ニール: 1982年のある日、僕たちが80年代初頭の歌を書いていたカムデンのレイ・ロバーツ・スタジオにいた時、クリスはいくつかのコードを演奏し始めた。それは僕にとってとても宗教的に聞こえた。賛美歌みたいに。で、僕は“it's a, it's a, it's a sin“と歌い始めて、僕は5分くらいで作詞した。
“it's a sin“というフレーズを思いついたから、僕は”罪って何だろう?“って考えた。で、カトリック教徒として生きて来たら、全てが罪であると考えた。 思う事はやることと同じように悪い事だと考えられる。この歌は、ちょっと大げさでおかしくてキャムプだよね。
クリス: ニールはカウベルを演奏している。 僕らはこの頃、カウベルに夢中だったね。
ニール: ”ファーザー、僕を許して”というミドル・ビットのセクションは、クリスが書いた別の歌から来ていて、僕は”「It's a sin」にそれを入れよう”と言った。僕らはそれに時間をかけた。 それは、元々はもっとヨーロッパ的で、違う旋律があって、とてもフランスっぽい音を持っていた。
僕たちはボビー'0'と一緒にニューヨークでそのデモをやった。 僕らはストック・エイキン・ウォーターマンとのレコーディングを考えていた。彼らがやったディヴァインのレコード「So You Think You're A
Man」が気に入っていたから。でも、ピート・ウォーターマンはこの歌を気に入らなかった。僕たちはディヴァインのマネージャーにそれを提出した。 ミゲル・ブラウンがやったように、僕たちはそれをイアン・レヴィンに送るつもりだったけど、僕が彼に電話をしたとき、彼は、”タイトルに”罪”があるこの歌は良くないんじゃない?”と言って、「He's
A Saint, He's A Sinner」だけをやった。ACTUALLYのためにこのレコーディングしたとき、僕たちは、レコード全体を壮大にカトリックっぽく、派手派手にすると決めた。僕たちがジュリアン・メンデルソーンと一緒にブロンプトン礼拝堂に行って、雰囲気音をレコーディングしたところに、有名なため息(fuff)がある。それは”father forgive me...”のセクションのバックグラウンドで聞くことができるよ。
クリス: そのとき僕らは、彼に紅茶とケーキを買いに行かせたよね。
ニール: 蝋燭スタンドをきれいにする男性がいて、僕らはそれもレコーディングした。次に僕らはウェストミンスター大聖堂に行って、そこには司祭がいて、0分39秒で彼の説教が聞くことができる。4分44秒で「amen」と歌うコーラスもいた。始まりの「20 seconds and counting(20からのカウントダウン)」はアンディ・リチャーズのフェアライトのサンプルだ。で、僕は「それ、使おう」と言った。それは。アポロ計画の一つからだ。全く関連性はないよ。それから僕はカトリック信者の祈祷書”Confitior”を持ち込んだ。ラテン・ミサはラテン語で暗唱する。「私が過去に犯した罪を告白します・・・」と。ジュリアンはこれをプロデュースしたけど、僕はあまり満足じゃなかったね。僕らは7インチ・バージョンを作ったけど、僕のヴォーカルがあまりよくなかったから、リリースされる事はなかった。それで、僕らはそれ以上の仕事はスティーヴン・ヒューグに託した。
クリス:彼はオーケストラ・ヒットの半分を取った。
ニール:ある日、僕らは「Suburbia」のプロモーションのためにパリにいた。僕たちはゴールデン・タイムにラジオでパントマイムしながらリハーサルしなければならなくて、それがすごくバカバカしかったから、僕らはさじを投げた。トム・ワトキンスが電話して来て言った。「ちょっと、EMIの誰もあえて言わないけど、これは君らのためだよ。みんな君らはおかしくなって「It's
a sin」をリリースしないんじゃないかと。だって、アルバムの曲にとって一番簡単なコマーシャルなんだから。君らが僕の言うことを何も聞かないようになったのはわかるけど、君らはもうちょっと考えるべきだ。」と。で、僕らはやった。僕らは同じアートワークを使うつもりだった。でも、ジル・キャリントン・・・EMIで働いていて、後に僕らのマネージャーになる・・・が言った。「ダメね。「It's
a sin」にはばかばかしすぎるわ」って。それで、僕たちはスピタルフィールズの教会でエリック・ワトソンと新しいセッションをした。スティーヴン・ヒューグと12インチをやった。これはすごく特別だ。エキサイティングなミックスだよ。
(以上、2001年ブックレットより)
ニール:カトリックの罪を歌った曲。正直、僕とは無縁だけどね。すごく短時間で書き上げた。1983年頃のこと。まずクリスがメロディを書き始めた。僕たちはカムデン・タウンの小さなスタジオで曲を書いていたんだけど、クリスがメロディ・ラインを弾き始めるとなぜか僕は“When I look back upon
my life / it's always with a sense of shame(自分の生きて来た過去を振り返ると/いつも罪の意識を感じずにはいられない)”っていう詞を思いついた。ちょっとモリッシー風のサウンドじゃない?どこから出て来たのかはわからないけど、15分後には書き上げていた、本当に。
最後の歌詞、ラテン語部分の英訳・・・I confess to almighty God, and to you my brothers,
that I have
sinned exceedingly in thought, word, act and omission, through my fault, through my fault, through my most grievous
fault.
イアン・レヴィン(Ivan Levin)(1953-)・・・ソングライター、プロデューサー、DJ。ブラックプール生まれ(クリスの高校Arnold schoolの先輩)で「ドクター・フー」の大ファン。ミゲル・ブラウンの「So Many Men So Little Time」「He's A Saint, He's
A Sinner」を書いてプロデュースした。イギリスにおけるハイ・エナジーの元祖の一人で、PSBにも影響を与えている。
ニールの説明によると、この曲が書かれたのは1982〜3年、クリスと出会って1〜2年後。この曲は明らかに、カトリックとセクシャル・マイノリティの対立だけど、当時、そしてリリースされた87年もまだ、その事は公にできなかったし、抑圧も大きかった。82年頃、ニールは明らかにこの時期、自分をゲイとして吹っ切ったと思われる兆しがあって、この曲を書いたんだと思う・・・書くことは抑圧から心を解放することでもある。そして“わかる人だけわかってくれ”と87年に世に発表した。94年、カミングアウト直後のライブでは、伝説のディスコ・ソング(そしてゲイの聖歌)「I will
survive」とマッシュして見せた。そして今21世紀、ゲイであることが当たり前の前提にしているニールにとって、この曲は余裕で「とても面白い曲」になった。時代ともに歩む曲だ。