VERY
1993.Sep.27 / 2001.June.4
「VERY」はペット・ショップ・ボーイズの5枚目のスタジオアルバムとして1993年9月にリリースされた。「僕らは“BEHAVIOUR”の出来にちょっと幻滅していて、このレコードに取り掛かった。」ニールは思い出す。「あの時“BEHAVIOUR”はダンス・アルバムじゃないって罵られた。僕らは多分、ちょっと自信をなくした感じがした。ともかく、すごいダンス・ポップ・アルバムをやろうって決めたんだ。」
「君はいつも自分が前に一度やったことに反発するよね。」とクリスが言う。「僕らはそれがもっと良くなって欲しかった。」
「“良く(up)”とは、確実に大きなものだ。」とニールが言う。「僕らは“BEHAVIOUR”をそうするつもりだったけど、しなかったんだと思う。今回はやったよ。僕らは長いことポップなことをして来なかった。なぜなら、“INTROSPECTIVE”をやったから。これはみんなかなり気まぐれだ。それからライザ・ミネリのアルバムをやって、ダスティと仕事して、それもすごく気まぐれだった。それで、“BEHAVIOUR”・・・。このアルバムにある歌の範囲で、僕らはすごくポップなことがしたかった。“One
in a million”を、僕らはテイク・ザットにオファーしようとした。これは流行らせようとしなかった。僕らは“ファンタスティックな曲・・・全部がシングルにできるような・・・”をやろうとしていた。そういう仕事をね。」
その頃、クリスはハートフォードシャーの彼の家の離れにスタジオを持っていた。ペット・ショップ・ボーイズはVERYのベーシック・トラックをプログラマーのピート・グレダルとここでレコーディングした。彼はこれまで彼らのツアーのプログラムをした。それから彼らは、RAKスタジオの追加製作・ミックスのスティーヴン・ヒューグに手渡す前にサーム・ウエストに移って仕上げのレコーディングをした。「他の誰かにやってもらうのは、確実に大きなポイントだ。」とニールは言う。しかしながら、これは彼らがほぼ彼ら自身でプロデュースした、最初のアルバムだ。
「僕らはこれまで経験豊富とは言えないからね。」ニールは説明する。
「まあ、他の人たちをプロデュースしてきたけど。」クリスが言う。「自分以外の誰かをプロデュースするのは、簡単だ。」
彼らはアルバムをすごく“コンピューターっぽいサウンド”にするべきだと決めていた。・・・「多くの歌に、ビジーなコンピューター・ゲームのノイズがある。」ニールが付け加える。・・・彼らが以前やった事のない方法、例えば、歌のそれぞれの詞の変化によるアレンジメントで編曲をすることに決まった。
「それは今までのような苦悩はなかった。」ニールが答える。「僕らはスタジオでいつも笑っていた。」彼らは時々街に戻り、彼らはレコーディングしたものを何でもプレーして、十分に昼間の仕事を楽しんだ。
この彼らのキャリアの過程で、ペット・ショップ・ボーイズは彼ら自身で表現した方法をほぼ完全に変えただろう。彼らは自然主義的になろうと試みていた。このとき、彼らのアメリカのマネージャー、アーマ・アンドンは、彼らに、コンサートで手のこんだコスチュームを着て、シアトリカルでファンタスティックな公演をしようと言った。ビデオ内やレコードのために同じようなプレゼンテーションをめったには追及しなかったが、彼らは自分自身、同じことを疑問に思い出した。ニールは言う。「そう、僕らは死ぬほど古典的なペット・ショップ・ボーイズ的なことをしてきたと考えた、そして、それはDISCOGRAPHYのジャケットで最終的に完全にまとめられた。クリスは無表情で、僕は皮肉っぽく眉をアーチ形にしている。僕らはちょっと考えた・・・よし、いま完璧にやっている、リアルでないものをやろう。」
他の影響は、ますます現実的になっていくコンピューター・ゲームの台頭だった。クリスが言う。「それは大事だった。それから、すごいゲームがソニック・ザ・ヘッジホッグで、僕はこれが好きだった。そこには観客がいて、ゴールがスコアされると、みんな踊り始める。僕はコンピューター・ゲームをすごくよくやった。“子供たちが中にいるみたいだ”って思った。“僕たちが現実から移動して、非現実の世界に存在するモノになるなら、すごいことなんじゃない?”とも思った。」
さらに、彼らは時代を支配する音楽的傾向に反発していた。「みんながグランジになろうとしていた。」クリスは思い出す。「誰もがダブダブのジーンズをはき、Tシャツとスエットを着た。ニルヴァーナは普通に見えた。」彼らは普通に見られたくなかった。「僕らはファッションにはなりたくなかった。」クリスが指摘する。「僕らはそれを超えて、ユニークになりたかった。」
彼らはデビッド・フィールディングに依頼した。彼は1991年のツアーでデザインをやっていて、いくつかのアイデアを提案した。コスチュームの最初のセットはオレンジのジャンプスーツに、水平に細いスリットの入った角ばった白いサングラス、オレンジと白のストライプのおバカキャップだった(おバカキャップは、VERYのファースト・シングル“Can
you forgive her?”の学校のイメージで提案された)。「神経を使ったよ。」ニールが言う。「“Can
you forgive her?”で原型をもらったとき、僕らのマネージャーのジルがそれをまったく気に入らなかったのを覚えている。滑稽に見える心配がいつもあった。トップ・オブ・ザ・ポップスのパフォーマンスで、僕らが“Can
you forgive her?”をやるのを見たら、信じられないだろうね。まったく、勇気があるよ。僕はストライプのとんがり帽をかぶってオレンジのジャンプスーツを着て脚立に腰をかけている。その間クリスは同じ衣装を着て、望遠鏡を持って大きな青い卵の後ろにいる。」
「で、僕は途中で、ボールルーム(社交)ダンスをする。」とクリスがはさんだ。
「まったく、信じられない。全部のことが。」ニールが言う。「それから僕たちはEMIに、たくさんのとんがり帽を作らせて、終わりで、プレゼンターと全部の観客にとんがり帽をかぶらせて来週のトップ・オブ・ザ・ポップスの予告を言わせた。僕らは全部を見ていた。」
彼らはそれぞれのシングルのために新しい超現実的なイメージを採用した。“Go west”では、彼らは補色でトリミングされたほぼ青(ニール)か黄色(クリス)のジャンプスーツを着て、半球体の帽子をかぶっている。”I
wouldn’t
normally do this
kind of thing“では、彼らはピンクのベストを黒(ニール)か白(クリス)の衣装の上に着て、ブルネット(ニール)とブロンド(クリス)の60年代のおかっぱのウィッグをかぶっている。「僕らは変え続けた。」ニールが言う。「ビデオに出る必要はないという僕らのアイデアは、核心をついていた。”Liberation“で僕らがやったように・・・これはほとんどコンピューター製だった・・・”Yesterday,
when I
was mad“では、クリスはCGだった。」
パッケージはさらに革新的だった。ペット・ショップ・ボーイズはデザイングループのペンタグラムと、彼らのレーベル、スパゲティ・レコードのリリースで一緒に仕事をしていた。彼らはペンタグラムの新しいパートナー、ダニエル・ウェールと会うためにランチに招待をした。ランチに行く途中、ニールとクリスは、彼らが何に関して話すつもりであるかを知らないとわかったので、彼らは正体不明のもの・・・CDパッケージの非オリジナリティと曲げられない点を・・・議論すると決めた。「僕らはCDパッケージが小冊子をすべて凝縮するという事実にうんざりした。」クリスが言う。「だから、分かりやすい方法は実際の箱をカバーにすることだった。」ランチでは、新しい種類のCDパッケージは触覚であるべき、という事に同意された。VERYの初期のコピーは、盛り上がった水玉のついたオレンジのボックスに入っていて、ペンタグラムが提案した最初のアイデアでリリースされた。元々は水玉が大きく、ボックスはピンクだった。ペット・ショップ・ボーイズはさらに、ペンタグラムの他のアイデアを採用した。ソフトな気泡の入った樹脂のジャケットで、2枚組み限定版CDのVERY
RELENTLSS用だ。これはボーナス・ダンスCDのRELENTLESSが含まれている。
「VERYを書いている間、僕らはたくさんの4ミニッツ・ポップ・ソングを書いたけど、さらにいくつかのインストゥルメンタル・トラックをやった。これにはどんな歌詞も考えることができなかった。音がすばらしいから、歌詞を書く必要性がなかったんだ。」ニールは言う。「それから、僕らはこれらを、別のアルバムに入れようと考えた。」
ニールとクリスはアルバムのタイトルを早くからVERYだと考えていた。どちらも、だれが最初にそれを言ったかを思い出すことができない。「面白い別のセンテンスだ・・・みんなアルバムは”すごくペット・ショップ・ボーイズ“だろうと思うでしょ。でも、違ったペット・ショップ・ボーイズさ。」ニールが言う。
「このアルバムに関して全く異なったことは。」ニールが付け加える。「たくさんのストーリーがある。単なるラブソングや、そういうものじゃない。物語なんだ。僕らがこれまでにやったどのアルバムとも完全に異なっているって思う。僕らは意識してそうしたわけじゃないけど、“Can
you forgive her?”、“Dreaming
of Queen” 、”Yesterday, when
I was mad “、”The
theater“、”One
and one make five“、みんな物語だ」。さらにこれは、イギリスでナンバー・ワンになった最初のペット・ショップ・ボーイズのアルバムだ。「すごくいいアルバムだ。」とニールは言う。「君が思っているよりもね。」
(以上、2001年ブックレットより・インタビューby CHRIS HEATH)
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用語&人名メモ
ハートフォードシャーHertfordshire・・・ロンドンの北、有名人が居を構える高級住宅街として知られる地域。
Pete Gleadall・・・20年近くPSBのプログラミング担当。ツアーもほとんど彼が音響を取り仕切っている。
ソニック・ザ・ヘッジホッグsonic the
hedgehog・・・1991年セガのメガ・ドライブ用ゲームソフト。アクション・ゲーム。
おバカキャップDunce cap・・・円錐状の、生徒が学校で怠けると罰でかぶせられる帽子。
ペンタグラムPentagram・・・イギリスのデザインスタジオ。Tesco,
Boots, 3Com,
Swatch, Tiffany & Co, Dell,
Netgear, Nike ,Timexなど一流企業のパッケージ・デザインを担当。
ダニエル・ウェールDaniel Weil・・・ジャケットのデザイン担当。ジャケットについてのインタビューはこちら。
ついにこのレビューをやらなきゃならないときが来たと言う感じだ。「VERY」は、内容的にも商業的にも偉大なアルバムで、PSBのキャリア(10年目)の中でもっとも重要な転換期であると思う。そして、2人が言うようにこれは究極のポップ・ダンス・アルバム、表層的にはPSBおなじみの耳なじみのいいメロディーを装っているが、このズシリと来るヘヴィーさはいったい・・・。おいそれと簡単に聴くことができないのである。このアルバムは、”愛の高揚感と喪失感”を同時に知ったアルバムである。愛し、愛されることの喜びと歓喜の後に必ずやってくる、喪失の寂しさ・切なさを知った者だけが・・・つまり、ほとんどの大人が・・・シンパシーを感じあえるものだと思う。恐らくPSBはアルバムの根底にある悲しみと喪失感のバランスを取るため、クールで通してきたPSBにはサプライズともいえるコスプレやアートワークにコミカルなイメージ作戦を取ったと思われる。コミカルなイメージがなければ、このアルバムは、正直言って真っ暗だからだ。
これは、曲が作られた90年代前半が、ゲイ・ピープルにとって最も受難の時代だったからだ。彼らの周りの人たち・・・友人、知人、恋人、前の恋人・・・彼らに限らず、ゲイ・ピープルたちは毎月誰かの葬儀に出席しなければならなかった時代だ。それにも増して、社会はエイズの責任をゲイたちに押し付けた。この時代、ゲイだと”バレる”ことは社会的な抹殺に近かった。一般的にこのアルバムは「PSBがカミングアウトしたアルバム」と認識されている。それなのに、このアルバムはほとんど自分たちのセクシャリティを“バラす”ような内容になっている。「聞く人が聴けばわかる」というより「誰が聞いてもわかる」。なぜこんなリスクをおかしてまで、と言う疑問があるが、彼らはこれまで通り心底「嘘がつけない」人たちだからと思う。名も無き同朋たちに何のメッセージも残さずこの時代を過ごすわけには行かなかったのだと思う。実際にアルバム・チャートで1位を取るほどメジャーなアルバムでありながら、マイノリティへのメッセージを込めている・・・これはとてつもない偉業だと思う。
このアルバム後、ニールはカミングアウトして”疑惑”を”真実”にし、3年後の次のアルバム「Bilingual」では全面的に心を解放している。辛い時代があってこそ、人間は成長できるし、次につながる。そんなことを考えさせてくれるアルバムだ。
マーガレットの勝手に評価(5段評価)
アゲアゲ度★★★★★
皮肉度★★★
政治・社会度★★★
乙女/ゲイ度★★★★
マーガレットのお気に入り度★★★
Dr.マーガレットの処方箋
用法:ドラマチックなストーリーを歌で感じたいとき
効能:痛みを内包した優しさに触れ、一回り大人になれます
服用に適した時期:気分が落ち込んでいないときに
使用量:一日1回が限度
副作用:涙の海に注意
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Disc1
Disc2
*以下はFurther Listening 1984-1986収録分。
アルバム未収録でリリースされたシングル、B面(カップリング、ボーナス・トラック)、Remixで構成。
詳細データリンク(オリジナル)
詳細データリンク(2001年リマスター2CD)
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