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♪♪妄想乙女マーガレット通信★vol.41♪♪
別冊「まりりんのの日記」/ペットさん(ペット・ショップ・ボーイズ)偏愛フリーペーパー
第39号・2006年10月発行★発行人:まりりん石原、執筆乙女:マーガレット(題字:ニール王子)

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「Pet Shop Boys、icon」;「GQ」UK版4月号インタビューA
GQ」4月号のインタビュー訳その2。記事を書いた&インタビュアーのJason Barlowさんはもともとカー・ジャーナリストだそうで、結構言っていることが理屈っぽいというか、難しい。
↓それにしても写真が全部、古いよね…。撮
りおろしはないんですね…。


 

 「ゴッド・セイブ・ザ・クィーン」(“maaannn!”って意味)のジョニー・ロッテンの怒りっぽい冷笑から、アークティックモンキーの計算高い解散(「サンフランシスコのデマ話」の「君はニューヨークからじゃなくてロザーハムから来た」)まで、ポップは確実性および真の感情の必要性から出没する。マライア・キャリー、ジェームズ・ブラント、よろよろのキース・リチャーズさえもネルコートの周りで酔っ払って失神することが“現実”だ。
 現実は、何かが動く時。歌の歌詞や旋律の花文字が他のどこかに移動させる場合。表象的な技術、メディア操作や明白な技巧にもかかわらず、ペット・ショプ・ボーイズのバックカタログは実際に「現実の」歌でいっぱいだ。彼らは非常に多作で無限に想像的である才能のある作家である(ダブルCD、Bサイドコンピレーション“アルタナティヴ”は壮大だ)。その2つの、2番目のアルバムは難しくない。実際、彼らの12番目の「ファンダメンタル」は相変わらず叙事詩的に努力ないように思える。それらは明らかに辛辣で投げやりなポップ(「I wouldn’t normally do t
his kind of things」「Red letter day」)でグッドだ。しかし、それが「現実から取られている」場合はさらにいい。
 彼らの作品の「Being bo
ring」は、スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダを引用した古い友人のパーティの招待状からインスパイアされている。テナントが声高に言うように、楽しみはそれを利用する知識によって増強されるかもしれない。「コード・チェンジ。Aフラット、Bフラット、7番目のGマイナー、Cマイナー。ストック・エイケン・ウォーターマンはたくさん使用した。そこには必然性がある。憧れだ。」私は個人的に、そのシングルをリリースしてトップ20に入る皮肉が好きだ。
 しかしながら、ほとんど、耐え難くほろ苦い歌を楽しむだろう。豊かで、ストリングを重ね、歌うというよりささやきのようで、テナントが常に夢見たものになったことの喜びは、途中の友達を失う悲嘆に対してリセットされた。“僕たちが人々に、僕らが行うのがある種類の精巧な冗談であるという印象を与えたことは失敗だ。”と、彼は自己防衛的に言った。
 (実際には4分21秒だが、)別の示唆では、サイモン・カウェルの無能なならず者のどれも常に理解しなかったか明瞭に表現することができた音楽および言葉がある意味では後悔を呼び起こすために結びつく。「いま、僕は違う顔で座っている/外国で借りた部屋の中で/僕がキスした全ての人たち/ここにいる人もいるし、いない人もいる/1990年代に」
そう、テナントは歌う(クリス・マーチンはたびたびコールド・プレイのX&Yで隠喩をバラバラにしなかった。彼のラベルメイトに聞くようにするよりずっと悪い)。
 私の集計によると、ペット・ショプ・ボーイズは少なくとも20のクラシック・ポップ・ソングを書いてきた。レノン&マッカートニー、デビット・ボウイ、エルビス・コステロ、他の俗に言う”祝日ポップソングライター”をガマンする計算で。「レフト・トゥ・マイ・オウン・デヴァイセズ」「マイ・オクトーバー・シンフォニー」「ソー・ハード」「レント」「アイ・ウォント・トゥ・ウェイク・アップ」「サバービア」・・・これらの6つが単独で交差した土地、ショスタコヴィッチ、ソンドヘイム、ソンタグ、シェーリズ、もちろん“ディスコビートのチェ・ゲバラとドビュッシー”・・・は、率直に、チャート・アクトに結構多い。彼らが一貫して偉大なアルバムより多くの偉大なシングルを生産したと主張することができるだろう(「オールタイム・ベスト・アルバム」リスト中でそれらはめったに現われないという事実を説明するかもしれないが)。デビューの「プリーズ」、1990年の「ビヘイヴァー」、1993年の「ヴェリー」、すべて彼らがそれ相当の功績を認められないひどい仕事だ。とても影響力がある。彼らの音の指紋は、マドンナ、グゥエン・ステファニー、シザー・シスターズなどの最近のアルバム上にすべてある。「彼らはとても影響力がある」と、マドンナの最新アルバムのプロデューサー、ジャック・ル・コントのスチュアート・プライスはクレームを言う。「私はマドンナが彼らをよく知らないと思うが、“ペット・ショプ・ボーイズ!私、彼らがメチャメチャ好きよ!”と叫んでいたよ。」
 2006年、彼らは実際にカルト・アクトで、歌の一つは、チャートにおいて高い衝突着陸をし、その後、目まぐるしく墜落する。ザ・スミスがそうだし、それはややペット・ショプ・ボーイズにもそう言える(ザ・スミスはいつも、彼らがシンセではなくギター・ベースだったから、より批判的に崇敬された第2の自我(親友)だ)。彼らの訴えが"spinal tap(脊髄穿刺)"を言い換えるためにあるかもしれないことを私が示唆する場合,"より選択的"になり、彼らは両方とも笑ってやじるだろう。私はあえて1996年の「バイリンガル」を低く評価するが、彼ら自身の”メイン・ストリートからはずれて“いるからだ。この会話は、とてもペット・ショプ・ボーイズ的だ。

ニール・テナント「僕はそれを”エグザイル(追放)・・・“として聞いたことは一度もない。僕らしいレコードじゃない。僕はロックをまともに聴いたことがない。ともかくある種のロックの無秩序さだ。おかしいけど、僕はベイビーシャンプルズが好きなんだ。”ジャック・ダニエル・ロックのボトルからのスゥイング“は全て、僕のものになったことがない。僕は、リトル・フィートになったら、ロックと完全に絶交するだろう。(小休止)。あごひげだな・・・。ポップ・ミュージックにあごひげが生えたら・・・。」
クリス・ロウ「ZZトップ!」
ニール・テナント「ドラーグ・アクト(引きずる行為)だ。」
GC「コメディひげをつけて。」
ニール・テナント「ありがとう。コメディひげをつけてね。まさに、ZZトップはマシンとギター”エリミネーター“で演奏する。僕らのヴァージョンの”ホエア・ザ・ストリーツ・ノー・ネーム“を聞いてくれ、全くZZトップだ。ペット・ショップ・ボーイズとZZトップ間のリンクだ。パワー・コードとドラム・マシン。」
GC「それで、U2の初期の90年代の皮肉の徹底的再構築への道を開いたと、よくいわれます。(1991年のディスコ・カヴァー”ホエア・ザ・ストリーツ・ノー・ネーム“に感謝!)」

ニール・テナント「そう。でも、僕はそれが真実とは思わない。彼らはそれに対してちょっと腹を立てていたからね。」
GC「ドラッグ・アップ(手荒に仕上げた)から。」
ニール・テナント「僕たちは決してしていないよ。今、彼らはキャンプだ。ボノは意外にいい感じでキャンプになっているよね。金のスーツ・スタッフにみんな悪魔がいる。」
クリス・ロウ「僕は、U2がやることはみんな大好きだった。」

 控えめに言っても、このような古典的なペット・ショプ・ボーイズのやりとりの最中にいることは、おかしい。特に20年間以上彼らの作品が好きだったならば。さらに、いくつかのものが証明されている。彼らがどのようであると正確に想像できる。ニールは背が高く、高慢で、ちょっとボスのようだが、常に丁寧だ(期待以上に毒舌だが)。
 クリスは、いま40代半ばだが、若者のフードつきウェアを探してブルーウォーター・ショッピング・センターを歩き回る茶目っ気があり、テナントに喋らせることが幸せだ。彼の有名な気まぐれな表の仮面に反して、彼の間投詞はかなり快活だ。彼は、一貫した成功の20年間をあたかも、一連の途方もないアクシデントのように概観している。それがどれなのか明らかにはされていない。
 テナントは、彼ら2人にとっての重要なコントロールについて語る。「僕たちの最初の契約は、僕たちがすべての芸術的なコントロールを行っていなければならないと規定した。また、それは、それすべてより優位に立ち続ける巨大な量のエネルギーを消費した。」彼は突然、クリスに、新しいトレーナーを着ているかどうか尋ねるために話を中止した。(「前にそれ、着ていたっけ?」「君は初めて見るんじゃない?」)ちなみにヨウジ・ヤマモトだ。
 この持続するプロのパートナーシップはもとより魅惑的だ。ポピュラー・エンターテイメントの恐ろしく不安定な世界中のかき集めに案内されたことを気に掛けない人にとっては。ペット・ショップ・ボーイズは映画を試みて残している(1987年の「It couldn’t
happen here」は、「A hard day’s night」に匹敵する)。気前よく設備されたライヴ・パフォーマンス、デレク・ジャーマン、ザーハ・ハディット、カイリー・ミノーグ、デビット・ボウイ、ヨーコ・オノ、ライザ、ミネリ、ダスティ・スプリングフィールドらとのコラボレーション、エロティックなビッグ・バジェット・シアター(2001年の「クローサ・トゥ・ヘヴン」)。それはリストの1つの地獄だ。テナントは、ノエル・カワードとノエル・ギャラガーの間にはつながりを持たせた。彼がターナー・プライズのときにティナ・ターナーと話すのがハッピーであるのと同じように(彼は両方ともに関係がある)。彼とクリスは両方とも、とてつもなく噂話好きで、素晴らしきエンターテイメント・カンパニーである。(「アメリカでは、多くの尻にキスしなければならない。ドイツではそんなことないのに。どれがどんなによいことか。現在のUKでさえ、尻にキスしなければならない。明けても暮れても、彼らは糞をシャベルですくっているだけだから、僕は、それらのグループのキッズに対してこれほどリスペクトしている。」)
 それはちょっと置いといて、みな暮らしが良くなった、パブで粘って”
Razorlight(かみそりライト)“と言う。
 もちろんペット・ショップ・ボーイズは特に用心深いオペレーターとして以前彼らを目立たさせた故意の曖昧さにずっと前に先行した。今では、彼らは”アウト“している。80年代の全盛期でさえ、テナントは「ひねくれ・ポップデュオ」として、イレイジャーやコミュナーズを一体視しようと努力した私のようなストレートの男性ポップ・ファンに言及させる(私は彼らの音楽はばかばかしいものだと思っていた)。ペット・ショップ・ボーイズはおなじ環境で曲を作り続けているようだが、彼らはとても洗練されている。ホモエロチシズムはかなり明らかだが、公然にあるのではなく、「It's a sin」のカトリック教に対する怒りは偽善の1つの特定のエリアによって動機づけられている。
 1987年のシングル「レント」は、遊びというには度が過ぎるジャケットだった(歌詞は古典的トーチソングの領域で、かこわれた女性の視点から歌われている)。「ドミノダンシング」のヴィデオでは、1組の半裸のラテン・ボーイ同士が、美しい主演女優にかぶさるような喧嘩シーンはみなに何かを考えさせた。1993年のヴィレッジ・ピープルのカヴァー「ゴー・ウェスト」は、ゲイ・
ユートピアの叙情詩で、忘れないでほしいのだが、それはサッカーのハーフタイム歌として採用されたかもしれないし10歳以下に好まれたが、それは同時に劇的にキャンプ(ゲイっぽい)なのだ(B面は、素晴らしい「シェイムレス」という歌。この場合においては、それらは明白に皮肉だ)。ここで質問・・・ペット・ショップ・ボーイズはどんな風にクィーア(奇妙、ゲイ)か?好きにさせるはどうクィーアなのか?

ニール・テナント「僕たちはもうキャンプだなんだってことには飽き飽きしているんだ。最近の「ザ・サン」に、僕らが”最もキャンプなもの”だと周りから評されている、とあった。僕らはフランキー・ハワードじゃないのに。僕らは一度だってドラーグ(女装)したことはない。それで僕がやんわり侮辱されているとわかるだろう?誰がゲイか、と言うときに”ああ、キャンプだ“というのはとてもグズグズした方法だ。本当にそれは非常に複雑な概念だ。ロビー・ウィリアムズはキャンプ、デビット・ウォリアムスはホントにもっとキャンプだ。マット・スーカスは意外にキャンプじゃない。僕たちはさらに難しい試練がある。僕は、気難しい中に娯楽価値を見つけようとしている。キャンプは法外な自己確信に依存している。モリッシーとジュディ・ガーランドに因果関係があるんだよ。」
クリス・ロウ「(笑)そりゃあいい。もう一回、デカイ声で言ってよ!」

ペット・ショップ・ボーイズは動き続いている。たくさんの人々・・・スタンモアからセントペーターズバーグまで、確かにハッピーにしている。彼らの素晴らしいニューアルバム・・・ヴェリー・ペットショップ・ボーイズの重版・・・「ルナ・パーク」「インディフィニート・リーヴ・トゥ・リメイン」「サイコロジカル」、ブッシュとブレアの風刺「アイム・ウィズ・スチューピッド」のようなサウンド・・・は、彼らをファッショナブルにするかもしれない(彼らが悩まされないように)。しかし、小さな青い記念碑に少なくとも相当する業績の40かそれ以上のヒット・シングルスを獲得することが出来た。
 「僕たちは、まさにトレヴォー・ホーン的レコードを作るようにトレヴォーに強く求めた。」テナントは言う。「僕らは大げさなプロダクションの大ファンなんだ。このアルバムの1つのトラックは、歌の余韻を回復させるような重いドラムがある。」
 ニール・テナントは、まさしくポップ・ミュージックそのものと同年代だが、明白にまだそれに完全に夢中である。これからもずっと、ペット・ショップ・ボーイズの不合理な冒険は継続するだろう。           終わり

*今年に入ってから、アルバム発売前(5月17日)に何度か彼らはUKの紙面で取り上げられているのですが、インタビューに必ず出てくるのは、どうもニールがご執心らしい、デビット・ウォリアムスの名前!(「アイム・ウィズ・スチューピッド」でニール役を演じていたコメディアン)イケメンで彼もニールファンなので、いい感じ・・・じゃない、デビットはノンケなので、早くあきらめて下さい、ニール・・・キャンプな男が好みなんでしょうか。ところで相方のマット・ルーカスが、9月9日、めでたく同性結婚したので、次回は「リトルブリテン」特集の予定です。

★★★★★★★今月の写真★★★★★★★★★★

 かわゆいす、ニール、かわゆいッス。まるでメガネっ娘じゃないですか。1988年アルバム「Actually」の別ショットだと思いますが、この時代っのニールは“すかした、冷たい、素顔を見せない男”だったはず。こんなお茶目なショットもあったのか・・・。アルバム写真ではかけていないのに、ナゼわざわざメガネかけたんだろう?ドハンサムなクリスをじっくりみるため?しかしこのメガネ、つぶらなタレ目とあわせて、パーティグッズのメガネみたいですよ!髪形も含め、今ではほとんど見れそうにない“かわゆいショット”でした。

 


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