NIGHTLIFE1-11

「New York City Boy

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 R-150-567309-1153788920
(1999)


クリス:無邪気で、すれていない曲
(
一言コメント:1999)

 

 


原文歌詞はこちらでご確認ください


少年時代は
辛い日ばかり
ベッドに横になって
パンク・ロックを聞いて
家はブートキャンプみたいで
逃げ出したい気にもなる
家出して
紙ふぶきの中をさまよってみろよ
待遇をリアルに感じる
君はニューヨーク・シティ・ボーイ
若いんだ
ニューヨークに飛び込んでごらん

ニューヨーク・シティ・ボーイ
退屈なんかしない、
君はニューヨーク・シティ・ボーイだ、
7
番街とブロードウェイの交差点で

ストリートはアメージング
現実とは思えない密造酒
ハードウェアーを買って
物々交換
曲を聴いてみろよ
まさにボンバー
もし手に入れることができなかったら
86
番街に払い下げ
待遇をリアルに感じる
君はニューヨーク・シティ・ボーイ

ニューヨーク・シティ・ボーイ
退屈なんかしない、
君はニューヨーク・シティ・ボーイだ、
7
番街とブロードウェイの交差点で
ニューヨーク・シティ・ボーイ
退屈なんかしない、
君はニューヨーク・シティ・ボーイだ、
7
番街とブロードウェイの交差点で

夜が訪れたら
呼ばれるままに戻ろう

待遇をリアルに感じる
君はニューヨーク・シティ・ボーイ
若いんだ
ニューヨークに飛び込んでごらん


Written by Neil Tennant/Chris Lowe/David Morales/David Morales


Produced by David Morales and Pet Shop Boys

 


ニール:「Village Peopleのようにこのビッグなディスコ・アンセムをやるべきじゃないか。」と、デヴィッド・モラレスは言った。「ああ、わかった。それをニューヨーク・シティ・ボーイと呼ぼうじゃないか。」と、僕は言った。そして僕、彼らの音楽がどのように聞こえるか確認するためにVillage Peopleのレコードを聞いた。僕は長い間、それを聞いてなかったからね。歌はまさにニューヨーク郊外ブルックリンかクイーンズ、それかウェスチェスターとか、そのようなどこかに住んでいるティーンエイジャーの事だ。

 (
以上、1999Literally21より)


 


ニール:数年前に、ナイトライフ・ツアーをやったとき、この曲をショーのハイライトに使った。会場は間違いなく興奮のるつぼと化したね。バック・シンガー4人を従えてプレイしたんだけど、実際にレコードでも歌っているシンガーなんだよ。ツアーでは全員が船乗りの格好をしてセンターでダンス・ルーティーンを展開、背景にはニューヨークの映像を流した。ミュージカル映画「踊る大紐育」にちょっと似た感じで。これは僕たちの作品の中で唯一レトロなサウンドの曲だ。昔懐かしい、ディスコみたいな質感がある。ニューヨークで、デヴィッド・モラレスと一緒に書いた。彼が、ヴィレッジ・ピープル風の○×賛歌みたいのをやれって言うんだ。そこで「ニューヨーク・シティ・ボーイ」と命名した。理由は、そこがニューヨークだったから。そして、よそ者の若造がニューヨークにやって来たらどんな感じかってことを歌っているから。そしたらデヴィッドがディスコ全盛期のクラシック・ストレンジ・アレンジャーを連れてきたんだ。名前はど忘れしたけど、彼のストリング・アレンジは本当に素晴らしかった。これぞ正真正銘のディスコって言うサウンド。ビデオでは、なつかしのStudio54みたいなこともやった。この曲は僕たちのディスコ賛歌なんだ。誰にだって、そういうのは必要さ。

 (
以上、2003年「POPART」ブックレットより)





*以下はアメリカのファン・マスターWayneさんのサイトの曲説明を訳したものです。
http://www.geowayne.com/psbhtml.htm

 NIGHTLIFEからの2番目のシングルは、アメリカのダンス・チャートにおけるボーイズの7番目のナンバー1ヒットである。形式上、70年代後半のディスコトラックの小さいフル・スロートの男声合唱で、それはVillage Peopleへの完全なオマージュだ。 (また、ブリッジでは、Donna Summer の「Macarthur Park」の表現に近いサンプルを聞くことができる。それは、本当にはサンプルではないが、とてもそれに近い) 。それが事実上そのようなオマージュであるので、プレリリース評は、Village Peopleがゲスト・シンガーとして現れる予定であると主張した。それはそうではなかった・・・スタジオのバックアップ・シンガーがその通りにした。20036月に、私は公式PSBウェブサイトに質問を提出した。ボーイズが、それまでにこのトラックにバックアップを歌うようにVillage Peopleに頼もうと真剣に考えたことがあったかどうか尋ねた。ニールからの返答は、「アイデアはmooted(検討された)と思う」だった。「moot(検討中である)(debatable(検討の余地がある))という単語のイギリスの定義は、アメリカの定義と対照的に(dead(なし)」か「irrelevant(無関係))と考える場合、アイデアはたぶん討論されたが、明らかに却下されたことを意味する。

 いずれにせよ、このトラック(共同プロデューサーより多作のDJ/リミキサーのDavid Moralesとの共同で書かれている)は、好きか嫌いかのどちらかであるように思える。ある人は、テイストが稀な過失としてそれを嗤笑し、他の人はトリビュートだと祝った。「New York City Boy」は1991年の「Where the Streets Have No Name (I Can't Take My Eyes Off You)」以来、ビルボードのポップ・チャートに入った最初のPSBのトラックだということは注目に値する(我らがヒーローは90年代、ダンスチャートで鉄板だったこととは対照的に)。それはエアプレイ・チャートに入ったことを除けば、シングル・チャートで53位まで上昇した。アメリカではポップ・ラジオからシングル・ヒットが出る事が非常に少なかった。間違いなく、それはニューヨーカーとゲイ・ダンス・クラブ・ファンのコラボレーションだった。

 歌詞を見ると、「もし手に入れることができなかったら/86番街に払い下げ」は、多くの人々が当惑させられた。ニールは、それがすでにない何かのアメリカのスラングであり、もう使われていないと言った。十分に興味深く、最もありそうなルーツがニューヨークにはある。その件には何らかの討論があるが、最も広く、異論のない説明は1920年代のグリニッチ・ビレッジのもぐり酒場「Chumley」から由来したということだ。ここは無秩序な顧客を放り出すという評判があった。「Chumley」の住所が(まだ、あるのだけど)86Bedford Streetだったので、人々は、そこに行くなら結局「86」で終わり、という冗談を言ったのだろう。 恐らくそれで、「ほうり出される」か、または捨てられたと言及すると言うのが、より正確だろう。

(
シングル: イギリス14位、USセールス53位、USダンス1)

 


 

プロモーションビデオ(You Tube)

1999
年シングルはUKチャート最高14







ライブ(2005年LIVE8ライブ)(You Tube)






 



―アメリカにいる設定か。
ニール: そう。詳しく言えば、さまざまな時代のニューヨークだ。「ウエスト・サイド・ストーリー」の頃や1980年代前半やスタジオ54の時代。ここはデボラ・ハリーから許可を得た。
―彼はニューヨークに憧れている。
クリス:その通り
ニール:郊外に住んでいるからね。
―背景はニューヨークだけど。実際は行ってないでしょ。
ニール:行ってないよ。ハワードたちが行って、撮影してきたんだ。イギリスの映像と合成した。僕はただスタジオで歩いている。
―世界貿易センタービルだ。
クリス:イエー。
ニール:ドラーグ・クィーンだ。
―スタジオ54に入るぞ。
クリス:イエーイ!!アンディ(・ウォホール)だ。
ニール: 楽しいシーンだった。
―スタジオ54の絶頂期の再現?
ニール:裸で登場したビアンカの誕生日パーティさ。ディスコ・サリーと呼ばれる女もいれば、先住民の格好をした男もいる。
―ツアー最後の打ち上げみたい。最後には打ち上げを?
ニール: 盛大にやったよ。彼は別のビデオでマリリンに扮した男だ。今回はリキテンシュタイン。ビアンカだ。それっぽいね。
クリス:またダンスだ。
ニール:踊るしかない。彼はジョン・トラヴォルタ役さ。似てないけど、その設定だ。
クリス:あの時代のクラブはいい。
ニール:そうだね。・・・全ては夢だった。
聞き手―クリス・ヒース

 (
以上、2003POPART/DVDコメントより) PV監督・・・Howard Greenholgh

参考:ビデオに出てきたモデルの実在の人物たち;
Disco Sally(
ディスコ・サリー:ディスコガール) Jerry Hall(ジェリー・ハル:スーパーモデル) 、Bianca Jagger(ビアンカ・ジャガー:女優/ミック・ジャガーの元妻) Roy Lichtenstein(ロイ・リキテンシュタイン:画家) 、Felipe Rose(フェリペ・ローズ:ヴィレッジ・ピープルのネイティヴ・アメリカンのコスプレ) 、John Travolta(ジョン・トラヴォルタ:俳優) Andy Warhol(アンディ・ウォホール:画家)


 


★用語・人物メモ★

7番街とブロードウェイの交差点・・・ニューヨークの中心、最もよく知られた場所であるタイムズ・スクエア。

Village People・・・アメリカで1977年結成、6人組ユニット。フランス人プロデューサー、ジャック・モラリにより、イロモノ的「ゲイ」を前面に押し出したヴィジュアルとパフォーマンスでディスコ時代を賑わせた。実際のゲイ・ピープルには賛否両論だった。解散後、1993年にPSBが「Go west」のカバーを大ヒットさせ、1994年に映画「プリシラ」で使われたことで再評価され、ベスト・アルバムが出た。現在は再結成をし、2008年にはウォーク・オブ・フェイムに名を刻んだ。

On the Town(踊る大紐育)」・・・1944年、レナード・バーンスタイン作曲のミュージカルの後、1946年に映画化。ジーン・ケリー、フランク・シナトラ主演。ニューヨークに寄港した水兵たちの短い恋を描く。

Studio54
・・・ニューヨーク、マンハッタン西54番街にあった伝説的隆盛を誇ったディスコ/ゲイクラブ。1970年代には有名人が集まる社交場だった。1986年に閉店したが、その後イベント的に何度か短期オープンしている。現在は劇場になっている。

Deborah Ann Harryデボラ・ハリー(1945-)・・・アメリカのシンガー、女優。ブロンディのヴォーカル。80年代のセックス・シンボル的存在。

David Morales(1961-
)・・・ニューヨーク出身のDJ、プロデューサー。ディスコ・ミュージック界の超大物。有名アーティストのリミックスは数知れず。PSBのリミックスも多く、特に「So hard」のリミックスは傑作との呼び声が高い。

Donna Summer (1948-)
・・・アメリカのシンガー。ディスコの女王。デヴィッド・モラレスのプロデュースが大ヒット。「Macarthur Park」は1978年のヒット曲。ビデオはこちら




 この曲はイギリスよりも、アメリカよりも、実は日本ですごく流行ったことを覚えている。ラジオでもガンガン流れていたし、日本の音楽番組VIBE(MTVの日本独自ヴァージョン)1999年の年間トップ20くらいにこの曲は入っている。

 どうやら「West End girls」と対を成す曲のようだけど、そんなに共通点はないと思う。歌詞にさほど深い意味はなく、ディスコ賛歌、70年代へのオマージュであることが中心。アルバムでは唯一のアゲ曲(しかも超一流のアゲ)であろう。アゲ曲なのに、ナイトライフツアー以外のライブではあまりやらないのが不思議。



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