FUNDAMENTAL
2006.May.22
前作から約4年ぶりに届いたスタジオ最新作「FUNDAMENTAL」。この新作で、PSBはついにふっきれた。もっと具体的に言えば、90年の「BEHAIVIOUR」頃から続いていた「やや感傷過多で、押さえ気味で、内省的なバラッド路線」になんとなく物足りなさを感じていたような者にとっては、まさに天からの福音のようなアルバムだ。極彩色のデジタル・アートを音で描いたような“サイコロジカル”。思いっきり大仰なシンバルと「さあいらっしゃい!ショーが始まるよ!」という「やりすぎ」すれすれのサンプリングで始まる“ザ・ソドム・アンド・ゴモラ・ショー”。かと思えば、一転して美しいストリングス&高音Voで織り成す至高の哀愁バラッド“アイ・メイド・マイ・エクスキューズ・〜”。そして軽快&ジョイフルな曲調とは裏腹に、読んでみるとギョっとするほど怜悧で洞察的な「毒とウィット」が随所にちりばめられた歌詞。そうした本来のPSBをPSBたらしめる要素の全てが、今作では各所で奔放に狂い咲きしている。
86年の世界的ヒット作「PLEASE」でデビュー以来、20年後の今も名実共に欧州一のキング・オブ・エレクトロ・ポップとして君臨し続けるPSB。この「永遠の瑞々しさ/躍動感」の秘訣をニール・テナントに聞いた。
−前作から約4年ぶりになる今回の新作「FUNDAMENTAL」は、すでにUK中のメディアで軒並み大絶賛されていますが。あなた方自身としても「特別な手ごたえ」を感じる自信作なんでしょうか。
ニール:そうだね、今作は去年の夏くらいにはもう16曲書き上げていた、ってくらい制作プロセス自体が最初からスムーズで、レコーディングも実は昨年の暮れ頃には終了していたんだ。でもレコード会社側の「プロモ用準備期間が必要」って理由から、実際のリリースまでにこれだけの時間がかかったわけだけど。今回のトレヴァー・ホーンとのセッションは、僕らにとっても久しぶりに何か特別なひらめきを感じるものだったんだよ。サウンド的にも僕らにとって大きな前進の一歩であったと同時に、根本的なところではすごく本来のPSBの諸要素がストレートに、効果的に出ている、っていうか。典型的英国人気質の僕らにとっては、「自分たちのキャリア中で最高傑作!」みたいな自画自賛は思いっきり居心地が悪いし、気恥ずかしいんだけどね。このアルバムが僕らにとっても久々の自信作、であることは確かだよ。
−あなた方の場合、トレヴァー・ホーンとは以前にも一緒に仕事はしているわけですが、今回はなぜ「また彼と一緒にタッグを組んでみよう」という気に?
ニール:ある日、スタジオでレコーディングしていた僕らを、トレヴァーが「今作は俺に任せろ!」って不意打ちしたからだよ(笑)。っていうのが理由のすべてじゃないけど、彼とはこれまでに何度か交流があったのにも拘わらず、実際に共同制作したのはシングル2曲のみだったからね。いつか必ずアルバム1枚任せてくれ!ってことになってたんだ。それに何よりも今作用の曲群が、ここ数年なかったほど壮大でシネマティックなエピック・ナンバーが多かった、っていうのもあって、トレヴァーが得意とする手法に合うんじゃないか?と思って。
−「PSBの本質がストレートに出ている」という意味では、個人的にも本作を聴いた瞬間、「PLEASE」「ACCTUALLY」「INTROSPECTIVE」期のあなた方を思い出してしまったんですけど。そうした「自分たち本来の原点をもう一度見つめなおしてみる」というのは、今作を創るうえで狙いの一つであったと言えます?
ニール:といっても、決して意識的なものじゃなかったんだよ、制作に取り掛かった当初はミニマリスティックなエレクトロニック・アルバムにするつもりだったわけだから。でも制作が進むにつれ、予想以上に極彩色で自由奔放な展開になって行った、っていう(笑)。だからこういうサウンド感のアルバムを悪趣味にならないやり方で、原曲の威厳を死守しつつ、上手く編集できるのは誰か?ってことになった時、やっぱりトレヴァー以外いなかったんだよね。
−それにしても、“ザ・ソドム・アンド・ゴモラ・ショー”の大仰なシンバルで始まるイントロといい、「さあいらっしゃい、ショーが始まるよ!」的なバラエティー・ショー・ホストのようなアナウンスをサンプリングで入れてみたり、豪快と読んでいいほど「絢爛豪華」で「良い意味でやりすぎ/あざとい」ディスコ・ポップ・ナンバーが際立った作風になっていますよね。90年の「BEHAVIOUR」以降のあなた方は、内省的なバラッド主体の表現に傾倒し、こうした「顔面直撃ナディスコ・ポップ路線」は心なしか控えていた印象もあるんですが。
ニール:多分・・・そういう過去数年の自分たちの作風に対する反動もいくらかはあったんだろうな。もちろん、制作中の僕ら自身としては意識してなかったんだけど。当初はさっきも言ったように、内省的バラッド路線からはかけ離れた“サイコロジカル”“ミニマル”路線のエレクトロニック・ポップ・アルバムにするつもりだったし。君が「INTROSPECTIVE」を連想したのは、そういう面も関係していたのかもね。でも同時に、今作には“アイ・メイド・マイ・エクスキューズ・〜(「キングス・クロス」を連想させる超美メロ曲)”みたいなトランペットヤストリングスを強調した哀愁バラッド調ナンバーもあるし、“インテグラル”“アイム・ウィズ・スチューピッド”みたいな思いっきり能天気でアッパー系のイタリアン・ディスコ風ナンバーもあるし、全体的なサウンド構成としてはかなり多彩なアルバムになっているよ。
−確かにそれは言えていますね。何度通して聴いても曲ごとに新手の音が出てくるので、飽きませんし。ちなみに、ここ数年は音楽/ファッションの両面において「80年代」がキーワードになり、「80年代NW/打ち込みサウンド」も再評価される傾向にあるわけですが。今回の「FUNDAMENTAL」も、そうした時代性/風潮は反映されていると思います?
ニール:80年代か・・・個人的には特に愛着のある時代じゃないからなあ・・・少なくとも今作の制作過程においては意識的に80年代を念頭に置いた、って部分はないと思うけど。
−例えば、先ほどあなたも例にあげた“サイコロジカル”“ミニマル”などが、どこかクラフトワークを彷彿とさせるサウンド感だったことも、80年代の連想させる一因だったんですよね。
ニール:ああ、そういう意味で、か。それなら納得できる部分もあるよ。ああいうシンセ・ポップが最も一般に浸透したのが80年代だった、っていう意味で言えば、ね。でも実際にはああいうシンセ・ポップが創られ始めたのはもっと前の時代、70年代、60年代後期にはもうその原型があったわけで。僕らにとってのシンセ・ポップって言うのは、厳密に言って「80年代サウンド」として捉えられていないんだよなぁ。
−今作は断じて80年代的なサウンドではない、と。で、80年代サウンドといえば、つい先日マドンナの最新シングル“ソーリー”のリミックスを手がけましたね(ニールはVoとしても参加)。
ニール:(ここぞ、とばかりに手を打つ)そうそう、ああいう作品こそが80年代サウンド、80年代ディスコ・サウンドなんだよ。あのアルバムのほうが、僕らの今作より、よっぽど「意図的に80年代」だと思うな、僕は。
−そうですか、わかりました。じゃあ話題を変えます。さらに今作においてうれしかったのは歌詞の面においても久々にPSB独特の「猛毒のような残虐性」が大復活している点でもあったんです。特に「裏切りもの/ブレア首相」に捧げた“インテグラル”や「ブレア首相とブッシュ大統領の悲しくも滑稽な信頼関係」を皮肉った先行シングル“アイム・ウィズ・スチューピッド”の筆致など、ただもう「すごい!」の一言。
ニール:(クスクス笑いながら)そりゃあ、どうも。それって褒めてくれているの?
−勿論です。で、かつてはブレア首相率いる新労働党に多額の寄付金をするほど「労働党びいき」だったあなたを、これほど怒らせてしまった理由はなんだったんでしょう。
ニール:僕が今、彼に対しこれほど失望しているのは、選挙に勝ったとたん、それまで僕らのような「先祖代々から続いてきた長年の労働党サポーター」に約束してきた政策の全てを裏切るようなことばかりし始めたからだよ。典型的なタカ派の米国人であるブッシュに寄り添うようになった頃から、だんだん化けの皮がはがれていったわけだけど。挙句の果ては「今すぐフセインから政権を奪わないとやつは15分以内に英国に向けて化学兵器を使う準備ができている!」なんてうそをついてまで、われわれ英国人をイラク戦に引きずりこんだ。それが原因で国中のイスラム教徒の反感を買うことになって、去年は英国本土初の自爆テロ事件にまで至ったし、現時点の国内におけるテロの危険性は英国史上最高になった。で、つい最近はそういう他国からの移民/テロリスト容疑者が不法滞在するのを防ぐために、国民全員にIDカード制を導入するなんて言い出すんだからねえ・・・(ため息)。
−IDカードの導入の件については、今英国中のネットやメディアでも白熱化した議論が交わされていますが。なぜ英国人にとっては、この件がそこまで深刻な問題なのか?を日本人にも解るように説明してもらえます?一般的な日本人にとっては「車の免許を持つのと大差ないんじゃないか?」程度の認識なんですけど。
ニール:日本の制度がどういうものか?僕にはわからないけれど、今度ブレア政権が導入しようとしているIDカード制ってのは、前科を持つ犯罪者の前歴全てが警察と政府のコンピューターに記録されるのと同じように、国民全部の経歴を全てを提出させてIDカードを発行する、っていう代物なんだよね。つまり、例え君が犯罪者であろうがなかろうが、君がどこで生まれ、どこに住み、どんな学校に通い、どんな人物と交流し、どんな仕事をしてきたか?なんていう細かい個人的データの全てを、警察や政府に公表させられる、ってわけ。合法的なプライバシーの侵害だよね。単刀直入に言えば、英国人は昔から自分は自分、他人は他人って言う個人主義への尊重が浸透しているから、別に犯罪を犯したわけでもないのに、何で個人の日常生活のそんな細かいところまで干渉されなきゃならないんだ?っていう不満も大きいんだよ。
−つまりは、これが導入されると、誰もが犯罪者と同じような扱いを受けるようになる、ということですね?
ニール:そうそう、まさにそう。だからこそ、僕らとしても民主主義国家に住む人間として最低限の人権である「個人情報を守る」ってことに対して今、必死になっているわけ。
−なるほどねえ・・・。そういう点も含め、今作は久しくなかったほぼジョイフルで高揚感に満ちたサウンド感のアルバムであると同時に、歌詞の面では「PSBのキャリア史上で最も政治的な作品」とも呼べると思うんですが。
ニール:そう言われるのが不安だったんだよなぁ、実は。っていうのも、僕らは私的な面においては十分政治意識はあるけど、自分たちのアートにまでそれを持ち込むようなことはしたくない、って主義でこれまで通してきたからね。そもそもポップ・ミュージックと政治が手を組むことほどばかげた、矛盾した構造はない、っていうか。普段は資本主義の権化のような金銭的恩恵を受け、豪華な生活をしているポップ・スターたちが、気が向いたときだけ社会主義者を気取ってチャリティ活動に励む、なんて何かが確実におかしいよ。これほどナイーヴで、滑稽で、偽善的なやり方はないと思うな。まあそういうアーチストたちの中には本気で他人を救いたくてやっている人もいるのかもしれないけど、最終的には、金を持っている連中が、金を持っていない市井の民に向かって「君たちが貧しい人たちを救え!」って言ってるわけだからね。そういう自己満足的な落とし穴に陥ることだけは避けたい、っていうのが、PSBのあまり世間には公言したくない制作ポリシーでもあったんだよ。だからこそ、今作の歌詞にしても、英雄まがいのプロテストって形じゃなく、どぎつい笑いで味付けした風刺ジャーナリズムに近い文体になっているわけで。
−その一方、今作には“カサノヴァ・イン・ヘル”という曲もあって、ふと過去の作品で“ドン・ファン”という曲を書いていたことも思い出したんですけど。なぜあなたはこうした「男性特有の征服欲に取り憑かれた、典型的な女ったらし」を好んで詞の題材に選ぶのでしょうか?
ニール:(笑)別に羨ましい訳じゃないよ。でも例えば、カサノヴァに関しては、世間におけるそう言う「可能な限り多くの女性と寝ることにしか興味のない男」って言うイメージとは裏腹に、実際には非常に博識で読書家で知性派だったわけで。その辺はすごく世間に誤解されている人物でもある、って点が、この歌の主要ポイントなんだ。だからまた君に糾弾される前に言っておくけど、この歌は決して女たらしであることを賞賛しているじゃないんだよね。
−(笑)わかりました。さらにその一方で、今作の“ザ・ソドム・アンド・ゴモラ(旧約聖書からの引用)・ショー”“ゴッド・ウィリング”、それに“イッツ・ア・シン”などのように、非常に「カソリック的で、禁欲的なモラル観」を根底に持つ詞も、あなたはしばしば書くわけですが?この極端な享楽主義と禁欲主義の共存は、どこから来ているんだと思います?
ニール:多分・・・その辺は僕が子供の頃から異常なほど厳格で、禁欲的なカソリック家庭で育ってきたことが関係しているんだろうな。だから今でも根底には超厳格なモラル観があるけど、同時にそれに対する反動としての「享楽に対する憧れ」も人一倍強い、っていう。マドンナとかもそうだけど、カソリック系のモラル観にがんじがらめで育ってきた人間って言うのは、僕みたいなタイプがすごく多いのも事実だよ。子供の頃受けた抑圧が大きければ大きいほど、成人したあとの反抗心や反動も大きい、って言うな。
−では、そういう意味でも今作のタイトルを引用させてもらいますが、「PSBの音楽や精神性を象徴するファンダメンタルな要素」とは一体なんなのか?と訊かれたら?
ニール:うーん・・・難しいな。政治意識では勿論ないし、徹底した享楽主義の追求でもないし、意外かもしれないけど偽善者を暴きだして批判したり攻撃したりすることでもない。だから・・・あえて言うなら、そんな不完全な人間たちがときに創りあげる、とてつもなく神々しく美しいアートに対する絶対的な愛、かな。なんかすごく熱くて、僕らしくない言い方になっちゃったけど(笑)。
(以上、Rockin’on2006年6月号より)
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「FUNDAMENTAL」は9枚目のスタジオアルバム。2006年6月に発売された。2002年の「RELEASE」から4年ぶりだけど、2003年には「DISCO3」、同年のシングル・ベスト・アルバム「POPART」では2曲の新曲を書き下ろしそれをシングル化(当然B面やらPVも製作)、2005年のオリジナル・サウンドトラック「戦艦ポチョムキン」では全曲を書き下ろしているのだから、すごく久しぶりの新作、という感じではなかったと思う。PSBは熟してますます盛ん。
このアルバムについては、当初からファンも批評家も、及第点を出していたと思う。たしかに、いい。すごい耳なじみの良さだ。でも、ワタシはその良さが、多くの人が言うように“80年代の黄金時代に戻ったみたいだから”とは思えない。正直、どの時期のアルバムにだってPSBらしいもの(ダンス、ポップ、哀愁、愛、セックス、ポリティクス、アイロニー、ゲイセンス、その他もろもろ)はきちんとあったと思う。1曲1曲の個性より、そのバランスをみんな論じていたんではないか。で、このアルバムはバランスが取れている。どうもみんな(私も含めてだけど)、PSBにPSBらしさばかり求めすぎてはいないか?PSBはめちゃめちゃ守備範囲が広い、多様性のある音楽だ。ニールとクリスの頭の中には、まだまだ音のストックが山ほどあるはず。自分の希望した・予想したものから外したからといって文句を言うのは、違う。いや、あえて外してくるよ、PSBは。そういう人たちじゃんか。
希望を言えば、ベッタベタのラブソングを1曲入れて欲しかった。ニールがまだ現役バリバリの乙女遺伝子保持者の証として・・・。
上のインタビューは「Rockin’on」掲載のもの。でも昔から「Rockin’on」は(ホットなロックの立場ゆえからか)比較的PSBにはどっちかというと批判的で、このインタビューでもどうでもいいことを聞いたりしている感じがする。PSB=ポップでアゲアゲ系、と決め付けている感じがする。PSBのファンは全員が踊りたくてPSBを聴いているわけではないし、PSBのメロウな曲が好きなファンも多い。いわゆる、ファンが思う“ピンとこない批評をするメディア”のひとつであると思うが、それはそれで、見る方向の違いだから仕方がない。・・・というか、たいがい批評家やライターはこんな感じの見方である。
マーガレットの勝手に評価(5段評価)
アゲアゲ度★★★★
皮肉度★★★
政治・社会度★★★★
乙女/ゲイ度★★
マーガレットのお気に入り度★★★★
Dr.マーガレットの処方箋
用法:原点に立ち返りたいとき、希望が欲しいとき
効能:脳にエネルギーを補給してくれます
服用に適した時期:朝一番が最も効きます
使用量:ルーティーンで可
副作用:やや依存傾向になります
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Disc1
Disc2(仮想)
*以下は2003-2007に発表された曲。
アルバム未収録でリリースされたシングル、B面(カップリング、ボーナス・トラック)、Remixなど。
DEDICATED TO MAHMOUD ASGARI AND AYAZ MARHONI
(マハマド・アスガリとアヤズ・マホーニに捧ぐ)
このアルバム「FUNDAMENTAL」は、2005年、イランで絞首刑になった2人の罪なき同性愛の少年に捧げられている。
事件当時も、公式HP上に、この件に抗議の意見がトップニュースで掲げられていた。(2005年10月5日の公式HPニュースアーカイブ参照)
ニュース記事(日本語)はこちら
詳細データリンク(オリジナル)
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