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♪♪妄想乙女マーガレット通信★vol.50♪♪
別冊「まりりんの日記」/ペットさん(ペット・ショップ・ボーイズ)偏愛フリーペーパー
第50号・2007年3月発行★発行人:まりりん石原、執筆乙女:マーガレット(題字:ニール王子)

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気がつけば50号目でした・・・。


 
・・・ということで、今回はPSBとマーガレットの歴史を振り返ってみたいと思います。

 

1985年(マーガレット17歳)/


 ちょっとした紆余曲折を経て、PSBデビュー。31歳と26歳の、遅咲きコンビ。田舎の高校生マーガレットは前年にディスコ・デビュー。友達がDJとしてディスコで回していたので、今で言うところのクラブ・ミュージックに浸っていた。でも、初めてPSBを意識したのはお勉強中に聞いていたFMラジオから流れてきた「Opportunities」とB面「Was t
hat what it was?」の12インチバージョン。このときこのラジオでは他にニュー・オーダー、a〜haなどもかかっていた(現在でもこのエアチェックしたカセットテープは持っています)。シンセを使用したエレクトリック・サウンドの存在をかなり意識した。この前後、映像としては「ベストヒットUSA」でかかっていた「West end girls」で初めて2人の姿を拝見。ニール=すごくイギリス人ぽい、化粧が濃い。クリス=PVでは何もしていないため、あまり印象なし!Wham!のアンドリューみたいなもの(曲も作らない、歌も歌わない、何もしないでヴォーカルに寄り添っている2人目)だと思っていた。ごめん、ベビ。“軽薄な時代”といわれる80年代は、80年代前半に多く排出した“軽くて聞きやすい”シンゼ・ポップと、ややグラム・ロックの流れを汲む“化粧したロマンチック系”で構成されていたが、多くはあだ花で終わり、現在まで活動しているグループはほとんどない。解散後、個人で活動しているミュージシャンはいるが、ジョージ・マイケルのように音楽よりスキャンダルのほうが先に話題になる人も…。

 

 

1986〜90年(マーガレット18〜22歳)/


 PSBの“皇帝時代”(ニール曰く)。これまで作りためていたものを吐き出すように、たった5年で「Please」「Actually」「Introspective」「Be
haviour」と立て続けに4枚のアルバムを出し、映画「It couldnt happen hear」まで撮っている。ただし、ツアーは89年までなし。もちろん時代を象徴するミュージシャンとして、メディアでもたくさん取り上げられている。日本でも、ちょっとルックスでも女子を呼びこめると思ったのか、アイドル扱いされていた。写真がたいてい恥ずかしい。本人たちは凄く嫌だったそうだけど、ニールの「ポップ・スターになる」という夢は叶えられた。プロモーション初来日時は、青山・表参道あたりで山のようにDCブランド洋服を買い、夜のヒットスタジオに出演し、ファンとともに東京湾クルーズなんてしていた。これに参加した人っていますか?
 マーガレットは大学進学で上京。世の中はバブル。生来、流行りものが大嫌いなマーガレットは、バブルに背をむけ、アート活動&舞台活動に没頭。人形製作にも出会う。別に華やかでもなんでもない青春を送っていた。でも、東京でMTV関連の見られる番組が増えると、いっぱしの洋楽フリークに。PSBに関しては“普通にチェックするミュージシャン”レベル。イギリスの音楽情報は少なかったと思う。

 

1991〜99年(マーガレット23〜31歳)/


 PSB熟成期。勢いよりもむしろ内容、これまで培った地位と名誉とお金を駆使して、本当にやりたかったことがポロポロと顔を出す。アート重視のライブ・ツアー(大赤字)、新人発掘&プロデュース(現在は休止)、大胆なカバー。実際は解散やソロ活動の計画もあったようだが、それは回避された。この時代は社会全体に非常に重苦しいものを抱えていた。世紀末という時代だからか、社会主義が崩壊、世界地図が書き代わり、ヨーロッパも日本も好景気がはじけた後の暗黒の不景気時代に突入。音楽も明るくはじけたポップの時代から、重いグランジやオルタナティブが台頭。以前よりも音楽にメッセージが求められた。ちなみに日本では、年号が代わるものの、阪神大震災とオウムのテロ事件が95年にたて続けに起こり、平和な時代が本当の意味で終わってしまったと思う。これを境に日本の安全神話は崩れ、良くも悪くも日本の特色であった“働く”ことの意味が希薄になり、人の心が荒み、犯罪の増加、犯罪検挙率の低下、援助交際も問題になっていく。この時代前までは“お金がすべて”という人はまだ少なかったはず。また、この時代はゲイの受難期。知識がない時代に感染したHIV感染者が大量に亡くなっている。海外ではゲイの多い演劇界、音楽界からも多くの犠牲者を出した。PSBも知人・友人を多く失い、ニールは94年に「ゲイの視点から詩を書いている」とカミングアウト。その結果、PSBの音楽界における立ち居地がある意味で確立され、逆に熱狂的ファンを得ることになる。
 社会人になったマーガレットに関しては、この時期はいわゆる洋楽(英米の流行・・・特にヒップ・ホップ系の台頭)から一番遠ざかっていた時期。どちらかといえばワールド・ミュージック(アジア)とフレンチ・ヴァリエテにはまっていた。ただ、90年代PSBの最大のヒット曲「Go west」はもちろん耳にしていた。ただし、エイズ・クライシスを裏テーマにしていたとは全く知らなかった。だって、サッカーの応援歌(Wカップ・フランス大会)に勝手に使っていたじゃん(この曲をサッカーに使うのは世界規模みたいだけど)。

 

 

 

2000〜03年(マーガレット32〜36歳)/


 エイズ・クライシスが一段落し、20世紀が終わり、“生き残った”ミュージシャンたちが世界を変えようとしていた。しばらくまったりしていたPSBも同じく。99年の終わりに(ズバリ、ノーメッセージと断言してしまうけど)「New York city boy」でまた世界中をダンスフロアに変え、中身が年をとらない40代コンビの底力を再確認させた。ヒットを飛ばしながらも、アート系も忘れず(念願のミュージカル「Closer to
heaven」も書いたし)。2002年のアルバム「Release」あたりから、ライブがロックバンド仕様になったり、ゲイ・イベントを主催したりゲイ・バッシングに対抗したり、組合仕事も多くなる。
 マーガレットのプチバブル時代。これまでの人生で一番忙しかった時代で、充実していたし、自分に自信もあったし、最高に幸せな時代だった。ただ、愛よりお金をとってしまったゆえに、ちょっといくところまで行ってしまった感じ。久しぶりにじっくりと「Release」を聞いたら、急に何か大切なものを犠牲にして、一人で戦っていたことに気がついた。ちと遅かったかも、いや、でも、PSBの繊細で優しい音は、30超えでないとわからなかったかも。こんなに人生が切なかったなんて、初めて気がついた。PSBの曲すべてが、自分の感情を表現しているように思えた。PSBはダンス・ミュージックだと思っていた自分がバカだった…もっと大切にすればよかった。PSBは人生の悲しさや切なさが全部詰まっている。これまでもワタシは感情のない人間だったのかも、と思った。

 

 

2004年〜(マーガレット34歳〜)/


 マーガレット厄年。厄年にアトリエを建ててしまったし。目的達成で気が抜けたのか、マーガレットの暗黒時代突入。引きこもり!一大事!いろいろなもの恐怖症!仕事が出来ない!いままで自分が築いてきたものを自分の手で壊した、ような感じ。人形を製作して15年以上、何の疑問もなく当たり前に、楽しく、じゃんじゃん作っていた手が突然止まってしまった。毎日、毎日、PSBを聞いてなく毎日で、自分の時間が止まってしまったような気がした…。
 PSBは2003年の後半に20年の区切りのベストアルバム「Popart」を出し、アニバーサリー。その割には2004〜2005年は表立った行動はそんなになかったと思う。2006年発売予定のアルバムを製作中だったからだと思われるけど。ワタシは今まで好きな音楽でも、それはミュージシャン本人とはあまり関連づけて考えるほうじゃなかったので、必要以上にミュージシャン本人に立ち入ることはなかった。もちろんミュージシャン本人の体験や考えたことが音楽で表されることは往々にあるけど、それは結果的にであって、公表される(作品として世に出る)限りは、もうミュージシャンの私的レベルとは切り離されると思っていた。でも、PSBだけはなぜかその考えができない。PSBはどんどんワタシに浸透してくる!これまで、誰かの熱狂的ファンの気持ちを、理解していたようでいて、全然理解していなかった。でも、あくまでもPSBはほぼ架
の人物に近い。ワタシのPSBはワタシの妄想に過ぎない。同じ地球上の同じ次元に存在しているかすら不確かだ。私ら末端には、“商品”である彼らしか存在しない…。でも、それはとても気楽なことでもある。妄想で遊ぶことが一番ラクだし、誰もそのことに文句を言わない。
 創作意欲を無くして久しくして、ワタシが猛烈に作り始めた人形が、ワタシの妄想の3次元化である事はもうお分かりでしょう。これは一種のリハビリ。好きなものを作って良いよ、といわれれば、間違いなくPSBを作る。完成したものを彼ら本人に見せる、ということは、ワタシにとっては妄想の現実化だから、とても怖いことだ。妄想を他人に否定されるかもしれないということだ。でも、一応プロとして、評価して欲しい部分もある。これは消極的な自分との戦いだ。結局、背中を押されて、写真をファンクラブに送ることで、私の妄想は現実と繋がってしまった。
 アート好きなで収集家のニールは、これまで数多のアート作品を見て、とてつもなく目が肥えているはずだし、男っぽいクリスが日本のオタクカルチャーである人形なんかに興味を示すはずもないと思った。自分に似た人形なんて、ストーカーみたいで怖いじゃないか。そんなワタシの“やっちまった感”とは裏腹に、彼らは私の作品をちゃんと評価してくれた。
 落ちた。ワタシは彼らに落ちた。現実なんだ

 その後はみなさんの前にいる今のマーガレットです。一人ファンサイト、マーガレット通信、ブログ、ツアー参加、その他、PSBがないとやっていけない生活です。
 PSBは「Fundamental」もグラミーにもノミネートされ、2006年夏から2007年春までの長いツアーを再開、若いミュージシャンからのリスペクトも強く、さまざまなミュージシャンの企画に精力的に参加、ますます忙しい日々を送っている。先細りするどころか、どんどん熟して花を咲かせるイギリス最強の
硬い絆コンビになりつつある。

 

 
このマーガレット通信も、最初は書きたいことが多くて、めちゃくちゃペースが速かったんですが、今はブログも書いているので、3〜4週間に1度くらいに落ち着いてきました。でも、ちゃんとペーパーにも印刷してギャラリーにも置いてあるし、メールで配信もしてますので、今後も続けるつもりです。これもそれも、PSBの2人の奥深い魅力、どんなに語っても語りつくせないんですよね。
 去年に続き、今年もヨーロッパツアーの1部を見てくる予定です。今後また、その様子とかも通信で書いていこうと思います。
本当は、今頃は日本に来ているはずだったのに、大人の事情か何かで、ぽしゃったんでしょうね、きっと。でも、PSBは活動をやめることはありません。今年の秋とか、来年とか、まだまだ希望はあります。みんな、来日を強く願って、現実にしようね!
 今後ともよろしくお願いします。  
                                  

LOVEXXX、マーガレット

 


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