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♪♪妄想乙女マーガレット通信★vol.58♪♪
別冊「まりりんの日記」/ペットさん(ペット・ショップ・ボーイズ)偏愛フリーペーパー
第58号・2007年11月発行★発行人:まりりん石原、執筆乙女:マーガレット(題字:ニール王子)
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▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽シリーズ:1曲に固執してみる・H▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「1曲を徹底的に研究してみる」第9弾。“アルバム全曲レビュー”とほとんど同時進行なんですが、あちらはあくまでもご本人たちの解説を中心にして、よりアーカイブ的要素を強くして、ワタシの妄想を入れ過ぎないようにしているので、こっちは妄想度が強い“裏レビュー”です。今日は、キャリア中で最重要とも言えるデビュー・シングル「West End girls」 (’84)
の妄想解説です。
最初にこの曲を聴いた(そしてはじめてPSBを聴いた)のは、まだ高校生のとき、FMラジオだったと思う。その後すぐに「ベストヒットUSA」でPVを見て、一生忘れられない曲になった。当時UKポップは、デュラン・デュラン、ワム!、ア〜ハ、ABC、カジャグーグー、スパンダー・バレエ、エコ&バニ、ヒューマン・リーグなど日本にはニューロマンチック路線かアイドル路線として紹介されるのがメインで、PSBもそういう印象を受けた。アイドルにしてはボーカルのトウがたっているなとか、もう一人は何もしていないな、とかいう感想を持ったにせよ、PSBに関してはなんて音そのもと
「ベストヒットUSA」で紹介されたのは、「West End Girls」が全米ビルボード・チャートで1位になったからだが、当時からこの番組ではPVに日本語訳詞の字幕がつけられていた。すっげえヘンだけど。で、当時まだおぼこかったワタシは、素直に「West
End Girls」の訳詞を読んで、なんて難しいんだろう・・・子供には理解できない、と思った。で、あれから22年経ったが、まだよくわからないんである。困ったもんだ。だいたい、80年代の洋楽ってほとんど単純な惚れたハレたの恋愛の歌が多かったから、こんな難解な詞は正直初めて見た。他のみんなは能天気に薄っぺらい色恋を歌うのに、この閉塞感、ネガティブな感覚は一体何?そしてワタシは”世界の行き止まり”であるロンドン=ウエスト・エンドへの憧れも抱いた。
語り手は上から“君”という男を見ている・・・主人公とはどんな関係なんだろう…。彼は夜の街を彷徨い、酔っ払い、逃げている。そして唐突にサビの部分で出てくるイースト・エンドの男たちと、ウエスト・エンドの女たち。タイトルにもなっているから、ウエスト・エンドの女たちには何かあるんだろう、と思うけど、それ以上の言及はない。2番で、彼は問い詰められながら何かを手に入れようとしているようだ…う〜ん、女の子かな?それともドラッグかな。3番になるとホントにもう何がなんだか。“ジュネーヴ湖とフィンランド駅”というのがレーニンのヨーロッパ亡命ルートの一部だと知ったのはずっと後のこと。
つまりこれは、今後PSBが活動していくにあたっての今後のテーマを列挙したものだと思う。まあ、彼ら自身にそんな予知能力があったかどうかというのはともかく。つまり、ロンドン(もちろん彼らの本拠地)、ウエスト・エンド(ロンドンの地名であり、同時に演劇界そのものも意味する)、死、狂気、ドラッグ、夜の街、アングラ、クラブ
(ダイヴ・バーは実在したゲイ・クラブで、2人も常連だった)カルチャー、ヘテロとゲイ、男と女・ハードとソフト・過去と未来(相反する二つのもの)、ロシアへの傾倒、そしてもちろん愛そのもの・・・。そう思うと、やっぱりこの曲はとても深い。歌詞は単にギャング映画に影響されているとか、さまざまなポップ・カルチャーに影響を与えたT.S.エリオットの詩「Wasteland」(邦題「荒地」・・・第一次世界大戦後の荒廃した世界と救済への予兆を描いている)の影響も受けているらしいということですが、まだ未研究なのです(難解すぎてワタシには無理かも…ロシア革命と言い、イギリス政権の流れといい、ニールに付き合っているといくら脳みそがあっても足りんとです)。
実際、まだまだ理解するのは不十分なのだけど、この詞が書かれたのは23,4年前で、その時のニールの置かれていた(サラリーマンの)環境やイギリスの社会情勢もあるだろうから、ニールの頭の中のすべてを理解するのは難しいかもしれない(あっ、逃げた)。
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●○●○●○●○●○●○●PSBノンケ説の可能性を求めて●○●○●○●○●○●○●○
こんなことを言っても、95%の人に「ありえネエ」と一蹴されてしまうだろう。でも実際に「ノンケならいいのに・・・せめてバイでも」と願う熱狂的グルーピー型ノンケ女子ファンはいるのである。個人的には、彼ら自身を尊重するのでセクシャリティはどうでもいいんだけど、1%でも可能性があるのなら、面白い・・・“なんでノンケなのにゲイのふりをするのか”というまさに”ありえネエ”ことがあるのか。
1984年のデビューから10年間、世間のゴシップは「PSBはゲイなんじゃないのか」と囁き、94年のニールのカミングアウトで「やっぱりね」、そしてその後は一部で「PSBはゲイじゃないんじゃないのか」に逆転した。世間は常に天邪鬼にモノを見たがる。多分これはカミングアウトしても曲のスタイル、彼らの見かけ、仕事内容になんら変化がなかったからであろう。例えばエルトン・ジョンやジョージ・マイケルはあからさまに(オネエとヤロウ系の両極ではあるが)、容姿や態度、活動内容や私生活の暴露度が変わった。が、ニールはあくまでそのままで、アウトはしたものの私生活は隠されたままだし、曲の内容は・・・デビュー時からゲイをテーマにした曲を作っていたので・・・変わらないし、ことさら偽装もしていなかったから変化がない。
PSBゲイ偽装・ノンケ説にはもうひとつ原因があると思う。彼らがたびたび自分たちを「ポップ界のギルバート&ジョージ」と例える、芸術家ギルバート&ジョージだ。彼らはゲイ・カップルで活動をしているが、何年か前、“そもそもゲイ・カップルというコンセプトが彼らの芸術表現”なのでは?と、ゲイ説を否定する噂が囁かれた。一般には受けにくいセクシャル・マイノリティも、美術・音楽界ではプラスになることがあり、ゲイの人たちにはシンパシイを受けられ、一般人には一種のパンクロックとして受け止められる、ということらしい。実際にギルバート&ジョージがそこんとこどうなのかは顛末を知らないが、いくら売名のメリットがあるからと言って、わざわざカミングアウトしてまで自分のセクシャリティを偽るとは思えない・・・その後もニールは何度か確かに自分がゲイ(時に”ホモセクシャル”という表現)であることを発言しているから、一時の気の迷いとも思えないので、ニールについては(昔は女性とも付き合っていたと言うけど)事実を言っていると思う(彼はセクシャリティ以外のことでも・・・考えや意見を偽ったり、ころころ変えたりするようなことは今までしたことがない)。
ただ、そのことで彼らはPSB=ゲイバンドとなることを非常に嫌っている。セクシャリティはあくまで個人(私人)のもので、PSBという公の立場にまで持ち込みたくないという。もちろんゲイが作った作品だからゲイの視点で書かれた曲になるのは当然なんだが、だからといって大げさにゲイゲイしく、一般人がついていけないような表現は絶対にしない。公人・私人の線引きはあいまいで難しいが、PSBのすごいところは「誰にでもわかる」ように、しかもそれを下品にならず表現できることなんである。
じゃあ、クリスはどうなんだろう。残された可能性はここにしかない。クリスがただの”ノンケの親ゲイ派”で、ニールに従っている構造にも見ることはできる。クリスは本当に何も発言しないし、ましてや自分の私生活やセクシャリティの話なんて絶対にしない。ゲイであることを肯定も否定もしない。多分、彼が生きているうちに、彼の口からセクシャリティが明らかになることはないだろう。あと40年くらい待つしかないな。・・・そんな彼だが、「ゲイを否定しないポップスターは“肯定した”を意味する」の法則により、一般的にはゲイとされている。「30過ぎたイケメンの英国人が女の噂もなく独身だったら、ゲイに違いない」というルパート・エベレットの名言もあるが。現時点では、クリスがゲイかノンケか決められない。公式HPから直リンクしてある(比較的信用の置ける)サイトには、「クリスは多分ゲイ」と書かれているけど。
クリスがゲイだとされる一番の理由(というか、もう”証拠”に近い)は、PSB絶頂期80年代後半から90年代初めにかけて、4歳年下のアシスタント男性と付き合っていた(同棲含む)からなのだが、これも付き合っていたんだか、男友達とつるんでいたんだかわからない。男友達ばかりとつるむのがラクってノンケの人もいるし。目撃談によると、本当にプライベートではいつも一緒だったようだ。彼のことを”控えめに”ルーム・メイト“と表現する人もいることから、一緒に住んでいたのも確かなのかもしれない。でも、はっきり彼を”恋人”とクリス自身が言わない限りはどうにでもとらえることが出来る。
彼らが穏便に別れたなら闇に葬り去られたろうけど、アシスタント男性がエイズでこの世を去ったことから、このことはゴシップ紙に騒ぎ立てられ、世に知られた。もちろんPSBは沈黙を守ったし(ただしこのことが少なからずニールのカミングアウトに影響を与えた)、現在でも彼は”PSBの前アシスタントで、友人”である。クリスは発言の代わりに、ラブソングとも取れる曲「Post Script」を歌い、アルバム「Alternative」を彼に捧げた。彼の死から数ヵ月後の「Paninaro’95」では、クリスは” Now
you've gone, I'm all alone /I needed you and you loved me too”と表現し(誰に捧げたと名言した訳ではないが)、死後10年経ったコンピ・アルバムではエイズに縁の深いQueenの曲をピックアップしている。(・・・ワタシは何も、こんな意味のないことをいろいろとあげつらって、クリスのセクシャリティを暴こうとしているのではなく、いつもクールな彼が情熱的で愛情深人間であることを言いたいだけなのだ、本当は)。
PSBというグループを考えるに当たり、一見ニールが主導、クリスが追随に見えるが、PSBをよく知ると、実は反対であることがわかる。「Go west」のカバーをはじめ、ほとんどの”決め事”はクリスがしているようなので、その気になれば、曲を”これはゲイっぽいから却下”することもできるんだが、そういうことにはなっていない。ノンケならば「これはちょっとゲイっぽくて意味深」ってわかるから。ニールの乙女なリリックに感動し、共感し、GOサインを出すのがクリスなのだ。
・・・という訳でワタシの研究は徒労に終わりました。ほぼ毎日失恋気分を味わっているワタシに希望はないのか。でも、可能性がゼロになったわけじゃありません。サプライズこそPSBの持ち味(?)、いつかなにかが起こるかも。でも、実は(女性と)結婚してました、とかはイヤだなあ・・・。この可能性もゼロとはいえないもんなぁ・・・その方がショック受けると思うよ。
PSBがノンケだゲイだ、という噂より、2人が付き合っていたんじゃないかという噂(ほとんど定説化しているかも)のほうが気になる。いや、本当に昔付き合って別れた人間が、ここまで長くパートナーシップを持続できるのか。それを考えると、2人は付き合っていない・・・人間的には魅かれあっているけど、少なくともいまはもう性的には魅力を感じていないんだと思います。ニールの「クリスと知り合う前は、女性と付き合っていた」(まるで彼と知り合ったからゲイを自覚した「Can
you forgive