BEHAVIOUR
1990.Oct.22 / 2001.June.4
「BEHAVIOUR」はPSBの4枚目のスタジオ・アルバムで、1990年10月にリリースされた。「“ウェスト・エンド・ガールズ”から5年だ。」ニールは記憶する。「ポップ・ミュージックでは5年は長期間だ。」アルバム「INTROSPECTIVE」がリリースされてから、ペット・ショプ・ボーイズはライザ・ミネリにアルバム「RESULTS」をプロデュースし、そのほとんどの曲を書き、エレクトロニックのファースト・アルバムでバーナード・サムナー、ジョニー・マーとコラボレートした。さらにエレクトロニックがロサンジェルスのドジャース・スタジアムでデペッシュ・モードの前座をしたときに、アメリカで初めてステージに上がった。彼らはトム・ワトキンソンのマネージメントを離れていて、自分たちのオフィスを構え、ジル・キャリントンにより進められていた。
彼らは「BEHAVIOUR」の仕事に取り掛かった。それは、これまででかなりストレートな目的意識をもった、最もムーディで瞑想的なアルバムになっていた。ニールは思い出す。「あの時は・・・僕らは、カイリー・ミノーグの10シングルズのような素晴らしいポップ・ソングのアルバムを発表すると思っていたと僕は信じている。」彼らは「PLEASE」のはじめから一人のプロデューサーに1枚のアルバム制作を依頼したいと決めていた。また、彼らには、彼らが続けるために必要な2つの特定の音楽のガイドラインがあった。「僕らは始める前にアイデアがあった。アナログのシンセサイザーを使おう、それとサンプルを使わない。理由は、1990年の初めには全部がサンプルの蔓延で、僕らはもっとすっきりした何かを作りたかった。もし音を全部それでプログラミングすれば、サウンドがもっと多く、よりオリジナルになると思った。」
誰がこのようなアナログサウンドを創作できるかどうか考えていたとき、彼らはジョルジオ・モロダーによって作られた70年代のジャーマン・ディスコ・レコードを思い出した。モロダーのプログラマーで、以来、彼自身の最も有名なインストゥルメンタル「Axel
F」で成功したハロルド・ファルターメイヤーに引き受けてもらう考えだった。
「1989年の終わりに、クリスと僕は彼に会いにミュンヘンに飛んだ。」ニールは思い出す。「彼は古代のシンセサイザーの実在の博物館を持っていた。彼にはアフリカからのエンジニア、ブライアン・リーヴスがいて、彼はドナ・サマーのレコードの多くで仕事していた。」彼らはミュンヘンのファルターメイヤーのスタジオで、1カ月の中断をはさんだ2期間、春までの10週間でアルバムを作ることに同意した。
ニールはクリスよりずっとドイツを謳歌した。「僕らはミュンヘンの中心の小さなアパートメント・ホテルに滞在していた。」ニールは言う。「とても独創的な部屋だった。」
「すごく気が滅入ったな。」クリスは言う。
「僕は最高のホテルのスイートを借りたかった。」ニールは思い出す。「でもクリスはお金を節約したかったんだ。」
クリスはホームで楽しみ続けていたレイブカルチャーのムーヴメントから離れるのを嫌った。「ドイツ人はハウスミュージックを聞かなくなっていた。」彼は言う。「行く場所がなかったな。惨めな時間だった。僕はイギリスで起こっていたあまりに多くのことを知らずにいた。60年代のイギリスですらもっとエキサイティングな時間を過ごせたのに。僕らはミュンヘンにいた。でも、ニールは気に入っていたよね。」
「僕はイングリッシュ・ガーデンを散歩するのがお気に入りだった。」ニールは言う。「僕は時々オペラにいったよ。ビールも好きだ。建物も好きだった。毎朝、僕らはBMWを借りてミュンヘン空港までイギリスの新聞を買いに行った。クリスが車を止めて、僕が中に走っていった。ある朝なんて、僕が車に戻ると、見知らぬ男がそこに座っていた。僕が車を間違えたんだけどね。」
「だって、みんなグレーのBMWなんだ。」クリスが言った。
ニールは思い出す。「僕らはデペッシュ・モードの“Violator”を聞いていた。それは、すごくいいアルバムで、すごく悔しかったね。」
「彼らは評価を上げた。」クリスが同意する。
ハロルド・ファルターメイヤーはミュンヘン郊外の個人所有の場所に住んでいた。ペット・ショプ・ボーイズは正午ちょっと前に到着し、コーヒー休憩をして仕事に入った。彼らはいつもランチにピザを頼んだ。4時ごろ、彼らは庭のビール小屋に移り、ファルターメイヤーのドイツ・ドラフト・ビールを飲んだ。「それで。」クリスが言う。「彼は僕らに、ジョルジオ・モロダーの逸話を話した。」ファルターメイヤーは所有地に、彼自身の屠殺場を持ってた(彼は優秀なハンターで、「彼は自分でソーセージを作るんだ」とクリスが証言する)。レコーディングの過程の1箇所で、彼らはリバーブ効果のためにそこでスピーカーを再マイキングして、屠殺場を通してボーカルを入れた。「まだ解決していないんだ。」ニールは言う。
ドイツでは、サンプルを使わずにアナログ・シンセサイザーを使うコンセプトを続けた。しかし、彼らがアルバムのミックスのためロンドンに戻ったとき、サーム・ウエストで彼らはこの規制をいくらか緩めた。しかしながら、彼らは、一貫しているように聞こえるアルバムをリリースするためにまだ決議していた。そのことを考慮に入れ、最終的な歌の選択をした。土壇場で「Miserablism」を外して、それを「The
end of the world」と取り替えた。
「アルバムが世に出たら、みんな、全ての熱狂的なものが僕たちを無視したように見えて驚いたと言った。」ニールは言う。「もちろん、僕らは熱狂的なバンドワゴンで恥ずかし気もなくジャンプしたと思う。」
「これで僕らは前進した。“BEHAVIOUR”にはディープなハウスのようなものがある。」とクリスは判断する。「古くさい評論家はまだアシッドハウスにこだわっていた。でも僕らはどんどん進んじゃったよ。」
ペット・ショプ・ボーイズの暗いイメージ、アルバムジャケットの赤い薔薇と誰もいないイスは、エリック・ワトソンによって撮られた。「僕らは薔薇のイメージのこの写真のアイデアがあった。なぜなら、僕らはニューヨークのライザ・ミネリのアパートに行ったことがあるけど、彼女はこのステキな写真を持っていた。リチャード・アヴェドンのものだと思うけど、大きな赤い薔薇の花束をかかえた浮浪者に扮したジュディ・ガーランドだ。」ニールは言う。「僕たちは赤い薔薇の巨大な花束のアイデアを思いついて、エリックにそれを勧めた。僕らはたくさんほしかったから、フルハムの3軒の花屋から全部買い占めたんだ。」
「棘が取ってなくてさ。」クリスが言う「すごく痛かった。」
「でも、美しい赤い薔薇には魅力的な何かがあった。」ニールが言う。「セッションの最後で、エリックが椅子と薔薇だけの写真のアイデアを思いついた。それから僕らはそれぞれ一人のポートレートを撮った。エリックはそれが野卑すぎるって思ったけど、僕らはすごくいいと思う。」
「この写真の僕はいいね。」クリスが答える。「写真ではいつも僕はバックから撮られるべきだって思ってる。」
「マーク・ファロウはこんな風に4枚の写真を使うアイデアがあった。」ニールが思い出す。彼はひとつのディテールがいつも彼をイラつかせるという。「いつも僕は”
BEHAVIOUR “という単語の後のピリオドは、やりすぎデザインだと思っていた。ちょっとよくないよね。このときにはクールに思えたけど、今じゃイライラする。だって、これは文章じゃないし。」
このアルバムのアメリカのヴァージョンでは、地方のスペルの習慣を重んじて” BEHAVIOR “としてリリースされた。” BEHAVIOUR “というタイトルはクリスのアイデアだと、ニールは記憶している(クリスは覚えていないと言う。「そうだった?覚えていない。何で僕のせいにされているのかわからないよ」)。ニールは言う。「アルバムを要約すると、これはよりパーソナル・サウンドのアルバムだと感じていると思う。僕らは、「Opportunities」のようなレコードのために、僕らが特に陥っていた全ての皮肉の概念に、この時点で辟易していたと思う。”
BEHAVIOUR “は完全に皮肉ではないように思えたし、少々シリアスだ。これは基本的に悲しいアルバムだ。「Being boring」から「Jealously」まで通して。「How
can you expect to be taken seriously?」は風刺だから例外。「So hard」は関係の終焉についてだけど、面白いと思う。さもなければ、他はみんな悲しい歌だ。」
(以上、2001年ブックレットより・インタビューby CHRIS HEATH)
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「BEHAVIOUR」(お行儀)!なんてPSBらしいタイトル! 邦題は「薔薇の旋律」。これもなかなか捨てがたい。
とてつもなく繊細でノスタルジックなアルバムで、今でいうところのニールらしい”乙女的”要素の強い歌詞が多いアルバムでもある。
このアルバムは、80年代「PLEASE」「ACTUALLY」「INTROSPECTIVE」と疾走してきたPSBの3枚の“ノリのいい”曲集から一転して、突然の方向転換とも言える。批評家や一部のファンはこれまでのアゲ系音楽・強烈な皮肉・英国的知的センスなどがメロウで内省的になったことに不満だった。でもこの傾向こそ、15年たってPSBらしさの一部ともいえるし、女性および乙女系ゲイのファンからの圧倒的支持を得た。実際、今でもPSBを代表する「Being
boring」「Jealously」などの名曲も収録されている。
正直、前の3枚のアルバムのまま進んでいたら、PSBは90年代を乗り切れなかったかもしれない・・・80年代のなつかしバンドで終わっていたかもしれないと思う。全てを彼らが計算していたとは思えないけど、彼らの方向は間違っていなかった。”パンチに欠ける”ことは確かかもしれないけど、PSBに優しく包んで欲しい、ほっとさせられたい、というときには最適のアルバムだろう。
“ニールらしい”アルバムと言ったけど、実際はポップよりの曲を外して、こういうノスタルジックでメロウなアルバムにしたのはクリスである。
マーガレットの勝手に評価(5段評価)
アゲアゲ度★
皮肉度★★
政治・社会度★★
乙女/ゲイ度★★★★
マーガレットのお気に入り度★★★★
Dr.マーガレットの処方箋
用法:喧騒に疲れた時
効能:恋人のいる人は今すぐ恋人に会いたくなり、
恋人がいない人は新たな恋を探すきっかけになるでしょう
服用に適した時期:秋風が立つ頃
使用量:一日1〜3回
副作用:涙が過度に出るかもしれません
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Disc1
Disc2
*以下はFurther Listening 1990-1991収録分。
アルバム未収録でリリースされたシングル、B面(カップリング、ボーナス・トラック)、Remixで構成。
詳細データリンク(オリジナル)
詳細データリンク(2001年リマスター2CD)
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