじゃないかって考えたんだ。状況は実に酷いことになっていたしね。だからこの曲の意味もまったく違うものになった。ペーソスが加わったんだ。

ニール:それが僕たちの狙いだった。ヴィレッジ・ピープルでジャック・モラリーがこの曲を書いたとき・・・70年代の終盤のことだけど、それはひとつの大きな「ゲイ・ドリーム」だった。TVシリーズに出るとか、小説の“Tales of the City“とかね。

クリス:ああ。そうだね。

ニール:アーミステート・モウピンのTVシリーズを思い出すよ。惨めな東海岸を捨てて、みんなでサンフランシスコに移り住むんだ。自由な人生を謳歌する。すぐそこにエイズの脅威が迫っているなんて誰も知らなかった時代だよ。僕たちのバージョンはそういうことに対して少し悲観的な感じになっている。同じく興味深いのは、この曲が東欧では政治ソングになったってこと。ビデオ・クリップを作るにあたって、モスクワに行ってロシア版MTVを発足させることを決めた、1993年のことだ。ビデオ・ディレクターのハワード・グリーンホフに同行してもらってモスクワで映像を取った。理由は単純、東にいるものは西を目指すから。驚くべき偶然なんだけど、「ゴー・ウエスト」は旧ソビエト国歌を元に作ったんじゃないかと思うくらい、ほとんど同じに聴こえる。つまり、見かけ上、僕たちは変革期の1993年ロシアで、旧ソビエト国歌を「ゴー・ウエスト」の歌詞で歌っていた、ってこと。だからこの曲は特にロシアで政治的な意味合いを持つことになった。東欧の多くの国でそうであったようにね。

 (
以上、2003年「POPART」ブックレットより)


 

プロモーションビデオ(You Tube)




1993年シングルはUKチャート最高2

ライブ(1994年TVライブ)(You Tube)




ロシア兵&マッチョ・タイツ・ヴァージョン

ライブ(2005年ライブ8 inモスクワ)(You Tube)




アコースティック&ロック・ヴァージョン




ニール:このビデオ・クリップのベースになったのは映画「天国への階段」だ。デヴィッド・ニーヴン扮する軍兵が、天国からのお迎えを拒む話さ。階段を上がったところに天国があるんだ。みんなが階段を上っている映像がやがて出る。登場する男たちを、ロシア風の格好にしたんだ。モスクワに行く機会があって、そこで撮影したんだ。
クリス:もうすぐ頂上だ。シルヴィアだ。
ニール:自由の女神役だ。
―帽子が変わったね。
ニール:軍隊のヘルメットさ。
クリス:歌詞のブリッジがシーンに合っていない。
ニール:そう?
―手に持っているのは?
ニール:元帥の杖みたいなものさ。
―カーテンレールからヒントを得たとか。
ニール:ホントに。
クリス:カーテンレールなの?
ニール:それに近いね。・・・僕の衣装はイマイチだ。(クリスがボールの上にいる場面)好きなシーンだ。
クリス:さあ、行くよ。ほら見て。君は中を歩いている。
ニール:今気づいたよ。BBCの製作だよね。
―素晴らしい。
ニール:クレムリンだ。
―ロシア人はどう反応した?
ニール:彼らも奇抜な人間は無視したよ。いまはこの頃と違って、赤の広場での撮影に許可がいる。ゴルバチョフの車で市内を回った。(たくさん出てくるマッチョタイツが)実際は8人くらいだったね。僕、「ダッツ・アーミー」に出てきた人みたい。ははは・・・コメディ番組の・・・。エンドロールで行進しているんだ。この撮影から始まったコンサートを思い出す。
―良い出来だ。

聞き手―クリス・ヒース

 (
以上、2003POPART/DVDコメントより) PV監督・・・Howard Greenhalgh

 

 


*この曲は「マーガレット通信vol.51」の“1曲に固執してみる”でも取り上げています。

★用語・人物メモ★

デレク・ジャーマン(1942-1994)・・・映画監督。庭師。PSBのファースト・ツアーのツアー・ディレクター。エイズで死去。

The Fool On The Hillザ・フール・オン・ザ・ヒル・・・ビートルズの1967年「マジカル・ミステリー・ツアー」収録の曲。ビデオはこちら。

Hacienda ハシエンダ・・・ファクトリー・レコードが経営していたマンチェスターにあったクラブ。1982年オープン、1997年クローズ。当時の様子は映画「24アワー・パーティ・ピープル」で描かれている。

Village People ヴィレッジ・ピープル・・・1977年結成のアメリカのグループ。コンセプトはそのものズバリの“ゲイ”で、メンバーは全員ゲイ・アイコンのコスチュームを身にまとってパフォーマンスした。実際ヴォーカルはゲイではなかったが、その他のメンバーはゲイだといわれている。「Go west」は1979年。どちらかといえば“イロモノ・グループ”で一発屋的イメージがあるが、PSBがこの曲を世に放ったことで後年ベスト・アルバムが出るなど、ヴィレッジ・ピープルは再評価されている(正式にはまだ解散していない)。ヴィレッジ・ピープルの元メンバーのカウボーイことランディ・ジョーンズが去年、PSBの曲「New York City Boyをカバーした。

パッヘルベル
Johann Pachelbel(1653-1706)・・・ドイツ・バロック期の音楽家。「カノン」は代表曲で、現在でもさまざまなサンプルとして使用されている。ビデオはこちら。

マッチョな男性たち・・・言語は“butch men”。“butch”は「タチ=レズビアンの男役」の意味で、もともと男性に使う単語じゃないとは思いますが、男性に使う場合は“マッチョですかね。

South Pacific
「南太平洋」・・・オスカー・ハマースタインU世脚本のブロードウェイ・ミュージカル。「There Is Nothing Like A Dame」(「女が一番」)はそのナンバー。セーラーやマッチョがいっぱい出てくるビデオはこちら。(映画より)

Richard Nilesリチャード・ニールズ・・・イギリスの作曲家、プロデューサー。My spaceはこちら。

Brothers In Rhythm ブラザーズ・イン・リズム・・・ハウス・ミュージックのミュージシャン、リミキサー。DJs Steve Anderson Dave Seamanのデュオ。Psbの曲は数曲リミックスしている。

旧ソビエト国歌・・・ビデオはこちら。こっちは「Go west」に本当にそっくり。

Jacques Morali ジャック・モラリー(1941-1991)・・・フランス人だが、ニューヨークでヴィレッジ・ピープルを結成させた仕掛け人。「Go west」も作詞・作曲。1991年に(PSBのカバーを聞くことなく)HIVで死去。

Tales of the City
・・・・
Armistead Maupin アーミステート・モウピンの「San Francisco Chronicleサンフランシスコ・クロニクル)」のシリーズ。1993年にイギリスで民放チャンネル4のミニ・シリーズ・ドラマになる。

Armistead Maupin アーミステート・モウピン(1944-)・・・アメリカ、サンフランシスコのゲイ・ライター。サンフランシスコのゲイ地区・カストロ通り界隈の代表的なゲイ運動家。

シルヴィア・・・1991年からPSBのバッキング・シンガーをつとめる黒人女性シンガーのシルヴィア・メイソン・ジェームス。PV出演はこの曲だけ。

A Matter of Life and Death(天国への階段)」・・・1946年のイギリス映画。アメリカでの公開タイトルは「Stairway to Heaven」(レッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」の原題はこちらだが、関連はなし)。

James David Graham Nivenデヴィッド・ニーヴン(1910-1983)・・・イギリス出身のアカデミー賞俳優。007/カジノロワイヤル』(‘67)ではジェームズ・ボンド役。

Mikhail Sergeevich Gorbachev
 
ゴルバチョフ(1931-)・・・旧ソビエトの最後の書記長(最高指導者)。ニールのインタビューによると、PSBはロシアに行った際にゴルバチョフに会っていて、転びそうになったニールを抱きとめてくれた(!)と語っていた。




 「Go west」は、おそらくPSBを知らない人でも聴いたことのある曲だと思う。主にサッカー関係で…98年のワールドカップ・フランス大会(特に予選)では、日本の応援歌だった。2006年のワールドカップ・ドイツ大会でも会場で流れていた。また、CD化はされていないものの、Kinki Kidsが日本語カバーで歌っていた時期もある。(さらに、私の記憶が正しければ、10年ほど前TV番組の「ダウンタウンDX」で毎週、最後のクイズのパートに使われていた。ほとんどフルコーラス流れていたと思う)。
 まあ、そんなハッピーアゲアゲな側面がありながら、この曲はズシリと重いアンハッピー・ソングだ。アメリカの能天気なほど明るい歌を皮肉っぽくトラジックにカバーするなんて、イギリス人にしか出来ないと思う。ロシアのタイツ男たちが行進するPVによって本当のテーマを摩り替えて、一般人(ホモフォビックな人も含めて)に「ああ、これはロシア/東欧社会の西欧化かぁ」と思わせてしまったのもすごくウマい…まあ、実際にはすごくゲイっぽいPVだと思うけどね…「I love you」…「I know you love me」の掛け合いが男同士だもん(映像だとニールとクリスの掛け合いですね)

 この曲は「Somewhere」と内容が似ている。「Somewhere」はミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」の劇中歌だけど、ご存知の通り「ロミオとジュリエット」を下敷きにしているため、恋人たちの運命は悲恋に終わる。つまりどちらも、禁じられた恋ゆえに生まれ育った町を出て理想郷を求めようとした恋人たちが、ついぞそこには辿り着くことが出来ない悲恋劇だ。どちらもクリスの好みでカバーされている。

 「マーガレット通信」の「1曲に固執する」でも書きましたが、これは当時のエイズによる楽園崩壊の真っ只中にいたクリスの、仲間や友人や恋人に対する愛の深さと切なる訴えと考えていいと思う。隠しトラックの「Postscript」に続きます。



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